「まぁたお前はそこで泣くんですかァ」
上から聞こえる呆れた声にも構わず、私は銀さんの甚平に顔を擦り付けた。
一度は収まったはずの涙は、肺に染み込んでいく彼の甘い匂いのせいで勢いを取り戻したらしく、銀さんの甚平にじわりじわりと際限なく吸い込まれていく。濡れて冷たくなったそれは火照った目蓋を冷やした。
「…ぅ…っ…」
「ったく…今度は何だよ、喧嘩?別れ話?」
つうかむしろもう別れた後だったりして?
そんな意地悪を言ってのける彼にしがみつけば、彼はその言葉とは裏腹な優しさで柔らかく私の髪を梳いた。この不器用な手に抱きしめられたことはないし、きっとこれからも、抱きしめられることはないのだろう。それでも彼はこうして手持無沙汰に胸を貸してくれるのだ。
別れてない、と涙声で反論すれば、あーそうかいそうかい、とぶっきらぼうにあしらわれる。彼は本当に見事に私の扱いを心得ていた。
「…っ慰めてよ、」
「冗談、んなことしたらお前、銀さんに惚れちまうじゃねえか」
そりゃ勘弁だからなあ、と銀さんが誤魔化すように笑う理由を、私はもう随分と前から知っていたと思う。そして、それを知っていながらこうして彼の優しさに縋り、彼の想いを殺し続ける私は、正しく最低の女だ。
「…どうせまた、怪我でもして帰って来たんだろ?」
「…っい、…痛くないはずないのに、大丈夫だって言うし、」
思い出しただけで、甚平を握る手にぎゅっと力がこもる。銀さんは髪に触れていない方の手で私の手をやんわりと包み込み、力の入った指先を優しく叩いた。彼の手の平から伝わる温度が温かくて、握り締めた指の先が魔法のように解けていく。
「だったら尚更、さっさと帰ってそばに居てやれって」
「っ、…ぅ、」
「…あいつだって…、お前がいりゃァ、本当に大丈夫なんだよ」
ぽんぽんと宥めるように叩かれる頭。耳に染み込む温かい声は、こんがらがった私の胸にすんなりと入ってくる。僅かに冷静さを取り戻した私の涙もようやく少し落ち着いてきたらしい。
彼の胸に顔を埋めたままありがとうと小さくお礼を言って、やんわりと身体を離す。二人の隙間に通る風が冷たい、なんて、全く私はどこまでも勝手な女だ。
「…、…それを言われちゃおしまいだな」
眉を下げながら、そう言ってふっと笑う銀さんは、劣情を優しさで誤魔化すのがとても上手いのだと思った。そんな彼の優しさに、私はいつまで甘え続けるのだろう。こうして彼に縋って、繋ぎ止めて、私は。
「…ごめんね、銀さん」
「ちっ…分かってんなら、せいぜい幸せそうにしてろコノヤロー」
泥濘に沈む胎児
20110903