突然訪ねてきた私の顔を見ても、バーナビーは思ったほど驚きを顔に出しはしなかった。むしろその顔は、呆れてものも言えない、といったふうだったのでなんだか心が折れそうになる。
 また喧嘩でもしたんですか、と問うバーナビーに、私は今しがた別れてきたのだと報告した。別れ際の彼の顔や、心ない言葉が脳裏に蘇ってきて、目頭が熱くなる。どうにも精神が不安定だ。そんな私の様子に、流石に驚いたのか少しだけ目を丸くしたバーナビーが、本当に別れたんですか、と念を押してきたので、こくりと頷いて見せる。彼はその事実を飲み込むのにそれなりの時間を要したが、私の薬指から消えた銀色の指輪に目敏く気付いたようで、納得したようにふう、と溜息をついた。

「…それで。…なんで、僕のところに」
「、…だって、思い浮かんだんだもん、バーナビーの顔」

 私の言葉に一瞬固まった彼が、再び深い溜息を吐く。勘弁して下さい、と独り言のように言って、バーナビーは眼鏡を押し上げた。彼の胸の奥にしまわれている、ほんの欠片のような下心につけ入ろうとしている私は卑怯だし、最低だという自覚はある。
 私は彼が拒絶出来ないのをいいことに、彼の部屋に上がり込んで、カウチの上を陣取り、転がっていたうさぎのクッションをぎゅっと抱き抱えた。はあ、と溜息を吐いたバーナビーは、それでも何も言わずにミネラルウォーターの入ったコップをテーブルの上に差し出してくれた。一気にコップの半分を空けた私は、喉を通る冷たい水に少し気持ちを落ち着けて、カウチの横に立ち尽くすバーナビーの顔を見上げた。私の横に座るのを躊躇っているらしい。

「ねえ、何考えてるの?」
「…それはこっちの台詞です。貴方が何を考えているのか、僕には全く解りません」
「何も考えたくないから来たのよ」

 私は眉を顰めるバーナビーに、身も蓋もない事実を伝えた。一人でいて何か余計なことまで考えたくなかった、だから此処に来たのだ。バーナビーならどうにかしてくれると思って。そんな私の甘えを見透かしたように、彼は直ぐに、「本当に勝手な人ですね」と言い切った。

「少しくらい慰めてくれたっていいじゃない」

 そう言って彼の服の裾を引っ張ると、バーナビーは大きく溜息を吐いた。本当に勘弁して下さい、と呟いて、彼はようやく、ゆっくりと私の隣に腰を掛けた。少しだけ胸が熱くなったのも束の間、此方を見ようとしないバーナビーにもどかしくなる私は、自分でも呆れるほど堪え性がない。

「弱味につけ込まないの?」
「は、…つけ込もうとしているのは、なまえさんの方でしょう」

 ちらりと此方を睨んだ瞳を、そのまま黙って見つめ返すと、しばらくしてバーナビーはゆっくりと私の身体を引き寄せた。彼の体温と鼓動になんだか安心して、目を閉じる。彼の唇から漏れる生温い吐息が、首筋に当たっていた。
 何にも考えたくないの、と言うと、彼は顔を上げた。何処か苦しそうな顔をしたバーナビーの、長いまつ毛が震えている。どうして僕なんですか、と問われて、答える代わりに彼の唇を塞ぐ。少しだけ触れ合って、離れて。視線が絡み合うと、彼の瞳に迷いと欲望が見て取れた。

「…いや?」

 上目遣いで首を傾げながら、彼の太腿に置いた手の平を少しだけ内腿の方へとずらすと、彼の全身がびくりと強張ったのが分かった。一度目を伏せたバーナビーは、今夜何度目かも分からない溜息を吐いた。

「知りませんよ、どうなっても」

 そこからは、あっという間だった。何かが吹っ切れたらしいバーナビーは、キスをしながら私をあっさりと押し倒し、ワンピースの下の肌をなぞった。その指先は息が詰まるほど優しくて、触れられた場所から彼の気持ちが伝わってくるようだった。
 雑音の無い部屋で、徐々に早く、そして熱くなっていく互いの吐息だけが聞こえてくるのが居た堪れず、「何か言って」と懇願しても、彼は低い声で「何を言って欲しいんです」とあしらうだけだった。何を、なんて具体的なことを考える余裕などまるでない私は言葉に詰まった。私を見つめる彼の瞳は、冷たいような熱いような、何処までも深い翠色をして、私の情けない顔を映し出している。
 不毛だ、と思った。何かが悲しいのに、涙が出ない。

誰も此処にいない
20160604

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