146、エルマル


より明らかになったバロックワークスの悪行に、クルーは苦虫を噛み潰したような面持ちでビビの後ろに続いていた。ふと足を止めたビビに、彼らはゆっくりと顔を持ち上げる。彼女が振り返ると同時に、肌を包んでいるコートがふわりと揺れた。

「…これは何だい? ビビちゃん」

先頭のビビの立つその先に伸びている光景に気がつくと、まず最初にサンジが疑問をこぼした。
柔らかく穏やかな低い声は強張ってきた胸をほぐしてくれるようだ。
山があったり、少し穴ができていたり、大きく埋もれていたり、不恰好に歪んでいたり。今通ってきた道とは一風変わり、眼前に広がる道だけ補正されていた跡が残っていて、ここでは浮いて見えた。けれど、人が真っ直ぐ歩けるような綺麗な道ではなく、何かで削られたようなでこぼことした窪みが目立っている。

「ここは水を引き込むための運河があった場所よ」

しっかりとした口調で告げられたそれに、先ほど河から灌漑するのはどうだ。という意見や疑問を彼女に投げていたゾロとアリエラとウソップが目を見張り、はっと息を飲んだ。
水辺でぐんぐん背を伸ばしていたであろう椰子の木はくたりとこうべを下げていて、水圧だけでは到底削りきれない層まで抉り取るように浮き出ているからこれは──。

「この場所も何者かに破壊され、エルマルは水を確保できなくなってしまったわ」
「そんな……ごめんなさい、ビビちゃん。さっきわたしひどいこと言ったわ」
「ううん。アリエラさんは何も知らなかったんだし、全然いいのよ。気にしないで。だって当然の疑問だもの」
「…うん、」

今、直面している国の哀しい部分にビビは心を痛めているというのに、すり減っていく胸の中で彼女はまだ心配させまいと優しい心で気丈に接してくれていることがズシンとアリエラの胸にのしかかった。
そんな気持ちにさせてしまった彼女に申し訳なさと、軽率な発言をしてしまった自分への怒りと、ごちゃごちゃとした感情が蟠を巻いて、それを押し潰すように手のひらをぎゅっと握りしめた。
ウソップが言っていたあの言葉は何もチョッパーだけに対するものではない。大好きなビビのために、自分にできることを全力で、命を懸けてしよう。今の彼女に触れて、改めて心からそう思った。

その間、ふと気になったチョッパーが近くにあった井戸に小石を投げ入れていた。ややあって、深く底の方からカランと乾いた音が鳴る。一滴の水も残っていないことを窺い知れて、チョッパーはしゅんと眉間に皺を寄せた。

「…ビビ、この町の人々はどうしたの?」
「河から水を引くこともできない。待っても雨は降らない。ダンスパウダーの一件以来、王への不信感は日増しに募るばかり…。そして、ついに戦いが始まってしまった…。疲れ切った人々は争いを逃れ、水を求めて他のオアシスへと去り、町は打ち捨てられた。そして──…緑の町は枯れたわ」
「(全てバロックワークスの思惑通りってわけか……)」

ぎゅっと胸の前で拳を作ったビビは、それでも尚表情を歪めることはなかった。
ゾロの思う通り、この“戦争”までの流れはバロックワークス…クロコダイルが裏で操り、その道へこの国が歩むように一本の道を用意してそこに強制的に促していたのだ。なんて酷なやり口だろうか。
王を疑わない。王を信じる。という選択肢すら与えられないうちに事態が加速していっただなんて。

その時、びゅうっとひときわ強い風が吹いた。風がエルマルを煽るようにすり抜けて、みんなの服をバタバタ靡かせる。木々がさわめく音、カランコロンと石や木の枝が転がる音、ばちばちと砂塵が建物にぶつかる音。自然の音が激しく鳴り響く中、鼓膜を揺るがすような唸り声が聞こえてきて、はっと顔を持ち上げた。

「何…っ!?」
「人の声か?」
「まさか、バロックワークスの追っ手じゃねェだろうなッ!?」
「ひゃあっ」
「ううっ、」

サンジがこぼした疑問に、ウソップは真っ青に顔色を変えてあわあわと震え上がるが人影は見えずに余計に不安感が募っていく。
突風に吹き飛ばされそうになって、アリエラとチョッパーはお互いをぎゅうっと抱きしめ合いながら必死に耐えている。そんな二人を庇うようにエースが立って、しばらく耳をすませていたが深く耳を傾けると、このうめき声には生気を感じなくって。エースは久しぶりに口を開いた。

「ただの風のようだ」
「人の声だろ?」

だが、弟はそれをきょとりとした目で否定をする。ここにまだこのオアシスに人がいることを信じたいのだろう。その隣で、ウソップはがくがく脚を震えさせていた。

「な、なあ! 四方からうめき声が聞こえてくるぜ、どどどうするよ、お兄さん!」
「危険はない。廃墟の建物に風が反響してるだけさ」
「なるほど…。そういえば、ハリケーンでもこんな音を聞いた気がするわ」
「これ人の声じゃねェのか?」

エースの解説にアリエラが台風の記憶を追憶すると、彼女に抱きしめられているチョッパーもどこかほっとしたように安堵を漏らした。ゾロもサンジも納得し、構えていた身体をそっと戻す。何も危害がないならそれに越したことはない。
風が止むまでしばらく立ち止まって耐えているが、おさまることのない威力にうめき声はどんどん大きくなっていく。まるで、何かに助けを求めているような、苦しんでいるような音色にビビは悲痛そうに柳眉を下げた。

「町が……、エルマルの町が泣いてるみたい…」

ビビがつぶやいた途端、哀しみに中った町を吹き飛ばすかのような烈風に、一同はぎゅっと目をつむり踏ん張ってその身を飛ばされないように耐える。目を開けてしまったら眼球が傷ついてしまいそうなほどに砂が飛び散り、いてて、と反射的に声をこぼしてしまうが口の中に砂が入ってウソップは不愉快さを覚えた。

はじまってから1分ほど経過した頃。ばちばちからだに当たっていた砂塵はすっと消えてなくなり、痺れを持った体をすっと伸ばす。最初に目を開けたルフィは、ふと視界に異変を感じて探るように空に視線を這わすと。

「あ、──…!」

竜巻がふっと消える瞬間を目撃した。最後にぐるりと渦を巻いたそれは、ほろりと解けていくのと同時に黒い線を空に描いた。数線が横になってエルマルの町を後にする。その線は遠くから見ると、大きなコートを広げた男のようにも捉えられてルフィはぱちぱちと何度か瞬きを繰り返した。

「うあ…口の中に砂が入っちまった。ペッペ、」
「きゃっ、ウソップこっちに唾飛ばさないでよ!」
「おいコラウソップ! てめェアリエラちゃんの前にそんな汚ェモン飛ばすな!」
「何だったの、今の風…動きも不自然だったわ」

まるで、何者かが操っているかのような動きをナミは目をつむりながらも感じていた。けれど、そっと双眸を細めてみても消えてしまった風に答えを見出すことはできずに、思考を諦めた。

「ん、? あ、おい人だ!」

あたりを見回していたルフィが突然大きな声をあげて、理解をする前にみんながハッと彼の顔が向けられている方向に視線を流す。遠くの方に人影が地に倒れているのをボンヤリとうかがえて、ビビの瞳は歓喜に揺らいだ。

「まだこの町に人がいたなんて!」

きっとこの風に押し倒されてしまったのだろう。助けるためにビビは嬉々として駆け出したのだが、その人影に近づくに連れて足を徐々に緩やかに速度を変え、そして止めた。
彼女の異変に気がつき、ルフィたちも駆け足で寄ってみたが…。飛び込んできた光景に瞳を震わせ、か細い息を吐いた。

「……──、父が…この国の人々が…何をしたというの……?」

しゃがみ込んだビビが、その人物の頭…骸骨に手を添えて堪えきれなかった言葉を訥々とこぼした。今までに聞いたことのない低い声には、強く激しい憤りを感じる。

「砂漠の国に生まれて、自然と戦いながら必死で生きてきた人達を…めちゃくちゃにして…、何故あいつにそんなことをする権利があるの…? なぜ……ッ!!」
「…ビビちゃん、」

亡骸を手のひらに救い、目をぎゅっとつむり、ビビは枯れた砂の上に額を引っ付けた。
また何の罪もない人がここで命を失ったことに彼女の優しい心は、ぎゅうぎゅうと締め付けられる。後ろに立つ仲間の気配を今は気に留めずにビビはうっ、と悔しさをこぼした。

「その一方で、七武海として民衆の英雄を気取ってるあの男がこの国を乗っ取ろうとしていることを誰も気付いていない! 父さえも…、」
「……」

堪えてきた怒りがどんどん腹の中から湧き出て、ぽたぽた言葉として砂の地におちていく。彼女がはじめて漏らした怒りの声に、ルフィはすっと表情を変えて目の色を尖らせた。

「私は…あの男を許さない…ッ!!」

胸の中でずっと渦巻いていた瞋恚を感情的に吐き出したビビと、彼女を、この国の運命を弄び破滅へと導いているクロコダイルへの怒りをぶつけるように、感情を振るった音がみんなが立っている少し離れた場所で響いた。
え、と顔を持ち上げたビビに倣い、ゾロたちも少し離れた先に目をむける。怒り任せに強く歩いてくるルフィ、ウソップ、サンジの姿。もくもくと立ち上っている砂塵の後ろで、白い塔が倒壊するのが映った。

「まあ、ルフィくんたち…!」
「ったく…ガキだな」
「あんたらねえ」

やれやれと呆れを浮かべるゾロたちの後ろでエースがビビの前にしゃがみこむと、手で深い穴を掘って、彼女に穏やかな笑みを浮かべる。彼の意図にすぐに気がつき、こくりと頷いて二人で亡骸を安らかに眠らせてあげると、ビビの気持ちも幾分か楽になった。

「おいビビ! さっさと先へ進むぞ! ウズウズしてきた!」
「そうさ、ビビ。早く行くぞ!」
「ビビちゃん、おれァきみのためなら何でもできるぜ」
「わたしもよ、ビビちゃん! より燃えてきたわ!」
「みんな…」

むっと眉を釣り上げたままのルフィたちが先頭に着き、前へとズンズン歩き進んでいく。頼もしく大きな三つの背中を見つめていると、「私たちも行きましょ、ユバへ」とナミに背中を押され、ビビもそっと立ち上がり足を進めていく。

「ビビ。そこに反乱軍がいるんだな?」
「ええ。ユバに着いたら暴動を止めるようリーダーを説得するわ」
「説得?」
「アラバスタの災いは全てが作り物。真実を話して無駄な血が出ることを止めるのよ」
「…分かった」

最終尾に着いたゾロは、前で揺れるビビの長い髪を見つめた。
今告げられた作戦に思うことがあるのだが、でもここは彼女の国で彼女の指揮に従うのが道理だと踏んでいるから口にはしないで、そっと歩き始めた。


TO BE CONTINUED 原作161話-96話





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