80、再会の誓い


「「うわああああああ!!」」
 
扉を打ぶち破り、ペンキで塗りたくられた青い空を泳ぐルフィたち三人。男女の絶叫は胃袋を震わせて、ゾロたちははっと顔をあげた。
 
「ルフィ!?」
「よお! みんな無事だったのか!」
「ルフィくん、どうしてこの中に…!」
 
ひゅ〜んと空を舞いながら短く会話を交わすが、空中滞在時間には限りがある。ゆるりと落下を遂げようとしているルフィが、瞠目している仲間にサクッと告げた。
 
「とりあえず、助けてくれ!」
 
懇願が響くと、二人の悲鳴と共にルフィはそのまま胃液の中にどぷんと落っこちてしまった。
 
「…ルフィは置いといて。また二人変なのがいたな」
「ええ。女の子もいたわ」
「ねえ! おじいさんが消えたわ!」
「放っとけ。とりあえずルフィを助けるぞ」
 
ルフィが扉をぶち破る寸前、胃液から顔を出していたクロッカスが揺れる波と共に消えてしまったのだ。ナミは心配そうに顔を覗かせているが、ゾロが彼女の思案にストップをかける。ルフィは能力者だから、きっと海水を飲み込んでいるこの胃液も地獄だろう。
ゾロはすぐに胃液に飛び込んで、ルフィを救いに潜っていった。
 
 
ルフィとそして二人の男女も引っ掴み、メリー号の甲板に放り上げたゾロは着替えのシャツとタオルをアリエラから受け取った。
ぜえぜえと激しく息を切らしているルフィと、ぐったり座り込んでいる二人。バズーカを手に持っている如何にも怪しい二人組にみんなが訝しんだ双眸を向けていると、ずっと続いていた揺れがぴたりと収まった。
 
海面も波紋を広げながら、うねりとやめて、島船とメリー号も次第に落ち着きを取り戻す。
 
「揺れがおさまった!」
「そうみてェだな」
「クジラさん、どうしたのかしら」
 
ナミとアリエラがくるりと辺りを見まわしてみるが、胃袋からは何が起こっているのかはわからない。それよりも、気がかりなものを船に乗せてしまったために、肩をすくめて彼らに双眸を向ける。
 
「さて…」
 
雫を拭き取ったゾロが、じとっと二人に瞳を向ける。その剣士の鋭さに、二人は肩をぎゅっと縮こませて瞳を逸らした。
 
「とりあえず助けてやったが……何者だ?」
「ああっ、可愛い女の子だ
 
突き刺す視線の中、サンジのものだけは甘美を帯びていて、ミス・ウェンズデーは接近してくるサンジに顔を引き攣らせながら耳打ちをする。
 
「こいつら海賊よ、Mr.9」
「わ、わかってるよ…ミス・ウェンズデー」
 
あせあせたじたじな二人に、クルーの不信感はより募っていく。
 
「だ、だがしかし…話せばわかってくれるはずだ。…たぶん」
 
恐怖で縮んでしまっている脳みそを何とか働かせて、必死の言い訳を舌に乗せようとした瞬間。
ルフィたちが飛んできた扉の向こう側から、消えたはずのクロッカスが姿を見せた。メガネの奥の瞳をそっと細めて、船の上で正座をしている二人の後ろ姿を捉える。
 
「まだいたのか。ゴロツキどもめ」
「ん?」
「何度も同じことを言わせるな! 私の目の黒いうちは、ラブーンには指一本触れさせんぞ!!」
「戻ってきたぜ」
「誰だ? あのおっさん」
 
一人だけ、面識のないルフィはこてんと小首を傾げている。
疑問をかき消すように、ミス・ウェンズデーの甲高い笑い声が辺りを満たした。
 
「フフフ……そう言われても、帰るわけにはいかないわよ」
「このクジラを仕留めるのが私らの任務だからな!」
 
ミス・ウェンズデーに少し遅れてMr.9も腰を伸ばし、挑戦的な含み笑いをクロッカスに向けた。
 
「今日こそは捕鯨の邪魔をさせん!!」
 
Mr.9の合図にミス・ウェンズデーも頷き、二人同時にバズーカをかまえた。向けた銃口の先はクロッカスのいる扉の横、空模様が描かれているクジラの胃袋だ。
 
「この胃袋に風穴を空けてやるぜ、ベイベー!」
「ラジャー!」
 
お腹の中を抉るような重低音を響かせて、二人はなんの躊躇いもなしにバズーカをぶっ放った。
勢いをはらみ熱を含んだ巨大な黒い弾は、弧を描いて胃袋目掛け飛んでいく。途中で軌道を変えることのできないそれに、クロッカスは怒りにグッと拳を握りしめて、高台の扉の前からジャンプをして、自身の身体で弾を受け止めた。
 
「きゃ! おじいさまが…!」
「ああっ!」
「あのおっさん! 自ら弾に…!」
 
アリエラとナミは小さな悲鳴をあげ、ウソップは瞠目している。ゾロもサンジも言葉には出さなかったが、クロッカスの行動に目を剥かせている。
 
「まさか、このクジラを守ったのか…?」
 
てっきり、クロッカスも捕鯨目的だと踏んでいたサンジは瞳を揺らしながら紫煙をこぼす。
 
「ほほほほ! 無駄な抵抗はやめなさい!」
「守りたきゃ守ってみよ! このクジラは我々の町の食糧にするのだ!」
 
大砲とともに胃液に落ちたクロッカスのあげた飛沫が、微かにメリー号を濡らした。
「おじいさま!」とアリエラが囲いから身を乗り出すが、彼はまだ浮いてこない。それをいい気に、二人は甲高い笑い声を響かせながらもう一度バズーカを構えて胃袋に焦点を向けるのだが。
 
「ん…」
 
何が何だかわからないままのルフィも流石に放ってはおけずに、むむむ…と眉根を寄せて立ち上がった。
 
「いくぜ! ベイベー!」
「ちょっと!」
「最低だわ…!」
「どうなってんのよ!」
 
二人の細い指が、発射を引こうとした瞬間。ゴン!と鈍い音とともに、脳天に衝撃が走った。激しい痛みが脳髄から全身に行き渡ると、二人はくらりと目を回してその場に倒れこんでしまった。
 
「ル、ルフィ…?」
「何となく、殴っといた!」
「……」
 
ふん、と鼻息を荒く吐いて二つの拳を解いたルフィ。その様子を、胃液の海から顔を出したクロッカスが少し驚きながら見つめていた。
 
 
    ◇ ◇ ◇
 
 
「助けてくれたことには礼を言おう。だが、なぜだ?」
 
クロッカスが自分の島船に上がるとこのクジラのことを聞くために、Mr.9とミス・ウェンズデーをロープで縛りつけたクルーも全員彼の島に足を踏み入れた。お邪魔してみると、この船の心地は何ともいいもので。揺れがなければこれが鉄の塊であることを忘れてしまうくらいに優雅なものだった。
 
「別に助けたわけじゃねェ。何となく気に入らなかったからだ」
「んん?」
「ルフィくんはこういうところがあるんです。お気になさらず」
「……ふむ」
 
不思議な雰囲気を持つ少年だ。と麦わら帽子をじっと見つめていると、柔らかな声が鼓膜を包み、クロッカスはふとアリエラに視線を滑らせた。こう間近でみると、本当に母親にそっくりだ。その雰囲気と麦わら帽子、彼女の顔立ちから漂う懐かしさにふっと心が安らぐのを感じる。
 
「お、おい…ルフィ何してんだよ!」
「すげェな〜このヤシの木!」
「おい、やめろって! 人ん家のだぞ!」
 
落ち着きのないルフィは、首の長いヤシの木に気がついてそれによじ登っていく。慌ててルフィの服を掴んだウソップだが、何を諭しても彼の好奇心はおさまらない。けらりと笑いながら細い気に身体を這わせていっている。
 
「ねえ、クロッカスさん。こいつらは何者なの? あなたはクジラの中で何をしているの?」
「…こやつらは近くの町のゴロツキどもだ。このクジラの肉を狙っている」
「まあ、お肉を? どうして?」
「そりゃあ、ラブーンを捕まえれば町の2〜3年の食糧になるからな」
「ラブーンって?」
「このクジラの名前だ。“アイランドクジラ”と言ってな。ウエストブルーにのみ生息する世界一デカいクジラさ。…食糧になどさせるものか」
 
アイランドクジラ…ラブーン。ぽつりと呟きながら、ナミとアリエラはくるりと胃袋の中を見回した。図鑑で見たことあるが、ページを跨ぐくらいに大きなイラストを添えられていたことを思い出す。胃袋が海と間違えてしまいそうなくらいに大きいのも納得だ。
 
「でも、どうしてお空に向かって吠えたりしていたんですか?」
「ああ。こいつがレッドラインにぶつかり続けるのも、リバースマウンテンに向かって吠え続けるのも…ワケがあるのだ」
「ワケ?」
「こいつはな、人の心を持ったクジラなんだ。そして、ひたすらある海賊を待ち続けている……50年もの間…」
「え…、50年…」
 
それは、あまりにも長い年月──。
言葉を飲み込むのは簡単だが、そんな気の遠く成る程に長い長い月日待ち続けるなんて。人間にもとても出来ることではない。クロッカスがふと瞳を閉じると、ブオオオオと低く悲しい鳴き声が外側から聞こえてきた。
 
 
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