「………なまえさん」
「うん?」
「…当たっています」
「当ててるのよ」

 ふふ、と悪戯っ子のように笑う彼女はまるで年端もいかない少女のようだ。何も知らない無垢な子供のような顔だからこそ、その凶悪さは計り知れない。僕は押し当てられているその女特有の柔らかい感触からわざと意識を逸らして、窓の外を見た。シュテルンビルトには、なんとも清々しい青い空が広がっている。その爽快さが、この部屋の不健全な空気とは余りに不釣り合いで可笑しかった。

「いいじゃない、バーナビーだって気持ちいい事好きでしょう?」
「……否定はしませんが」
「あら、素直でいい子ね」

 そう言って僕の襟足を梳く手が本当に僕を慈しむように優しいから、何かそこに本当の感情があるんじゃないかと錯覚しそうになる。彼女が見据えているのは身体の快楽とそれをより楽しくするための遊びだけだというのに。つまるところ、彼女はとても駆け引きが上手いのだ。僕ではとても相手など出来ないほどに。

 ───遊ばれている。そう気が付いたのはいつ頃だっただろう。明確な瞬間があったわけではないと思う。僕よりいくつか年上の彼女に初めて出会ったのが一年程前。それから、少し頻繁に会うようになって半年ほど。共に夜を過ごし、何度か身体を重ねて、ただ何となくそんな気がし始めてから、もういくらか経っている。
 最初はお互い、ベネフィットな関係ということで納得していたと思う。僕自身、こういうライトな疑似恋愛もいいなと思っていたはずだ。彼女の甘過ぎない甘さが適度で心地いいと思っていたはずなのに、何故だろう、いつの間にか彼女の魅力に引きずり込まれていた。彼女はそんな僕の感情の変化に気付いていながら、曖昧に甘い言葉で僕を乱し続けるのだ。そうして、気付けば物足りなさを感じてもっともっとと欲しがる自分がいて、ふとした瞬間に恐ろしくなるのだ。こんなふうに誰か一人に夢中になるなんて、こんなに恐ろしいことはない。相手が彼女のような女性なら、尚更。

「……貴方は本当に…、」
「なあに?」

 小首を傾げると、彼女の黒い艶やかな髪がさらりと落ちる。髪の合間から見える肌は白く滑らかで、僕の目と思考力を容赦なく奪っていく。

「…困った人だ」

 言葉を選んだ僕に、褒め言葉として受け取っておくわね、と優雅に微笑む彼女は本当に妖艶で美しいと思う。この人は楽しんでいる。僕が彼女に翻弄されるのを見て、楽しんでいるのだ。こんなのは、この先どんどんとどつぼに嵌っていくばかりだ。解っているのに止められない、抜け出すことの出来ないこの中毒性は、一体どこからくるのだろう。彼女の身体か。言葉か。仕草か。せめてそれが解ればいくらか救われるのに。
 するりと膝の頭を撫でた彼女の細い指先が腿の上に添えられて、布を一枚隔てて内腿がぞわりと騒めく。綺麗な薄ピンク色にグラデーションされた爪は馬鹿な女のように長過ぎることもなく、無骨に短過ぎることもなく、上品な女そのものだった。つやつやと光を捉えるそのピンクに隙など欠片も見当たらない。彼女は僕の前で、どこまでも完璧なのだ。

「…バーナビーは、どうして私みたいな女に捕まっちゃったのかしらね…?」

 金縛りにあったかのように動くことの出来ない僕に、なまえさんの顔が近付いてくる。吐息交じり、同情交じりの問いが脳に響く。そんなことは、僕を捕まえて離さない彼女の方にこそ問い質したいくらいだ。やんわりと体重を掛けられて逃げ場のない僕は、知らないうちに止まっていた呼吸を無理矢理吐き出しながら、彼女が僕の耳を囓るまでをまるで永遠に続くスローモーションのように感じていた。 

「…、自覚があるなら、どうにかして下さい」
「ふふ。難しいこと言うわね」

昼の淑女
20151025

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