朝起きると、なまえさんの姿は既にベッドの上から消えていた。眠い目を擦りながら彼女の姿を探すと、昨晩あれだけどろどろになっていたはずの彼女は腕まくりなんかして、しゃっきりとキッチンに立っていた。タイトなスカートから伸びる素足は、健康的なのにどこか艶かしい曲線を描いている。その肌の滑らかさを想起させる後ろ姿を見ながら、ごくりと唾を飲む寝起きの俺は、パンツ一枚という乱れきった格好で突っ立っていた。
 昨日の今日だというのに、なんて声を掛ければ良いのか迷うほどに彼女の周りには甘い空気が無い。どうしてそんなにすっきりしちゃっているのか、頭が混乱しかける。昨夜は、本当に久し振りに一晩を共にしたのだ。寝起きの彼シャツ、そして生足、あわよくばベッドにもう一度連れ込んでとろとろに、などという甘い朝を期待するのも仕方のないことだと思う。毎度こうして一人で勝手に期待しては落ち込むことになるのに、眼が覚める度期待せずにはいられないのは、夜の彼女が信じられないくらいに甘ったるいからだろう。

「あ、おはよう徹くん」
「……はよ、…」

 起きて初めて使う喉は思った以上に昨日せず、掠れたような返事になってしまった。ふんわりと、俺にだけ向けて微笑むなまえさんには、それを気にした様子もないけれど。それにしてもなまえさん、昨日はとおる、とおる、って可愛い声で呼んでいたのに、また元の呼び方に戻ってしまっている。

「……なまえさんさあ、」
「うん?」

 意気込んで文句を言おうとしたのに、なまえさんがそれはもう無垢な顔で首を傾げるので、俺はそんなことに拘る自分が何となく小さく思えて、あっさりとその気を削がれてしまうのだった。取るに足らないことを掻き集めては不満や不安に繋げてしまうのは、未熟で余裕のない証拠のような気がした。俺は結局、もごもごと「…やっぱり何でもない」などと如何にも男らしくないことを言う羽目になった。
 そんな俺になまえさんは不思議そうな顔をしたけれど、特に追求してくることもなく、そう?とだけ言って手元の鍋に視線を戻した。中身は以前作って欲しいと零したことのある味噌汁のようだ。味噌汁に味噌を溶かすという最終段階の作業を再開する彼女には、やはり甘い空気など欠片も見当たらない。何なら俺の存在などお構いなしだ。
 味見の為に掬った味噌汁を念入りにふうふうするなまえさんは可愛いかった。いつもそうだ。猫舌らしい彼女は熱いものを不用意に口に運ばない。小さな女の子のように、ふうふうとこれから口に運ぶものの温度をしっかりと下げて、食べごろになってから漸くその舌の上に乗せるのだ。唇を尖らせてどうにか食べ物の温度を下げようとする姿は此方の口元が緩むほど可愛らしいのに、一旦それを終えると、半開きの艶めいた唇や仄暗いその奥に覗く舌、そして嚥下する喉の動きもまた息を呑むほどいやらしかった。

「ん、おいし」

 そんな台詞まで何か艶めいて聞こえるなんて、本当に俺はどうかしている。俺もその食べ物みたいに、念入りに無防備にされて、彼女の柔らかい腔内から取り込まれてしまいたい。欲求不満だろうか。いや、それもこれも、昨日口淫のあと「ん、徹くんの味がする」などと酷いことを言ったなまえさんがいけないのだ。あれは本当に破壊力が…あ、だめだ、思い出したら、勃った。

「…なまえさん、」
「なぁに?」

 そんな俺の状態なんて知る由もない彼女がまた不思議そうな顔でこっちを見上げる。なんでも受け止めてくれそうな柔らかい笑みに俺は一瞬だけ逡巡し、本能に従う道を選んだ。後ろからなまえさんを抱き締めると、小さな彼女の身体は柔らかくて、昨日たっぷり嗅いだシャンプーの匂いと混じる女の子の甘い匂いがして、余計に堪らない気持ちになった。もう後には引けないくらい反応しているモノが、ボクサーパンツをしっかり押し上げている。
 
「……、ねえ、」
「…うん?」

 俺は彼女の細い肩口に額を預け、すう、と彼女の匂いを吸い込む。それだけで頭の奥がじんと麻痺するのだから、彼女は揮発性の麻薬のようだ。俺は徐々にぼんやりとしていく頭と熱を上げていく身体を感じながら、聞こえるか聞こえないかの小さな声で、いつもなら絶対言わないようなことを言った。

「…甘やかしてくんない…?」

 少なくとも、朝食に味噌汁を作ってくれた彼女にパンツ一丁で抱き着きながら言うような言葉ではなかった。けれど、人間ここまでくると体裁とか格好付けようとか何とか、いつも考えているくだらないことが気にならなくなるらしい。形振りかまっていられなくなるくらい、俺は彼女に溺れている。
 彼女は反応に困ったように黙ってしまったので、そのあまりにも当然の反応に、俺は目の辺りがかっと熱くなって視界が狭まるのを感じた。勝手に高まっていた興奮と、呆れられたかも知れないという恐怖がどちらも許容量をオーバーしたせいか、頭がくらくらする。ふふ、と軽やかな声が聞こえたのは、それからどれくらい経ってからだったのか、正常な状態でなかった俺には全く見当もつかなかった。

「…それは、狡いなあ」

 なまえさんが、そんなふうに、俺のことが愛おしくて堪らないみたいに言うから、目元がじわりとまた熱くなった。貴方の方がよっぽど狡いと言ってやりたいのに、少し身体を捻ったなまえさんに唇を塞がれて、それすらも許されない。一度離れた唇を名残惜しく思う間もなく、此方に向き直った彼女の舌がぬるりと腔内に入り込んでくる。
 俺の欲しいものも、甘やかし方も何もかも分かっているのだろうなまえさんは、キスをしながらするりと俺の首筋を撫でた。その曖昧な彼女の指先に、ぞわりと全身が粟立つ。こんなふうに、たったそれだけで俺を圧倒する彼女を前に、今日もまた俺は膝を折るしかないようだ。

劣勢と降伏
20151017

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