121、頂上


「ええーッ、何だって!?」
「もうこの村を出て行ったんですか!?」
「そんな…っ!」
 
ココアウィードのぬくもり食堂の中でウソップとアリエラの大きな声が、次いでビビの息の飲む声が響き渡った。吊るされたランプの橙が午後の木面を照らしてやわらかな雰囲気を醸し出しているが、ドルトンに案内されてこのお店に足を踏み入れたころから微かな緊張感が漂っているのを肌で感じる。

これは魔女と呼ばれる医者が残したかおりなのだろうか。そう呼ばれる彼女は、どれほどの圧力を持っているのだろう。
 
「…さっきね、僕の病気を治してくれたんだ」
「あら可愛い子だわ。お病気だったのね、もうどこも痛くない?」
「うん! おばあちゃんのおかげでぼく楽になったんだ」
「そう、よかったわ」
 
ソファーで横になっている小さな男の子の声にアリエラは真っ先に反応して腰をかがめて見ると、ズボンを捲られて晒されている膝が真っ青に膨れ上がっていて、後ろで柔らかく笑っているビビと顔を合わせて眉を下げた。これは骨に菌が入ってしまった状態なのだろう。
幸せそうに笑っている男の子は今、痛みも苦しさもない健康なハッピーを噛み締めている。
 
「ドルトンさん。Dr.くれはを探してるのか?」
「急患なんだが…どこに行ったか知らないか?」
「くれはならギャスタの方向へ向かったらしいぜ」
「ギャスタへ!?」
 
男の子の父親であり店主に訊ねられ、お客の男性に回答をもらうとドルトンはギョッとして目を見張った。その動揺から嫌な予感を察して、アリエラもビビも曲げていた膝を伸ばして背の高いドルトンを見上げる。
 
「どこだ、そこは!」
「ビッグホーンを挟んで…この町とは正反対の方向にある町だ」
「またすれ違いかよォ!」
「今日はつくづく運がないわねぇ、ナミ…ごめんね」
「あと、スケートが盛んな町だ」
「いやそれ聞いてねェから!」
「とにかく行きましょう、ウソップさん、アリエラさん! 迷ってる暇ないわ」
「ええ。そうね、ドルトンさん。またまたご迷惑をおかけしますが、ソリを──」
 
柳眉を下げてドルトンに持ち寄ったところ、お店のドアが激しくガタっと揺れて一同は瞠目する。日常ではあり得ないほどのドアの音に息を呑むと、きい…と音を立てぶるりとする寒さと陽の光を中に差しこまれた。ややあって、ドアに縋るようにして現れたのは血だらけの男性だ。
 
「きゃっ、どうなさったの!?」
「ドルトン、さん…っ、はあ、はあ…っ、ここにいたのかっ、」
「キミは確か…今日は見張りの当番では?」
 
隊長であり、最大級の信頼を寄せているドルトンの姿を捉えると男性はホッと安堵して崩れ落ちるように体のバランスを失わせたからドルトンは小走りで駆け寄って、彼の身体を腕の中にキャッチする。
 
「どうした! 何事だ!? このひどい怪我は…」
「おれ以外の見張り人は全員やられた…っ、」
「なに…っ!?」
「海岸から…っ、潜水帆船が現れて…、みんな…あいつらにやられたんだ…ッ!」
「あいつらとは誰のことだ? 落ち着いて話を」
「はあ、はあ…っ、ドルトンさん、助けてくれ…! おれ達の力じゃ…っこのままじゃ…っ! 奴らが…っ、」
 
ここまで傷を負い、瞳を曇らせる男性の途切れ途切れの言葉にドルトンの優しい瞳も徐々に鋭利を増していく。名をこぼさなくても分かってしまって、そして今この島が襲われている事実に激しく心悸する。その時、タイミングを見計ったように外で「ワポルだーっ! ワポルが帰ってきやがった!」と慌てふためく男性の声が響いて、それは紛れもない確信に迫ってしまった。
 
まさか、のこのこ帰ってくるとは──。いても立ってもいられずに、ドルトンは男性を優しく寝かせると誰の言葉も振り払いお店を飛び出て、のんびりお散歩していた牛に飛び乗り、海岸の方へと向かって行ってしまった。
 
 ──ケリをつけてやる…ッ、正義を掲げるつもりはない。貴様と私は“同罪”なのだから…。
 
徐々に己の姿を“牛”に変えていき、ドルトンは走らせていた牛から飛び降りて四足歩行で素早く林を駆け抜けていく。そう、彼も悪魔の実の能力者だったのだ。
 
 
    ◇ ◇ ◇
 
 
奸悪が再び地に着くと同時に、元悪の住む城付近も恐ろしい地響きに包まれていく。原因はワポルではなく、ルフィとサンジへの威嚇からはじまった大量のラパーンのジャンプなのだが…。
この地響きと揺れに最悪がよぎり、煙草を雪の上に落としたサンジは丸くした青い瞳にたっぷり水を張っていく。
 
「嘘だろ……」
「なんだあ? この揺れ」
「…やりやがった、あのクソうさぎ!!」
「おい、サンジどうしたんだ?」
 
限界に達した水はサンジの目尻で止まりほろりと頬を伝った。
 
「何だよ一体」
「おい、逃げるぞルフィ!」
「逃げるってどこへ?」
「どこでもいい! 遠くに逃げろ! 雪崩が来るぞぉおお!!!」
「雪崩!?」
 
ええ、とギョッとしたルフィはサンジに急かされるまま足を動かした。背中にナミを背負っているから船長の後ろにつき、警戒しながらサンジも走り出す。坂のてっぺんを見上げるとどっぷりとした大量の雪の層がこちらに向かって降ってきていた。
 
「あのクソウサギ共!! 絶対許さねェぞ!」
「どどどどうしたらいいんだ!? サンジ!」
「知るかよ! とにかく1にナミさん、2にナミさん! 3にナミさん4にナミさん5にナミさんだ!! 分かったか!? 死んでも守れ!」
「うん、分かった!! でも、どうすればいいんだ!?」
 
あれほどに大量、トンを余裕で超える雪の層だが地を滑る速度は人間のスピードを遥かに凌駕する。このままじゃいとも簡単にあの雪に飲み込まれてしまう。走りながらサンジはあたりをきょろりと見回して、すぐ脇に少し出っ張っている崖を見つけた。
 
「あれだ、あの崖に登れ!」
「えっ崖!?」
「走れ!! 少しでも高い場所に登れ!!」
「うー!」
 
もう雪崩の層は寸前に迫っている。ほんのギリギリに二人は横切って、サンジの目指す崖に飛び乗ったはいいものの…。
 
「ダメだ…! 高さが足りねェ!!」
「うおおおっ!!」
 
避けるにはあと数メートル足りなく、ルフィとナミとサンジは洪水のように怒涛に迫ってきた巨大な雪の波に飲まれて飛ばされてしまった。激しく宙を舞う二人。ひゅーんと冷たい風に肌を刺されながらルフィは「どーしよこれ」とのんびりした声でこぼした。
 
「うわああーっ!」
 
低い叫び声にふと目下に目を向けると、同じく飛んでいたサンジはいつの間にか着地してしまってて雪に飲み込まれる寸前だ。これほどの雪に包まれたら押すものがなくて、もがくこともできないのだろう。
 
「あ、そーだ。サンジ! 掴まれ!」
「おうっ助かった!」
「うん、でもな…」
 
ルフィの真横で空中遊泳している木を見つけ、腕を伸ばしたサンジを引っ張り上げてこの木の上に三人乗ったはいいものの、勢いを孕んだ木のソリは猛スピードで坂を滑っている。
 
「雪には沈まねェけど! このままじゃ一直線に山下りちまうんだ!」
「……! 冗談じゃねェよ…! せっかくあの“えんとつ山”の麓に辿り着くとこだったのに! もう一歩で医者だったんだぞ!? ルフィ、何とか止まる方法を考えんだ!」
「うん!」
「クソ! あのクソピョン軍団! 次あったら鍋でコトコト煮込んでやる!」
 
うーん、うーんと考えるルフィの声を鼓膜で受け止めながら後ろを振り返って見ると、真っ白のもふもふは寸前に降ってきてて、はっとした頃にはこの雪崩を起こしたラパーンたちはルフィ達の木のそばに寄ってきてスキーを始めた。
 
「「なにぃぃぃい!!??」」
 
雪にすむウサギだからこんな雪崩は日常茶飯事なのだろう。余裕のそれを見せてニヤリと笑う彼らに二人の怒りバロメーターはぐんぐん伸びていく。と、思ったら今度は飛び交ってパンチを入れてくるしもうめちゃくちゃだ。
 
「どうするサンジ!」
「方法は一つしかねェ! よけろーー!!」
 
空を飛ぶ木の上に跨っている二人はパンチやキックを振るってくるラパーンの攻撃を左右前後に体を捻って避け続ける。この雪がなければ全員蹴り飛ばしてやったのに、と苦虫を噛み潰し前方を確認すると信じられないものがサンジの瞳に飛び込んできた。
 
「ルフィ! 前みろ、前!!」
「えっ!」
 
この木が飛んでいる先にあるのは折れた3本の木の根本がトゲトゲしく剥き出しになっている坂道だ。あれを食らったら全身刺されて動けなくなってしまうだろう。ルフィはわなわな震えて大きく目を見開かせた。
 
「うわあ! ぶつかるーーッ!!」
「ぶつかっちゃまずいだろ! てめェはナミさん背負ってんだぞ!?」
 
後方にはラパーン軍団、前方には剣山のような木の根っこ。ルフィ達に負担がかからないのは──。考えると、サンジはミトンの中で拳をぎゅうっと握って決断する。
 
「うわああ! ぶつかる、ぶつかるぞサンジ!!」
「ルフィ。レディーはソフトに扱うモンだぜ」
「えっ、」
 
前に座っていたルフィの首根っこを掴み、後ろの方へと投げ飛ばすとサンジはそのまま自分が身代わりに木へと突っ込んでいった。厚着をしているが、余裕で布を貫通し、サンジの背中を刺し、それでも勢いはおさまらずにサンジは大きくバウンドして下段へ落ちていった。その時、雪崩も急激に圧をかけてはやくなり、ラパーンをも巻き込み滑っていく。その巨体が勢いよくサンジの背中にぶつかり、突撃で折れた骨がより増えていく。
 
「うう…っ、流石に、利くぜ…っ」
「サンジ! お前、そういう勝手なことするなァああ!!」
 
冷や汗をかいたルフィは、じっとりとした背中を感じながらサンジに向かって勢いよく腕を伸ばす。雪の中から伸びて見えるのはサンジの水色のミトンだ。それをキャッチするが肉厚感はなく、ルフィが手したのはその布だけだった。
 
「うわあ! 手袋だけ!! うわあああ! サンジっ!!」
 
焦燥を抱いたルフィの叫びが雪山でこだまする。たっぷりとした雪に包み込まれたサンジの黒いコートがうっすらうかがえて、位置を確認できたことにルフィはひとまずホッとするが彼が雪を掻き分けて姿を見せる気配はない。それもそのはずだ。ルフィとナミを守るために自分が犠牲となって大量の血を流し、何本も骨を折り、この圧に飲まれたのだからもう意識もないだろう。普段おとぼけのルフィもそれはすぐに察知して、ごくりと息を飲み、瞳を震わせた。
 
 
それから数分後。あれだけの轟音と振動はゆるりと次第におさまって、あたりは全て雪に飲み込まれてしまった。さっきまで見えていた木も雪に埋まってその頭を隠している。深い雪を踏みしめて、ルフィは高い場所まで登るとナミのロープを解いて崖の出っ張りにそっと寝かせた。自分のコートを脱ぎ彼女の上にかけてあげる。依然、ナミは魘されて荒い呼吸を繰り返していた。
 
「ナミ、寒いか? もうちょっと我慢しろよ」
 
最後に帽子を脱いで彼女のお腹の上に乗せると、ルフィは「これ持って少し待ってろよ」と残し、サンジを救出しに崖から飛び降りて数メートル下の雪地帯へと足を踏み入れた。それから20分ほど経過した今、ルフィは無事にサンジを救出し、ナミを背負い結びなおすとさっきとは一変し、不気味なほどに静かな山道を歩いていく。もうすぐで麓、そんな時。大きなラパーンの腕が雪の中からひょっこり出ているのが見えてルフィはそこに視線を集中させた。手首から下全ては埋まっていて、きっとこのラパーンは親なのだろう。手首の側ではまだウサギサイズの小さな子ラパーンが目尻に涙を浮かべて雪を掘っていた。
 
「うううーッ!」
「……」
 
近づいてきたルフィをひどく警戒し小さな身体を張って親を守ろうと喉を鳴らして威嚇をするが、当然ルフィには何の効果も持たない。無表情のままゆっくりと足を踏み入れて、親ラパーンの手首を掴むと「よっ、」と静けさの中に力む声をこぼし、自分よりもずっと大きくずっと重たい彼を、二人背負いながら救出したのだった。
 
「……」
 
外に出してあげたらそれだけ。ルフィは何にも求めることなく、すぐに真っ直ぐ麓を目指して行ってしまう。その大きな後ろ姿を親ラパーンは顔を濡らしている子どもをあやしながらじっと見つめていた。
 
「……必ず連れていくからな。死ぬんじゃねェぞ、二人とも…」
 
凍てつく寒さに全身真っ赤に染めたルフィは実はもう寒さの限界だった。このまま止まったら足から凍傷が始まりそうなほどに危険な状態。だから一刻も早く二人を送り届けないとまずいのだが──。
 
「いたぁああ! 見つけたぞ、麦わらーーッ!!」
「…ん?」
「待て小僧ーーっ! よくも数々の非礼を働いてくれたな、てめェ! ぶちのめしてくれる!」
 
なんか聞き覚えがあるなと呑気に振り向いたら、そこにはカバに乗ったワポルの姿があった。彼は強烈な行為をメリー号で働いたため、興味ない人物は覚えられないルフィの脳裏もふわりと目の前の人物が誰なのか照合してくれた。彼の後ろには側近のチェスとクロマーリモも同行している。数々の無礼と称し、ルフィに怒りの牙を向けている三人はこの雪崩もどうやら彼が起こしたものだと勘違いをしているようだった。
 
 
 
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