「月が陰ると、なんだか妙な気分になりますね」
女がぽつりと零した言葉は、冷ややかな夜の空気にしんと染み渡っていくようだった。誘われるように空を見上げてみれば、確かに月には半分だけ雲がかかり、なんとも風流な絵を作っている。
「妙な気分、ねえ…」
言外にどんな気分なのかと問うてみると、女は月を見上げたまま少し微笑み、妙なものは妙なのです、とだけ言った。答えにならない返事に再び問う気にもならず、俺は月を浮かべた強めの酒を一気に煽る。
頬を撫でる穏やかな風とは対照的に喉から食道が灼けた。鼻から抜ける香りもいい、なるほど、それなりにイイ酒らしい。
「のまねえのか?」
「…今は」
感傷に浸っている様子の彼女に、ふん、と鼻を鳴らして空になった猪口を差し出す。女は自分の猪口を横に置いて徳利を持ち上げ、何も言わずにそこへ酒を注いだ。徳利を支える指先はそれだけで気品を匂わせ、伏せられた視線はそれだけで淑やかだ。
「…飲ませてやろうか」
満たされた酒を軽く揺らしながらそう言うと、今度はこちらを向いて女が微笑む。月の光を受けながら口の端を上げるその姿は美しく、色濃い着物から覗く白い肌がいっそ艶めかしい。
線の細い女の身体は触れればすぐに壊れてしまいそうなほど儚げなのに、どこか凛とした芯を感じさせた。
「…お戯れを」
「戯れじゃねえ」
猪口になみなみと注がれた酒を口に含み、女の顎を持ち上げる。真っ直ぐに此方を見据える女の瞳は深くまで澄んでいて、夜の色を映したそれは美しかった。
「…酔狂なお方」
口づける寸前、されるがままの女は一言そう言って、口で移した酒を存外素直に飲み干した。俺はそれに満足し、残った酒精を楽しむように女の舌を吸う。
歯列をなぞり、舌裏を擦り合わせ、上あごを擽っても彼女は抵抗しなかった。それどころか応えるような動きさえみせるので、そうして舌を絡ませながら、自分の内にある雄の部分が熱を上げるのさえ感じた。
「ん…っ…、」
「…ククッ…美味いか…?」
暫くそうした後で唇を離し、息を切らしている女の喉を撫でて愉悦を隠さず笑ってやると、女は一際大きく息を吐いた。
「貴方の味しか、しませんでしたよ」
男を煽るには、上手過ぎる台詞を言うものだ。俺は無意識に唾を飲み、唇を濡らしたままの女にまた言い知れぬ渇きを覚えた。
この世の果ての孤島にて
20111211