うつくしいあきらめ


どうにかして逃れたかった苦しみは、どうしたって孤独という形でひっそりと寄り添う。

夜中におもむろに開けた窓。

外はもちろん暗くて、灰色に見える電線が夜空を区切っている。星はそこにあるけれど決して僕を照らさない。月は片側を雲が、もう片側を木々の枝が遮っていて淡い光だけが滲んでいる。

わずかな隙間から部屋の中へと吹き込んでくる風はつめたく、かなしく、さびしくて、僕の心をかき混ぜて惑わせる。けれど同時に懐かしい心地良さを覚えさせるものだから「ああ、もう仕方がないな」と思う。


それは、とてもうつくしいあきらめだった。




知らぬうちに暦は春過ぎて初夏に向います。


世の中はゴールデンウィークと呼ばれる連休で賑やかに心が湧き立ち、そしてそれが終わりを迎えたことに肩を落としている頃でしょうか。


私はようやく病床から上がりました。

そこまで大袈裟なものではありませんが、桜が咲いて散るまでの間はずっと伏していて、窓の外の景色を眺めるのもなかなか厳しい状態ではありました。インドア派とはいえ、ここまで外に出なかったのも久々です。一応は完治という形をとったものの、以前と比べればなんだか身体の中がぐちゃぐちゃ。まるで散らかった子供部屋のよう。あちゃーと言いながらもなんとか少しずつ片付けていくことが出来ればいいなと思っています。


今は夏休みの子どもの目標のように『早起き』と『早寝』だけに勤しんでいるところです。


朝日に透明な耐熱カップに注いだ白湯を照らしてもらったり、分厚いハードカバーのページを日焼けさせたりすることを日々の楽しみにしています。暗くなれば日記をつけることも再開させましたが……ボーッとしている時間が多いせいか、些細なことしか書くことがないですね。それでも無理やり絞り出して自分を褒めようとしています。……たとえば『水をたくさん飲んだ』だとか……喉の渇きに対して感覚が鈍く、よく脱水症状を起こしてしまう身としては大事なことなんですけれど。

仕事もやるべきこと以外はひとまず傍に置いていますが、そうして甘えることが出来るのも過去の自分と理解のある人々が周りにいてくださるお陰です。もちろん心配をかけてしまうのは大変心苦しいのですが……そんな親切な人たちと出会えたことは本当に運のいいことだと思います。



『大丈夫ですか?』


これは私の人生の中で最も聞き覚えがある問いかけかもしれません。

それは心優しく、温かな人たちと知り合う機会が多いからであり、そんな方々を私が不安にさせてしまうことが少なくないからでしょう。申し訳なく思います。

そして他人が私を見て不安を感じたとき、大抵はその予想通りに大∞丈夫≠ナはないので、「大丈夫じゃありません」と答えることが正解なのかもしれません。


……が、いまだに私は返答に迷ってしまいます。


元々、私の身体は人生を全うするのにあまり適したものではないので不調というものにも親しみがあります。そして痛みと悲しみとは必ず慣れ≠ェ訪れるものであり、苦しみの向こうにはどのような形であれ光があることを知っているので、私にとって頭を長い時間枕につけていること自体はそこまで辛くはありません。


だから『大丈夫』といっても嘘にはならないのです。



しかし……壊れたメリーゴーランドのように勝手にぐるぐると頭蓋骨の内側を回り続ける思考には困ります。


不調になると理性の鎖が錆びつき、意志の錠前が腐り落ちる。今まで適当な箱の中にしまい込んでいた悩みも塵も積もれば……といった具合に壊れた鍵穴からドロドロと漏れ出してきて、ギュッと心を締め付けるものですからたまったものではありません。


「大丈夫ではないですね」


……そう言ってしまいたいものですが、そういう意味≠ナ私が応えたとて相手はどうすればいいのでしょう。私がどうしていいかわからないことを私以外の誰かがなんとかできるわけがありませんし、そもそも何を求めているかも分からずに泣きじゃくる赤ん坊をあやすようなことを赤の他人にさせられません。

心の中にいる小さな僕≠煢泥のように溢れ出す問題≠ノ『自業自得』と呟きます。それを否定できるだけの自信も傲慢さも私にはありませんでした。


だからと言ってひとりで悩んでいても埒が開かないとも分かっているのです。それでも……ひとまず自分で出来ることだけでもやっておこうと思ってしまうのが、愚かな人間のサガなのでしょう。


不調の中でもそれと向き合い続ける日は続きました。


頭の中で悶々としていてもしょうがないので指を動かし、思考をひとつひとつ言葉にしていく……。もちろんきれいな文章にはならず、箇条書きどころかラクガキのような言葉ばかり。

けれども文字になったそれらと見つめ合うことで、よく知っているようで知らない自分と対峙することが出来たような気がします。少なくとも泡のように吹き出したかと思えば触れた途端にそれが消えてしまうようなことはありません。

意味不明でも、解決策がないように見えても、ひとまずそこにあるということだけはわかりました。


それで十分だったのかもしれません。


でも、どうしても消し去りたいという気持ちがあった。


見ないフリが出来ないのであれば、それらをひとつ残らず排除してしまえばいい。


そうすれば私は心地よく、清らかに、穏やかに生きられるのだと信じたかったのです。


そうしてカタチならざる感情や思考を文字にし続けることを限界まで続けて、それらをひたすらに見つめて、分析し、考え、無理やりにでも答えを出そうとして、もう一人ではどうにもならないなというところまで最善を尽くして……そこまできてようやく机から顔を上げ、目の前に立っていた誰かと話すことができる。


それは昔から変わらない私のやりかたです。


それなんて修行だよと顔を顰められたり、笑われたり、なんでわざわざそんなことを?と呆れられることも多い……自分でも不毛な努力だなと思います。

だって結局はひとりではどうにもならないのです。
最初から誰かを頼ればよかったというのに。


私だけでは、私を、解決できなかった。


いつだってそんな自分に失望し、呆れる。


昨日より今日のほうがマシになったと思っても、私の愚かさは変わらずにそこにある。




それでも私は私に対する努力≠ェやめられません。



そして、それが許されているのは……それでもなんとかやれているのは……その不毛な努力≠ノよってようやく導き出すことができた『大丈夫ではない』という言葉を受け入れてくれる相手がいるから。


どんな馬鹿馬鹿しい問いにも真摯に向き合い、迷宮に入りかけた私を引き留め、つまらない謎を解き明かしてくれる幼馴染≠ヘまさに私の名探偵といったところでしょうか。


「いいよ、俺が一緒に考えてやる」


永遠の依頼人たる私を突き放さず、面白がり、無意味な会話の中から新たな発見まで行ってしまう彼のことはこの世の中でも最も尊敬すべき相手であると理解していますし、私よりも私のことを深くまで解明しているのではないか?と思わせてくれる人と出会えたことをこの人生の中で最たる幸運であると信じています。


「大丈夫だって」


「それでいいんだよ」



呆れ混じり、笑い混じりに紡がれる親友の台詞に不満げに唇を尖らせる私は愚かですが、そうして素早く∞正確に$ウ解へ辿り着く彼にずっと助けられてきました。

彼の答えは私が私のために導き出したものとさして変わらないことは多いです。けれども彼の答えが私の答えよりもずっと信じられるのは彼が何よりも彼自身の能力を信じ、彼の生き方によってそれを示してきたからです。


「俺が言ってるんだから、信じろ」


私の幼馴染は決して間違えることはない。
そんな彼が隣に立って背中を押してくれる私もまた、間違った道に進むことはない。


こんなに賢い人間がなぜ私のような愚かな人間の親友を名乗り続けてくれるのか、ふと疑問に思うこともあります。



きっと私でなくともいい。

代わりはいくらでもいる。



それでもその隣に立つのはお互いであると認め合うのが友愛≠ニいうものなのでしょうね。



……まあ私も、人間の愚かさに耐え切れずに癇癪を引き起こす幼馴染を慰め、ときには真摯で実直過ぎる友人が行使できないような方法で味方になってきたタチですから、互いに必要としている場面が違うだけで引け目や申し訳なさを感じる必要はないのかもしれません。


何よりも彼から『初歩的なことだよ』と話しかけられる相手が私であることを誇らしく、そんな彼の才能を惜しみなく讃えられる場所に私が立っていることを嬉しく思っています。



「もしもこの世界に耐えきれなくなったら一緒に世界征服しような」



一晩費やした長い会話の結びに必ず使われるこの台詞。
それは幼い頃から変わらず、私はフフッと笑ってしまうのです。






そうして誰かの助けを借りながらも歩んだ思考の果て。


行き着いた先に待っていたものは「あきらめ」でした。


それは決して悲しいものでも悪いものでもありません。
幸せになるためにはすべてが満たされなくてはならない……という不幸な思い込みから解放されるために必要なものでした。


生きるとは満たされようとすることである。


私はずっとそう思ってきました。


生きると決めたなら、前を向き続けなければならない。
生の喜びに身を浸し、欲を持ち続けるべきである。
誰かに愛されることを望み、役割を求めるべきである。


生きると決めたなら、生を否定してはならない。


そんな固定概念が私の頭の中にこびりついていました。

それは私の生を望んで、それを繋いでくれていた人々の努力を無駄にしたくないという想いがあったからこそなのだと思います。


私が生きたいから生きている……のではなく、たまたま∞偶然≠ノここに生き残っているのだと。
私がここにいるのはただの運≠ニ……私を取り囲む人々のお陰であって、私の力ではないのだと。


だからこそ与えられた生≠嫌悪してはいけない。

せめて恩返しとして私は自分ができる限りのことをして与えられた生≠ノ尽くすべきだと思っていました。




生≠ニはかくも素晴らしいことなのだから!










けれど、そうして生きることは苦しみでした。





私は後ろを振り返りたいし、
置き去りにしたものに思いを馳せたいし、
忘れかけていた何かを思い出そうと必死になりたい。

失われるものが何より美しいものだと知っているから。


私は生の苦しみを抱きしめていたいし、
真の喜びをその苦しみの中で掻き集めたい。

瞬きの間にすぐ消えてしまうものこそ喜びであるから。


私は欲を持ちたくないし、
何かを求めていきたくないし、
いつでもすべてを手放せるようにしておきたい。

全て失ったあとに残ったものが完璧な自分であるから。


私は誰にも愛されなくてもいいし、
私だけの役割が必要だとは思わない。

どんな役を与えられようとも、
誰かが私だけを愛そうとも、
必ずその代わりはいて、
私でなくてはいけない、
なんてことはない。

だから私のことは私が愛するし、
どんなことでもやれるだけのことをやりたい。



生≠ニはただ過ぎていく時間に過ぎず、
いつしか死に至るために存在している道でしかない。



私にとって生きる≠ニは、その道の真ん中に私という生き物がただぼーっと歩いているだけのこと。



それに何の意味があるのか?




…………いいえ、何の意味もないでしょう。















だからこそ……それに意味を見出したいのです。





















瞬きの間も変化していく感情は風の強い日の空模様。
たとえ冬でも凍らぬ思考の川の流れは止めどなく。


昨日の私が決めたことを今日の私が無視をする。
誰の忠告も聞かずに気分のままに走り出してしまう。



その理由は実に簡単で。



腹を満たすことよりも雨上がりの匂いを嗅ぐことが。
眠りにつくよりも夜の街と空を眺めていることが。
体温を分け合うよりも言葉を分け合うことが。



私のやりたいことだから。




それが私にとっての生≠セったのだから。





……それを見失ってはいけなかったね、と私は私に向かって語りかけます。



きっと私が私の生≠真っ当することは難しいでしょう。この世の全てが意味があると信じながら深く考えずに歩いていく方がずっと容易く、心地良い。けれども自分の生≠含めたあらゆるすべての無意味なものに意味を見出そうとするには、この世界はあまりに苦しい。


生≠真摯に真っ当しようとすればするほど、目を覆われるような、鼻を摘まれるような、耳を塞がれるような、口を縫われるような、首を絞められるような心地がすることでしょう。



それでも必死に足掻いたところで、きっと苦しいだけ。



満たされようと手を伸ばしても届かない
幸福になろうと駆け出しても間に合わない。




でも……それでいいのです。





満たされずとも、幸福でなくとも、いいのです。





それは昔から私が思っていたことで、
とっくに知っていたことでした。



けれどもずっと忘れたフリをしていた。



きっと誰かを悲しませたくなかったのかもしれません。
私に満たされてほしいと、幸せになってなってほしいと、心から願ってくれるやさしい誰かを失望させたくなかった。



けれど、もう、仕方がない。



私が私を生かす≠スめには、仕方がない。




私は私が私に望むものも、誰かが私に望むものも、すべて「あきらめ」るしかないのです。



私は私のカタチも、私の生き方も、私の生≠煢ス一つとして正してはならず、むしろそこに最初から存在していた歪みもすべて受け入れるしかないのです。









生を嫌悪し、死を待ち望む絶望。
それは孤独と肩を寄せ合いながら私の心で暮らします。


彼らを追い出すことは出来ない。
きっとずっとそこにいる。


そうして私が私であることを形作っている。






もう、仕方がない。


仕方がないことなのです。







満たされることなく私はここにいる。

ここでただ息をしている。





死≠ニいう甘美な夢を待ち望んでも、それは今すぐに叶えることは出来ず、湧き上がり続ける苦しみを誤魔化すように不毛な努力ばかりを重ねている。






それで、いいのです。



それが私の生≠ナあるから。







瞼を閉じて、息を潜めて、どうにか夜をやり過ごして。
そして、いつのまにか朝を迎えて。


おそるおそる窓を開ける。

青々とした木々の葉の間から朝日が溢れ出し、私の瞳に光が降り注ぎます。昨夜より少しだけ温くなった風は柔らかく、それを吸い込んだ肺を爽やかにしてくれる。淀みなく青く染まる空は夏の訪れを待ち焦がれている。


初夏の朝日に照らされる私の胸にぽっかりと空いた穴。
そこをなにかが通っていきます。



それはつめたくて、かなしく、さびしくて、



なにより、うつくしいあきらめでした。

うつくしいあきらめ
2024/05/12

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