97、君が好い


『あの住人達にとって…まるでこの島は“小さな島”のようだ。巨人島“リトルガーデン”──この土地をそう呼ぶことにしよう』


かつての探検家ルイ・アーノートの手記に記されていた通り、この島は巨人が住む島なのだが、当然この本の存在を知らないナミと…彼女と共に巨人を目撃したウソップ以外はリトルガーデンという名の由来を知らないため、それぞれ気ままにジャングル探索をはじめていた。

少し遅れて一人飛び出したアリエラもそれは同じだ。

「まあ…これは千年前に消えてしまった石だわ。どうしてこんなにも絶滅種が転がっているのかしら」

あっちの木も、こっちの植物も。もう目にすることができなくなってしまった代物だ。
不思議な島だわ…。ここは偉大なる航路だからこれも普通のことなのかしら? あら、でも絶滅種は世界共通よね。じゃあ、この島だけが常軌を逸しているのかしら?
さまざまな推測を立てながらも、やはり得体の知れないジャングルに一人だと心細くなってしまう。どのくらいの深さなのか、どんな凶暴な獣が出るかわからないのだから。

アリエラは冒険に胸をドキドキさせながらも足を早めていく。きっとこの先にはサンジがいる。だから、きっと前進できるのだ。
彼は脚が速いのだろう。数分遅れただけなのに、金色の髪の毛も黒いスーツの後ろ姿も辺りには確認できない。ああ、それとも別の方向に曲がったのかしら? 彼と合流できなかったら私も大人しく船に戻った方がいいわね…。
そう思い直して、少し真っ直ぐ進んでいく。ややあって、木々の隙間から揺れる金色の髪の毛が確認できた。その下に伸びるのはシュッとした綺麗なスタイルを包み込んでいる真っ黒なスーツだ。

不気味な鳥の鳴き声に、風に掠められて揺れる草々。恐怖心を煽られるこの空間に見る仲間の姿というのは、大変嬉しく力強いものだった。アリエラはぱあっと花を咲かせて、両手をあげてサンジの元まで駆け寄っていく。

「サンジく〜ん!」

だから、アリエラは後ろの刺客には気がつかなかった──。

「え…?」

一方、サンジも鼓膜をくすぐった透明な声にはっと背筋を伸ばす。
この声は、耳に届いた瞬間に執拗に胸をドコドコ鳴らすのだ。うるさいくらいに飛び跳ねて歓喜する胸を抑えて、できるだけクールに勤めるのを忘れずにくるりと振り返った。

「アリエラちゃ……!」
「よかったわ。サンジくんに会えて!」

太陽光に照らされる金の髪に包まれた小さな顔は、驚くほどに神々しい美しさを讃えていて「え、女神…?」と本気で思ったのだが、その甘い空間は彼女の後ろに伸びている巨大な影によって、一気に壊されてしまった。

「アリエラちゃん、危ねェ!」
「え…っ」

サンジの荒い声にきょとんと目を丸めてアリエラは振り返る。その先にいたのは…。

「きゃあああーッ!!」

目をハートにしてアリエラを追ってきている巨大な恐竜だ。茶色い皮膚はとても頑丈で、アリエラを食そうと開けている口には立派な牙が目立っている。

「あのクソ恐竜…ッ!」
「きゃあ、…きょうりゅ…っ」

どうしてこの時代に恐竜がいるのか。いつから着いて来ていたのか…。
そして、サンジと出会えていなかったら食べられてしまっていたのか…。あらゆる謎と恐怖がどっと押し寄せて、アリエラは腰を抜かしてしまった。その隙に、恐竜はますます目を蕩けさせて涎をぼとりと土に垂らす。

「てめェ、どの分際で絶世の美女様を…!」

怒りを込めて最大級の踵落としを食らわせると、恐竜は呻きをあげてぐったりと横たわった。サンジの脚の威力は破壊級だ。恐竜は泡を噴いて、痙攣を起こし、ややあって息を引き取った。

「ったく…。大丈夫かい? アリエラちゃん」
「ええ…、サンジくんのおかげで…。本当にありがとう」
「アリエラちゃんが無事で何よりさ。さあ、お手を」
「ふふ、ありがとう。プリンス」
「プ…プリンス

伸ばした手に触れた、小さな白い手に胸が高鳴った。白魚のような指だけどその実はとっても柔らかくって、手のひらの先に伸びる手首は細くって。ああ…女の子だ…。と変に意識をしてしまう。女の子の…しかもこれほどまでの美女の手なんかに触れたら、いつもだったらだらしなく表情を緩めて、目をハートに変えて、鼻の下を伸ばして、「幸せだァアア」と雄叫びをあげるに決まっているのに、表情がずっと硬くって蕩けられないのは本気で惚れている女の子だからだろう。

「わあ。サンジくんの手はとっても綺麗ね」
「ありがとう。アリエラちゃんの手もすっげェ綺麗だよ。だから今見惚れちまってたところさ」
「嬉しいわ、ありがとう。サンジくんは手を大事にしているのね。男の子なのにこんなにも美しいなんて…すごいわ」
「いやあ…、こんなに美しい女の子に褒められると照れちまう」
「ふふ、本当のことよ。だって、ゾロはね手の内にたくさん豆があったり、ガサガサしていたりするの。男の子の手だわ…って思って──」

ふっと弧を描いた目は、愛おしさが宿っている。
なんだか、無性にそれが癪に映って。引き上げた彼女の手に触れた彼女の手をぎゅうっと強く握り返す。すると、アリエラは目を丸めてサンジを見上げた。思いの外、強い力が込められて。女の子に対する力加減をきっと彼は誰よりも知っているはずなのに。

「…どうしたの?」
「他の男の話を持ち出すなんて、よくねェよ。アリエラちゃん」
「え? あ…でも、男の子だと言っても彼は仲間だし…」
「仲間でも、おれは嫌なんだ。分かってくれるかい?」
「う、うん…」

おずおずと頷いてみると、サンジは満足したのか青色の瞳を細めてアリエラの頭を優しく撫でた。なんだか、あたたかくって愛を感じてしまった行為に胸がドキドキしてしまったが…そうだ、サンジくんは女の子が大好きだから…。と納得して、平常心を取り戻す。

ぎゅうっと手を握りしめたまま先を行くサンジに、アリエラはまた少し驚きながらも慌てて脚を動かした。
そして、サンジもふわりと浮かぶものに思考を傾ける。どうして彼女は自分を選んでくれたのか。この道はほぼ一本道だったから、きっとゾロの向かった方には通じていない。だから、彼女はサンジくんの方に行こう。と選んでくれたのだろう。もしかして“あれ”は思い過ごしなのか。それとも、また別の理由があるのか──。
「どうしておれの方を選んでくれたの?」と聞いてみたいが、反対に恐怖もどっと押し寄せる。アリエラが向こう側に行ってしまった男へ抱く恋の顔をしてもじもじしたら、きっと…。

「サンジくん?」
「…ここのジャングルにはどういう原理か恐竜がいる時代が取り残されてるみてェだ。だから、アリエラちゃん。一人じゃ危ねェし、おれと一緒にいてくれるかい?」
「うふふ、サンジくんってとっても素敵なお誘い方をしてくれるわね。ありがとう。ぜひご一緒させてくださいまし」

本当は、心臓バックバクなくせにクールなふりをして彼女を誘う自分に笑ってしまいそうになる。ああ、おれは本当にこの子のことが…。女の子、それもこれほどの美女に対してこんな対応ができるなんて自分でもびっくりである。サンジはむず痒くも、甘美で尊い気持ちをしっかり抱きしめた、あの剣士に遅れを取らぬよう、彼女にいいとこアピールしねェとな。と新たな決意を己に示した。

「あ、そうだ。ゾロとの勝負があったんだ」
「え? ああ…狩り勝負…」
「うん。だから、この恐竜持っていかねェとな。あいつ完膚なきまでに敗けちまうぞ、こりゃあ」

どちらも口にはしていなかったが、この狩り勝負はきっとアリエラがかかっている勝負である。だから、こっち側に来てくれたということにもう勝利を確信していたサンジだったが、そうだ。ここは少し本題からずれている。きっと、あいつとバッタリ会ったらむっすりするんだろうなァ…と思うとにやけが止まらない。

「この…恐竜を食べるの…?」

ゾゾゾっと顔を青ざめさせたアリエラの呟きには気づかずに、サンジはご機嫌に恐竜の大きな首にロープを巻きつけていった。


その頃、ゾロもちょうど獣と一戦交えようとしていた。
彼の目の前に立っているのは額に二本、鼻に一本尖った白い角を持つサイのような、アルシノイテリウムのような巨大な獣だ。ゾロに似た鋭い眼光を光らせている。その交戦的な瞳にやる気が芽生えたのか、顔まわりの三つの角にフンと鼻を鳴らした。

「三刀流同士か」

答えるように、獣は前足を地に擦り合わせて、より瞳の線を濃くする。
ゾロも刀を三本抜いて構えると場の空気は一気に濃く禍々しく変化した。獣だといえど、ナメてかかってはいけない。ゾロは刀を握る手に力を込めて、突進をはじめた奴に深く大きな斬りを与えた。ぴたりと動きを止めた獣に、ゾロもゆっくりと刀を三本鞘に収める。最後の一本、和道一文字が鞘にぶつかり、キン…と金属が触れ合ったのと同時に獣は重心を左に向けて、僅かな揺れを地に与え倒れてしまった。

「随分でけェ獣だな……こりゃ食えんのか?」

完全に気を失い、呼吸を止めた獣を観察してみるが…とてもサイとは言い切れないし、これがサイだとしても果たして食べられるのだろうか。まあ、肉なら種類を問わないし腹に入れば同じだと考えるタチなのだが、あのお嬢はどうだろうか。

「私、こんな動物食べられないわ…!」

綺麗な肌を真っ青にそめて、金色が溢れる小さな肩を震わせる姿を想像して喉で笑う。
「おもしれェ…ちと見てみてェ気もするがな」ややじっとりした空気にこぼし、サンジから受けとったロープをポケットから取り出して、獣の逞しすぎるしっぽにそれをくくりつけた。

「アリエラは船にいるだろうな…いや…あいつのことだ。一人で飛び出してスケッチしてるかもしれねェ…。獣も捕ったし早く戻るか」

このでかさには流石にあのコックも敵わねェだろ。
そっと立ち上がり、空を見上げる。随分と高く見える群青にしばらく見惚れていると、巨大な揺れに襲われてはっとする。ずしん、ずしん、身体の芯を突き上げて揺らすようなこの揺れは、地震では感じられないものだ。これは一体──。
あの女は簡単にやられちまうタチではねェが…。危惧を抱き、ゾロはとりあえず現状を確認するためにメリー号に引き返すことにした。


   ◇ ◇ ◇


その轟きと揺れの原因は、メリー号に向かってくる巨人の足音で…。
流れ的に留守番になってしまったナミとウソップはお互い肩を寄せ合って、双眸が赤く光っている巨人を見上げる。一体なんて大きさだろうか、雲に突き抜けてしまいそうな背丈とどっしりした体格に屈強さが窺えて震えが止まらない。

彼にとって、高く聳えている木なんて草みたいなものだろう。立ち並んでいる木々を足で踏み潰しながら歩み進め、太陽光にその顔を照らした。
頭にかぶっているのは、両横に角が伸びているバイキングヘルメット。まん丸とした背中には、青いマントをつけている。

「「うわあああああッ!!」」

ただただ恐怖だ。ナミとウソップはボロボロ涙を流しながら天に叫んだ。もし、神がいるならばこの状況を直ちに救い出してほしい。いかにも戦闘民族って格好をしている彼は、相当強いのだろう。しかも、この大きさを誇っているのだ。とても生身の人間が叶う術はない。
何だか、笑い声のような雄叫びのような。とにかく愉快そうな野太い声が響いている。身体が大きいから当然声量も大きく、鼓膜をひどく揺らした。

のそっと近づくと、彼は大きな顔ににっこりと柔らかな表情を浮かべて、そっとメリー号を覗く。その仕草は、ハムスターのゲージを眺める人間のようだ。ああ、身体の小さい動物は人間がこんなにも恐ろしく見えていたんだな…と変なことを考えてしまう。

「──で、どうなんだ?」
「ひい…ッ、」
「あわわわ…ッ」

どうなんだということはつまり、彼はいつの間にか質問を投げていたようだ。
あまりの恐怖に耳に入ってはいても頭の中には届かなかったのかもしれない。ナミは涙でシャツを濡らしながら、ごくりと息を呑んで彼を見上げる。ああ、もう…何でこういう時にあの三人はいないのよ!

「…あ、あの、何でしょう…?」
「酒を持っているかと聞いたんだ」
「うんっうんっうんっ!」
「す、少しなら…、」
「おおっ!」

とにかく殺されないように、ウソップは何度も大きく首を縦に振った。その隣で、ナミも声を震わせる。その答えが大変嬉しかったようで、巨人はますます相好を崩していくが、思い上がったところで事実を伝えたら殺されかねないので、ナミはすぐに続けた。

「で、でも、飲む用じゃなくって料理と医療用ですけど…、あ、あとゾロのが少し。お望みなら全部差し上げます…!」
「ひいい…、」

怖くって思わず後退りしてしまう。と、その時。巨人は突然叫び声を上げて、ナミとウソップは反射的に耳を塞いだ。なんて大きな声だろうか。やっぱりやっぱり、飲む用じゃないから気に入らなかったのか…彼は、腰におさめていた斧を抜いてそれを構えた。
ギラリと光る斧に巨大背筋が凍って腰を抜かしてしまう。訳もわからずにただ恐怖に大声を張り上げるが──巨人が斧を振るったのは、ナミとウソップ目掛けてではなく自分の背後にだった。恐竜にお尻を噛みつかれていたらしい。
涙で滲む視界を瞬きしてクリーンにして、ゆっくり顔を持ち上げてみると、巨人は恐竜の切断された生首を掲げて嬉しそうに笑った。

「「ヒイッ、、きょ、恐竜…ッ 」」
「我こそがエルバフ最強の戦士、ブロギーだーッ! ガバババババ!」

どうしてこの時代に恐竜が生きているのか、この巨人は何者なのか。もう全てが謎すぎて何一つ理解できない。理解したくもない。空に肉をかかげて独特な笑い声を響かせる巨人に完全に気圧されて、二人は甲板に倒れてしまった。

「肉も捕れた。もてなすぞ、客人」
「し、死んだふりだ…」
「く、クマじゃないけど大丈夫なの? 死んだふり…」

ブロギーは穏やかなトーンで告げたのだが、二人の耳には凶悪に聞こえた。閉じた目を開かずに、ナミとウソップはお互い最小の小声で会話を交わしていた。
ああ、今ここにルフィとアリエラがいなくて本当によかった。ルフィは興奮して彼に飛びつくだろうし、アリエラは「可愛いわ〜」と口にしてスケッチを始めてしまいそうだ。

「うん?」

さっきまでピンピンしていた二人のシーンとした様子に、ブロギーは首を傾げながらウソップのお腹を人差し指でつんつん突くが、目覚める気配はなし。ウソップが細身ということもあるが、男性のお腹周りよりも幅の太い指先につつかれるのは、マッサージみたいで少し気持ちがいい。だけど、ここで瞼を揺らしてしまっては全てが終わってしまう。息を止めて目を瞑り続けていると、彼はまん丸な大きい目をぱちぱちさせて、手のひらの上にそっと二人を乗せ、ジャングルの方へと向かって行ってしまった。

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