167、レインディナーズ


三手に分かれ、それぞれのルートからレインディナーズを目指しているクルーたちの中に姿のなかったチョッパーは──。

「あたっぷりでた」

お手洗いを済ませたところだった。三手に分かれた海賊を追っていった海兵の姿はもう入口付近にはなく、その騒動を知らないチョッパーは忽然と消えてしまったクルーに、あれっ、とうわずった声を出してキョロキョロあたりを見回す。
さっきまで確かにルフィ達三人以外はここにいたのに。
クルーの姿はもちろん、荷物も何もかも一式なくなっているからおそらく移動してしまったのだろう。おれ遅かったかな、と行動時間を考え直しながら、仲間の匂いを探すけれど。

「あ、ルフィの匂いがする。…あれ、反対方向からアリエラのにおいが……ええッ、サンジはあっちだ。一体どうなってんだ?」

まったく別の方向からそれぞれの匂いを察知して、チョッパーは大広場の真ん中で不思議そうに足を止め、首をかしげた。どっちに行けばいいのか迷っていると、後ろからドドドドと豪快な足音が鳴り、「いたぞ! こっちだァ!!」海兵の勇ましい声が響いた。
まだ日は浅いがチョッパーも立派な海賊。びくっと肩を揺らして縮こまった途端、海兵の波に飲まれ揉まれるようにしてその身を元のサイズに戻した。



「ゾロくんっ、こっちにもいるわ!」
「こっちもよ、Mr.ブシドー……!」
「ッチったく…こいつらに構ってる暇はねェんだよ」

アリエラとビビの報告に、キン、と鯉口を切りゾロは舌打ちを鳴らす。
ゾロ、アリエラ、ビビの三人組が入った路地の先はレインベース第二広場だった。さっき通った大広場ほどではないが、見晴らしのいい場所だ。ここを円描くようにしてバザールが開かれたりしているのだろう。
そんな見晴らしのいい場所だから、路地裏、屋根、建物内。各場所からの殺気はより鮮明に伺える。或いはもう隠すつもりもないのか。立ち止まった先頭のゾロに背中を向け、後ろ左右を見回したアリエラとビビはバッチリ交差している敵との視線にひやりと背筋を伸ばしている。

「間違いねェ。奴らだ」

一人の男がジリジリ近づきながらそう言った。手元には数枚の写真が握られていて、アリエラは目を見張った。男が手を揺らした隙に一瞬見えた数枚の写真の中にウソップの顔があったのだ。あのとき、バロックワークス社の使いであるラッコとタカに似顔絵写生をされたとき。その場にウソップの姿はなかったというのに。

「やっぱりあのバレリーナ、わたし達に化けてみせたんだわ…!」
「ええ。奴らはバロックワークスのミリオンズよ」
「ヘッ、前門の虎 後門の狼ってわけか」

上等じゃねェか。とゾロはどこか愉しげに笑う。ようやく面白くなってきた、と言わんばかりに。敵の数を目測し、刀にかけていた手をビビの背中に向けて、トン、と押しやる。急に強く押された体によろけたビビは小さな悲鳴をこぼし、瞠目して剣士の姿を見つめる。

「行け」
「えっ?」
「アリエラ。お前は戦えるよな」
「ええ、もちろん!」
「つーことだ、ビビ。お前は先に行け」
「でも、」

取り囲むミリオンズの数はざっと100人弱。この数をたった二人に任せるなんて、とビビの胸臆は不安を抱くが「早く!」ゾロの低い声に急かされて、身体をびくっと震わせたビビは返事をし、そのまま逃げるようにして路地裏へと走り去っていく。

「こら、目移りしちゃだめでしょ! わたし達がお相手なのよ」

彼らの第一目標である王女の逃走は見逃せるものではなく、うねる水色の髪の毛を追いかけようとしたら、むっすりした声色に惹かれるようにして奴らは立ち止まりこちらに目を向けた。
「おおやっぱ実物は違ェな。クソ美少女だ」「おれ達と遊んでくれるのかい、かわい子ちゃん」
目を撓めてジリジリと近づいてくる男達に、ゾロはもう一度鯉口を切って感心半ば呆れのため息をついた。

「さすが“絶世の美女様”だな」
「ふふふ、ゾロくんもわたしにメロメロになってくれていいのよ
「もうなってるよ」
「んっ……」
「何だよその反応は。お前が言ったんだろうが」

顔を赤くして固まる彼女にゾロは一本取れた、とニヤリと笑い、ミリオンズに好戦的な双眸を向ける。

「おら、とっとと片付けてビビを追うぞ」
「う、うんっ!」

ゾロが刀を抜くのと同時に、アリエラも腰におさめていた白薔薇の鞭を引き抜いて地に叩きつけた。



「ウソップ!」

右折したゾロ達とは反対に左折したのはサンジとウソップとナミのチーム。
しばらく走っていたのだが、同じく広場に出たところ元々守備を任されていた海兵たちに取り囲まれ、三人とも完全包囲をされていた。こちらは海兵がお相手だ。
ひいい、と戦慄く二人の悲鳴が空気を不安定に揺らしている。守るようにサンジが二人の前に立つと、たばこに火をつけながら狙撃手の名を低くこぼした。

「ナミさんを任せた」
「えっ、」
「サンジ君?」
「ここはおれがカタをつける。行け!!」
「う、うんっ!!」

トントン、つま先を鳴らして二人を逃すと、険しい表情をした海兵を一眸し、へらりと薄ら笑いを浮かべた。

「あのケムリ野郎がいねェならただの雑魚だ。へっ、御愁傷様」

剣を片手に攻め寄ってきた数十人の海兵達を、サンジはたったの数秒で片付けてしまい「張り合いのねェ奴らだなァ」と呆れた様子で紫煙を燻らせた。


「(大丈夫かしら……、Mr.ブシドーとアリエラさん)」

フードを被り顔を隠しながらビビは路地裏を抜け、レインディナーズへと向かっていた。さっきまでの凍てつく視線は感じられずにホッとするが、残してきた二人への不安はまだ胸の内で蟠巻いている。ミリオンズとはいえ、バロックワークス社の一員である彼らはなかなか手強い敵だ。
けれど。

「役不足だ。出直しな」
「わたし、どこも怪我しなかったわ。ふふ、少し強くなれたのかしら」

ビビの心配はこちらも無用。刀を鞘におさめたゾロと鞭を腰に引っ掛けたアリエラの戦闘は完全に終了していた。ふたりの足元には無残に伸びているミリオンズの姿が散らばっている。
相手はピストルや剣を持っていたというのに、かすり傷ひとつしないで動きやっつけることができた自分にちょっぴり成長を感じて、アリエラはほくほくとした喜びを噛み締めているなか。ふっと、背中に殺気のような強い気配が揺らいだ。

「……探しましたよ、ロロノア・ゾロ!!」

つんざくような鋭い声が広場に反響する。
ゾロの肩はビクッと大きな震えをみせた。それは、自分の名前を呼ばれたからではなくこの声を聞いたからだ。たらりと汗が滲み出て、う、と参ったような困ったような吐息がこぼされた。

アリエラもふいっとふりかえってみると、さっき酒場であった彼女がいて「わあ、」と張り詰めた声をあげたが、ゾロと彼女の様子にひどい雨の光景がまぶたに浮かぶ。あれは、ローグタウン。どういう因縁があるのかは知らないけれど、彼女…海兵であるたしぎは雨に濡れた前髪の下でひかる鋭い双眸でゾロを睨みつけていた。
確か、あのあと二人は決闘をしてたっけ。と思い出したところで、ゾロの異変に気が付く。健康的な顔色は珍しく青く染められていて、まあ、と目を丸くしてしまった。

はくっと息をこぼしたゾロは、「その声は……っ、」と絞りだすような声を落としてゆっくりと振り返る。瞳に映った“やはり”な人物にゾロは何ともいえない心地になった。
それが顔に出てしまったのだろう。たしぎはゾロの表情を認めると、ムッと綺麗な眉を持ち上げて垂れ目がちな瞳を尖らせる。

「捜しましたよ、長い間。一般の人々を斬るなんてどういうつもりですか!?」

あなたも。と、倒れている男達と一瞥してアリエラにも視線を向ける。黒い瞳からは意志の強さが伝わってきて、まるで黒曜石みたい。と感心しながらも「えっと、これは、」と言葉を紡いだが、
「こっちにも色々とあんだよ!」
と、ゾロが声を張り上げた。そして、つづける。

「まず、お前と戦う気はねェぞおれァ。ローグタウンで決着はついただろうが!」
「ついてません!!」

腰にさしている刀にそっと手を乗せて、たしぎは強く言い返した。
たったそれだけなのに。ゾロはみたこともない反応をするものだから、アリエラはあんぐりとして彼の表情を見つめている。こめかみには汗を浮かべていて、肩はわなわな震えている。おまけに、視界を遮ろうと手で目を覆うものだから「ゾロくんどうしたの?」って思わず口に出してしまった。

「(似てる……ッ、似すぎなんだよ……っ!!)」

脳裏に浮かぶのは亡き親友の姿。大切な誓いを交わしたかけがえのない、たったひとりの親友の──。彼女の剣を握り、強き穢れのない信念を抱き生きてきたゾロはどんなことにも惑わされない心をも培ってきた。親友は死んだ。だから、おれは天国におれの名が届くように。彼女との誓いを一緒に背負い世界一を目指してきた。くいなは、死んだ。
そう、それは紛れもない事実でそうだと信じて疑わなかったものだから目の前の現実に狼狽しているのだ。髪色も瞳の色も顔貌も雰囲気も。あまりにもくいなと瓜二つな容姿をしている彼女のことがゾロはとても直視できないでいた。おまけに、あの日吐いた台詞までもが親友を想起させるもので。ゾロの胸をどうしてもざわつかせるのだ。

「てめェ、は……。大体その顔を何とかしろ!!」
「なんですって!? またそうやって私をバカにして……ッ、絶対に許さない…!!」
「えっ、ゾロくん」

それはローグタウンでも聞いた台詞。たしぎは表情いっぱいに怒りを顕にさせたが、反対にゾロの顔色はどんどん青くなっていく。汗もじんわりとうかんでいて、アリエラはますます混乱するばかりだ。
同い年であり男の子であり仲の悪いサンジに対してはその独特な眉をいじることはあっても、ゾロは決して他人の容姿について褒めたり貶したりをしない人だ。それを長旅でアリエラもよく知っているため、今こうして彼女に向かって吐いた彼らしくない言葉にぐるぐる思案を回していると、チッと乱暴な舌打ちが鼓膜を揺らした。

「くそ……ッ、あいつだけは苦手だぜ。おい、行くぞ」
「わ、きゃっ」
「あっ、待て!」

もう剣を交えるつもりはないゾロは逃げの一手だと、呆然としている様子のアリエラの手を掴み半ば強引に走り出した。刀を抜いていたたしぎはそれを力強く握りしめたまま、二人の背中を追っていく。
けれど、彼は相当な方向音痴だから路地を曲がった先にはもう二人の姿はなく、たしぎは目を大きく見開かせ、手にしていた刀をカランと地に落とした。


「待ちやがれ!!」
「いやぁぁッ!!」

別の路地裏ではミリオンズの残党、そしてナミとウソップの悲鳴が響き渡っていた。
海兵をサンジに任せ、路地を駆使して雲隠れにレインディナーズへ、といった作戦はすぐに水の泡に消えてしまった。その路地がダメだった。残党の隠れ家だったらしく、写真と照合した顔と一致したふたりはすぐに追われてしまったのだ。
叫びながらもひたすら走り続けると、高く積み上げられた木箱や樽が目前、壁のように聳え立っているのが飛び込んできた。けれど、命の危機を回避すべく考える間もなくナミとウソップは高くジャンプしてそれを崩しながら飛び越え、先の地にすたっと着地した。火事場の馬鹿力といった類のものだろう。

運よく、その木箱たちに押しつぶされる形でミリオンズは通せんぼを喰らい、予想外の展開にナミとウソップは大きな目をぱちぱちさせた。

「や、やったぞ!」
「すごいわウソップ!」

冷や汗を浮かべるウソップに、ナミはグーサインを出して二人走り続ける。後ろからは「待ちやがれ」「おい押すんじゃねェ!」「た、助けてくれ」とあらゆる声が乱雑に響いていた。

「見てウソップ! あそこよ!」

路地を抜けるとそこはレインディナーズ前広場だった。裕福そうな人たちが時に笑顔時に険しい表情を浮かべて辺りを行き交っている。付近には銀行と金貸屋が並んで建っていて、そこに入っていく人も目立っている。

「レインディナーズって……ッ」
「湖の真ん中に建ってたのか!!」

さっき、遠方から目視したときはわからなかったが、ワニの顔を象った屋根が目印のそれは一本の橋の先に聳えていた。小さな敷地の上に建つピラミッド型の建物を取り囲むようにして綺麗な水がせせらいでいて、橋には椰子の木が一定の距離を保ち伸びている。
所々に目立つ柱もそう。カジノの建物自体は緑と黄のボーダーで彩られているが、全体的に白亜にまとめられている印象だった。

ほう、と感心半ばでその建物を見つめていると、ずさっと重たい足音が付近で重なった。嫌な予感が背中を濡らし、ナミとウソップはびくっと肩を震わせる。まさか、そう思い顔を横に向けてみると。

「よし、狙い撃てェ!!」
「ぎゃあーーッ!! 敵ィィィイ!!」

ライフルを構えた男が三人、銃口をこちらに向けて低く声を上げた。予感は的中し、ぞわりとしたものが背筋に走る。心臓がぎゅっと冷たくなって、ぽろぽろ涙を流しながら両腕を持ち上げたとき。ふっと、安堵のかげが視界の端に揺れた。黒緑のブーツがひとりの男の頭を蹴飛ばし、ドミノ倒しに奴らが倒れていくのを、スローモーションでみつめている。金のピアスが太陽光に照らされきらりと光った。その隣で青い瞳がぱちぱちしている。

「ぞ、ゾロッ!!」

たまたま駆けつけていたゾロに危機一髪のところを助けてもらったのだ。ナミとウソップは目尻を涙で濡らし、崇めるように剣士の名を叫ぶ。「よかったあ、ふたりとも無事だったのね」アリエラの柔らかな声色に二人はこくこく頷いた。

「で、ビビは?」
「え、あんた達と一緒じゃなかったの?」
「まだ来てねェのか」
「わたし達ミリオンズに囲まれちゃったからビビちゃんを先に行かせたの」
「んじゃあ、もう中に入ってんじゃねェのか?」
「じゃあ急がなきゃ、ビビを追うわよ!」

おー!と意気込んで橋を渡ろうとした、そのとき。背後の方から突風が吹いてゾロたちはふっと足を止めた。次いで、聞こえてくるのは雄叫びだ。この声も聞き覚えがあって、けれど今度はニヤリとした笑みを浮かべ、ゾロは振り返った。

「ルフィもきたな」
「きゃっ、あの人もいるわ!」
「チッ、もくもく野郎も一緒か」
「どどどどどうすんだよ!?」
「ちょっとルフィ! あんた撒いてきなさいよ!」

こちらに向かって走ってきているルフィの後ろには嫌に見覚えのあるスモーカーがいて、アリエラたちはあわあわ汗を浮かべるが船長はどこ吹く風。走りながらレインディナーズを指差し、「いるんだろ、あの中にあいつが!」と嬉々として目を輝かせた。



ルフィたちを待ち構えるようにして、クロコダイルは水に囲まれた薄暗い部屋にいた。
デスクの前、大きな椅子に脚を組んで座り、報告にやっていたミス・オールサンデーを不気味な笑みで迎える。


「──ほう。ビビと海賊どもがこの町に……」
「ええ。今、ミリオンズから報告が」

彼女の冷たい声にクロコダイルはもっと口角を持ち上げて、デスクの上に広げていた5枚の写真に視線を下げる。Mr.2が化けて見せた麦わらの一味の写真だ。左からゾロ、ナミ、ルフィ、アリエラ、ウソップの順に並べていて、血の色のないゆびでさらりとアリエラの写真を撫でてみる。
仕入れたとある極秘情報によれば、彼女は──。

ふん、と笑みを湛えたまま鼻を鳴らし、ルフィの写真に手を伸ばす。
ぴらりと持ち上げて顔に近づけてみる。そして喉を震わせた。

「ハッハッハ……マヌケなネズミどもを迎え入れてやれ」
「はい」

こちら側の思惑を知らずに、ルフィたちはひたすら走り、レインディナーズを目指していた。



TO BE CONTINUED 原作105話-105話



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