追慕 | ナノ






さと姉の家は、家族が出稼ぎに行っていて、ほとんどさと姉一人で住んでいる。さと姉の親はたまに帰ってきては町の珍しいものを置いていくから、外見はただの田舎の家なのに屋内は小物屋の様になっている。中には使い方のよく分からないものも多くて、さと姉はいつもちょっと眉を下げて、もう、とか何とか言うのだけど、それが本心で言っている訳じゃないことくらい、俺にはとっくに分かっていた。何故って、さと姉は眉を下げて文句を言いながら、いつも目尻は緩みに緩んで口元はうつくしく弧を描いているからだ。


「なぁさと姉、俺腹へったー」
「……あ、うん…」
「?なぁ、今日は作らないの?」
「………うん、今日は、疲れちゃったから。また今度ね、ごめんね」
「そっかぁ、じゃ今度、絶対!」


そう言って小指を差し出すと、さと姉は一瞬泣きそうに笑って小指を絡めた。二人で歌う指切りげんまんの歌は、家中に置いてある変わった小物の隙間に吸い込まれていった。不思議とさっきまで感じていた空腹感は消えていて、俺は自分の腹を右手でさすりながら見つめてみる。変だなぁと思っていると、がたがたと風で引き戸がなる音が響いて、慣れ親しんだ音のはずなのに、びくりと肩が跳ねた。さと姉は自分の着物を一枚持ってきて、それで俺をくるんと包んで膝に乗せてくれた。俺は嬉しくて、さと姉の胸元の着物をぎゅっと握りしめて頬を擦り付ける。きりは甘えん坊ね、と微笑むさと姉の指が前髪を梳いて、押し付けた頬と反対の頬を二回撫でてから背中をぽん、ぽん、と柔らかく叩く。


「さと姉」
「なぁに、きり」
「…、なんでもない」
「そう…」
「………さと姉」
「……なぁに」
「………さと、姉」


どうしてだか不安になる。これが日常のはずなのに、なんでこんなに恐くて堪らないんだろう。引き戸がなった時とは違う恐さに、無意識にさと姉の着物を握る力を強めていく。何が恐いのかも分からない、ただ、このままでいられたら、それはどんなに優しくて、甘やかで、幸せなんだろうかと。そんな風に、ふと考えた。







あれから少しして、さと姉の腕の中で眠ってしまったらしい俺は、薄い布団のなかで目を覚ました。深く息を吸ってみても、何故かさと姉の優しい匂いはしなかった。まぶたを閉じてまた眠ろうかとしても、なんだか目が冴えてうまくいかない。すごく大事な夢を見ていた気がするのにどうしても思い出せなくて、ざわりと苛立つ気持ちを押さえ付ける様に掛け布団を抱きしめた。今日は怖いことだらけだ。昔はさと姉といると安心して、怖いことなんて感じなかったはずなのに変だなー、そう考えて、あれ?と首を傾げて小さく呟いた。


「昔は…?」


昔って何だ。俺はさと姉といて、怖いことなんて、今までなかったし、昨日だってこわくなかった。昔ってなんだよ。俺は、なにか、大事な、なにかを、わすれていないか?ぐるぐる渦をまく思考が気持ち悪い。何も食べていないはずなのに、胃腸の下がかぁっと熱くなって吐きそうだ。喉の奥に力をこめて競り上がる胃液をやり過ごすと、生理的なものだろう涙がじわりと滲んで、こめかみを伝い薄汚れた布団に吸い込まれていく。さと姉、俺は一体何を忘れて、あなたは一体何を隠しているんだろう。それに気づきたいのに、気づけばさと姉が消えてしまう、そんな気がして、俺は唇を噛み締めた。さと姉、さと姉。


「っう、ぐ…」


嗚咽を飲み込んで、左手でぐいと涙を拭いた。まだ食道の奥がむかむかしたけど、我慢してさと姉の背中を見つめる。あんなに細かっただろうか。俺は布団を這い出て、さと姉の腰にしがみついた。そのままずるずると膝の方へ移動してうずくまるとさと姉の手が頭にふわりと乗っかって、さっき拭いたはずの涙がまた溢れてきた。


「きり、恐いの?」
「ぅ、うぅ、っふ、」
「…ごめんね、もうちょっとだから」
「…っぅ、ぁ、も、ちょっと…?」
「ええ、もうちょっと。だから…まだ、まだもう少し側にいて頂戴な、きり」


そう告げる声が酷く優しい。違うんだよ、さと姉。俺はさと姉が恐いんじゃないんだ。さと姉と離れるのが、この幸せが白い息みたいに溶けてしまうのが、恐いんだよ。幸せすぎるのが恐いなんて思わない、幸せなら幸せなままでいたい。さと姉のそばでゆっくり畑仕事をしながら、さと姉のご飯を食べて、さと姉の薄い布団で二人で温もることができたらそれだけでいいんだ。そうなりたいんだ。

俺は、分かりたくないんだ。



111217




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テーマ「人外ファンタジー」
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