78、最初の砦


いよいよ、最初の目的地であった“偉大なる航路”に突入した麦わらの一味。
“東の海”から“偉大なる航路”へと抜けると、気持ちも引き締まる思いだ。上りから下へと変わったため、一気に加速してメリー号は海流を下っていく。水飛沫が肌にかかり、びゅんびゅん切って進む風も心地がいい。
 
ぼうんと雲を抜けると、さらに冷気が肌に浸透していく。熱気を含んでいたために、この冷たさが気持ちいい。
 
「ひひひ〜〜ッ! 行けェ〜!!」
「きゃあ〜! 気持ちがいいわあ〜!」
「ええ、ほんっときっもちい〜ッ!」
 
飛ばされてしまわないように、アリエラとナミはしっかり船首の欄干を握りしめて、気持ちのままに大声をあげている。
 
「おお〜ッ、最高だぜ!」
「うっほ〜! いい眺めだあ!」
 
シュラウドに足をかけているサンジとウソップも、笑顔を輝かせてどんどん靄が薄れていく前方を眺めていた。まだ、眼前の海は見えないが、この先に広がっているのは“偉大なる航路”の海域なのだと思うと胸が躍る。
それぞれが、期待に胸を膨らませている中、ナミとアリエラの隣でゆったりと突入を楽しんでいたゾロの鼓膜に野太い声が響いて、ふと顔を上げる。
 
「ん?」
 
もう一度、耳を澄ましてみると、またブオオオと変な音が鼓膜をくすぐる。
キョロりと首を左右に動かしてみるが、あたりは霧がかっていてなにも捉えられない。すると、またあの音が耳をついた。
 
「今、何か聞こえなかったか?」
「え? なに?」
「どうしたの? ゾロ」
「変な音しねェか!?」
 
この水飛沫と風の音で、至近距離にいると言うのに上手く伝わっていなかったみたいだ。
それなのに、こうしてしっかり聞こえてくるあの変な音は相当な音量なのだろう。強く発したゾロのことばを受け取ったナミは、ああ。と口角をあげて続ける。
 
「風の音じゃない!? 変わった地形が多いのよ、きっと!」
「風ね…」
 
そう言われれば、そうともとれる音にふうん。と頷いた。ナミの知識は確かなもので、そこに納得がいったのだろう。ゾロの隣のアリエラも「風」とつぶやいて、耳を立ててみると、ゾロと同じく「ブオオオ」とどっしりした音が鼓膜を揺らした。
 
「あ、わたしも聞こえたわ!」
「だろ?」
 
真っ直ぐに滑っていたメリー号は、地形のねじりに沿って左右に翻弄されながら降下を続ける。そのまましばらく下っていると、シュラウドに足をかけて前方を観察していたウソップが訝しんだ声を上げた。
 
「ん? なんだありゃあ!」
 
スナイパーゴーグルをあげて、肉眼でじっと凝らしてみると、この靄の先に巨大な“何か”が立ち塞がっているのがしっかりと映った。黒い巨大な物体は、いったいなんだろうか。この先はてっきり、群青だと思っていたから、ん〜?と唸りを上げる。
隣のサンジも高い位置で前方を見つめていたため、ウソップと同じく異変に気がついていた。
 
「ナミさん! 前方に山が見える!」
「山あ? そんなはずないわよ!」
「でも確かにあるぜ!」
「山なんて地図に載ってなかったわよね、ナミ」
「うん…この先の双子岬を越えたら海だらけのはずだもん!」
 
船首甲板からはまだ何も。白い靄しか見えなくて小首を傾げるが、船長がその思惑を明朗でぶっ飛ばした。
 
「知るか! 行けーーっ!!」
「で、でもルフィくん! 本当に山だったら通路を探さなきゃこの船が大破しちゃうわ!」
 
ざぷんと荒く波をかき、どんどん霧を飛ばしてゴーイング・メリー号は前へ前へと進んでいく。
もう中間地点まで行きつき、霧もぱったりと晴れた頃。確かに前方に伸びるのは青い煌めく海ではなく、天まで届きそうなくらいに巨大な黒い“何か”であった。
 
「「ぎゃああーッ!!」」
 
それを目にした途端、船内にクルー全員の悲鳴が響き渡った。
 
「山じゃねェーッ!!」
「黒い壁だあ!!」
 
次いで、サンジとルフィが腹からの声を上げるが、自然に勢いを任せたメリー号は止まる事なく降下を続ける。それも、どんどんスピードを出していくから接近もいよいよである。
 
「かべ……違うわ、これ…」
「ひ…っ」
「なんだよ?」
 
ゾロが耳にした“音”。“黒い壁”らしきものは、丸みを帯びていて、ナミの頭の中にある単語が浮かんだ。ヘナヘナと座り込んだ航海士にゾロが目を向けると、またあの音が辺りいっぱいに響き渡る。今度はクルー全員の耳にしっかり届いて、その音──いや、声に全員ハッと息を飲み込んだ。
 
「くくく……クジラ!!??」
「うそお…!」
 
ウソップの声に、みんな顔を天の方へと仰いでみると丸みを帯びていた部分はぱっかりと開いてた。そこはおそらく口にあたる場所だろう。遠吠えをあげて喉を震わせている。
 
「どどどどどうすんだ!?」
「戦うか?」
「バカね! 戦えるレベルじゃないでしょ!」
「そうよ、ルフィくん! わたしたち、死んじゃうわ!」
「たたたた多分! 進路を塞がれてるぞ! お前どうすんだよお!」
「ちょっと待て! ここまで近づくと壁にしか見えねェが、まず目はどこだよ?」
「そっか! 私たちに気付いてるとは限らないわ!」
「だが、このままじゃぶつかるぜ!」
 
なんとか船の行き着く先を見つけなくては。ゾロが声を上げながら前方を注意深く探っていると、微かな隙間を見つけた。その先はきちんと海のようで、青い煌めきが揺れている。
 
「おい! 左側に抜けられるぞ! 取り舵だ! 取り舵いっぱい!!」
「だがよ、ゾロ! 舵が折れてるぞ!?」
「なんとかしろ! おれも手伝う!」
 
声を荒げながら、ゾロは手すりを飛び越えてラウンジへと向かっていく。それに続き、シュラウドから降りたウソップとサンジも。
力のないナミとアリエラは前方確認を担い、しっかりと隙間を見つめていると、隣でじいっと何かを見つめていたルフィが動きはじめた。
 
「あ、そうだ!」
「え、ルフィくんどうしたの!?」
「放ってなさい、アリエラ! 私たちは何とか隙間を見逃さないようにしなくちゃ!」
「う、うん…!」
 
何か変なことしないかしら?と内心不安に思いながらも、ナミに引かれて前方に注意を払う。ほんの僅かなひかりを見失ってしまったら終わりだ。
「いい事考えた〜!」と一人ご機嫌なルフィは倉庫へと走って行っている。
ゾロとウソップとサンジは、ぽっきり折れたマストの根本を三人がかりで掴んで左に倒そうとするが、この下流ではなかなか舵を倒すことができない。この大の男三人がかりでもだ。
 
「ぬうううう! ダメだ、曲がんねェー!!」
「クソ野郎…!」
「諦めんな!」
 
汗を浮かべながら、腕に最大限の力を込めて倒してみせるが、やはり上手くいかない。ぽっこりと力瘤が浮かぶほどに力を入れているというのに。
なかなか方向が変わらない流れに、ナミとアリエラはラウンジに目を向けて事態を察する。舵も効かないこの流れでは、オールなんかで向きを変えるのは到底不可能だし、残るは絶望だ。
 
「もう…ぶつかっちゃうわ……」
「もうダメ…」
 
ぞっと青ざめて、互いを抱きしめ合うアリエラとナミ。その瞳は、絶望を映してて色がない。
最後の最後まで必死に舵を切ろうとしている三人の踏ん張る声が、ぼやける視界に入ってくる。

ようやく“偉大なる航路”に入ったと言うのに、これまでなのか──。

はっと息を呑み、覚悟を決めた瞬間。ドオン!!と爆音が後ろから爆ぜて、船が大きく揺れた。小さく悲鳴をあげたナミとアリエラの目の前で弧を描いて飛んでいるのは……
 
「「大砲!!??」」
 
真っ黒な弾は、ラウンジにいた三人にもバッチリ見えていて、ルフィ以外のクルーが目を真っ白に剥かせ、ポツリと驚きを口にすると、弾はクジラのお腹あたりに直撃した。
そのおかげで、メリー号の降下スピードはぐっと落ちたのだが。緩やかに出口を潜ると、船の先端はクジラの大きな大きなお腹にぶつかって勢いを失った。その衝撃に、船首であるメリーの顔はパキッと折れて、ごろんと船首甲板に転がった。
 
「……終わったわ…」
「さいあく……死んだかも…」
 
揺れに耐えきれずに、甲板で大の字になって倒れているアリエラとナミの瞳に、大きく宙を舞うメリー号の頭が見えた。それはさっき落ちたはずなのに、残像として瞳に残っている。これが、死ぬ前の景色なのかも。本気でそんなことばが頭の中を駆け巡る。
 
シーンと静まり返った船内にゴロゴロ音を立てて、転がり続けるメリー号の頭の音だけが響いている。
大仕事を終えたルフィはご機嫌に倉庫を出たのだが…。目に飛び込んできた羊頭にギョッと目を剥いた。
 
「ああああー!! おれの特等席!!」
 
静かすぎる船内にルフィの絶叫がこだまする。
 
もう、誰の耳にも船長のことばは届いていない。アリエラもナミもウソップも涙目でぶるりと身体を震わしているし、ゾロもサンジも呆然とこれから起こることを察している。
だが、ここで死ぬのをただ待つというのも避けたいことだ。海賊らしく、最後まで足掻かなくては。
幸いにもクジラは鳴き声をやめただけで、何も動きを見せていない。
 
「……逃げろ! 今のうちだ!!」
 
 ゴクリと唾を飲み込んだゾロは、抜かしていた腰をしっかり支えて立ち上がる。
 
「な、なんだ? どどどどうなってんだ?」
「身体がデカすぎて砲撃に気付いてねェのか? それともただトロイのか」
「知るか! とにかく今のうちだ!」
 
冷静に考察をしているサンジにゾロが声を飛ばし、持ってきたオールをウソップとサンジに投げ渡した。
船長のことはもう放っておいて、三人係で必死にオールを漕いでいると、動きも鳴き声も止めていたクジラがまた空に向かって咆哮を響かせはじめる。
 
「うおああ! 耳が痛ェ!!」
「漕げーーー! とにかく漕ぐんだサンジぃ!!」
「こいつから離れるんだ!」
 
火事場の馬鹿力のごとく、オールを漕ぎまくるとメリー号は猛スピードを出して隙間の方へと走っていく。顔を空に向けていたクジラは咆哮を止めると共に、ゆっくりと海に戻っていく。ちょうど横顔が、メリー号が通っているところにおちて、大きな大きな目玉がくるりと動いた。
 
そのとき。ずっと静かだったルフィが表情を曇らせたまま、ナミとアリエラが腰を抜かして座り込んでいる船首甲板へと赴いた。麦わら帽子に隠れて顔はよく見えないが、拳はわなわな震えていて、いつもと様子も違う。
 
「る、ルフィ…?」
「どうしたの……」
 
涙で湿った声を震わせると、ルフィはクジラの前に立って勢いよく顔を上げた。その瞳は強くとんがっている。
 
「お前……おれの特等席に一体何してくれたんだぁああ!!」
 
その怒りの根源は、ころころ転がっているメリーの頭から。
震えていた拳をしっかり作ると、ルフィは躊躇うことも恐怖を抱くことも。当然、次に起こることも予測しないで、ただただ怒りのままにクジラの大きな瞳にパンチをぶつけたのだった。
 
「あああああっ!!」
「きゃああ!!」
 
パチン!と肌がぶつかる音が響いた刹那、ナミとアリエラの悲鳴がぼんやりと船内を縁取っていく。。
もう、もうおしまいだ。クジラは確実にこちらに敵意を向けるだろう。
 
「「ドアホーーっ!!」」と船長に怒りをぶつけながら、ゾロとサンジまでもが涙を浮かべている。
 
もう死の色が濃く近づいている。海賊になって半年経つが、これほどの恐怖はいままでにないものだ。じっと息を潜めていると、大きな大きな目玉はぐるりとこちらを見下ろした。それに合わせて、ルフィ以外のクルーの高低な悲鳴があがる。
 
「どうだ! かかってこ、このやろーーッ!!」
「ルフィくんおねがいやめてえ!」
 
アリエラが懇願するようにルフィの脚にしがみつくと同時に、ラウンジから飛んできたゾロとウソップに「ルフィ! もう黙れ!!」と強烈な蹴りを入れられて、ルフィはそのままパタリと倒れてしまった。
こちらに目玉を向けたまま、クジラは再び大きく咆哮を上げる。
間近で聞くと、鼓膜が裂けてしまいそうだ。眉根を寄せて耳を塞いでいると、クジラは大きな口を海の中で豪快に開けた。
 
「な、何…?」
「もしかして…っ」
 
大きな青い瞳にひかりの粒を浮かべたアリエラが呟くと同時に、クジラは海水と共に空気を吸い込んでいく。ざぷんと揺れるメリー号は、クジラの吸引に乗ってしまってくるくる回りながら大きな黒い口の中へと吸い込まれ始めた。
 
「きゃあ!」
「アリエラ…っ」
 
立ち上がったアリエラがバランスを崩して、海に落ちかけたがゾロが何とか彼女を掻き抱いて事なきを得たが、どちみち飲み込まれたら行き着く先は死だ。揺れは情けもなくぐらりと船を傾かせ、端に立っていたルフィが運悪く身体を滑らせてしまって、船の外へと投げ出されてしまった。
 
「ルフィ!!」
 
いち早く気がついたナミが手を伸ばしたが、その長い腕は空を切るだけで、船長の手を掴むことができなかった。海に落ちたら能力者なルフィはもうおしまいだ。「死んでたまるか!」と両腕を伸ばして、クジラの後頭部を掴み、ひょいと綺麗に彼の巨体の上に着地した。
 
こうしてルフィは、クジラに食べられる。と言う死へのルートを避けることができたが、クジラは数分間吸収を続けたのちに、たっぷりの海水と仲間を乗せたメリー号を口内に含み、そのまま口を閉じてしまった。クルーの悲鳴がルフィの耳を揺さぶったが、それも閉ざされたものと同時にピタリと止んでしまった──。
 
 
 

TO BE CONTINUED



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