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花街一の大見世がある手鞠屋の、隅にひっそりとある階段を行くと長い廊下が続いて、襖の向こうからまぐわう物音が微かに響く。左右からのねとつく空気を切るようにその廊下のどん詰まりまで歩き、正面の真白な襖をおともなく開けば、いつもの様ににやりと笑うそれがいた。


「三郎、よく来たね」
「…おう」


その部屋は赤かった。壁も天井も女の着物も、赤かった。濃紺を纏う自分は酷く場違いな気がして、女の赤い着物からぬらりと生える白魚の様な手に招かれるまでいつも三郎は部屋に入れないでいるのだった。こうして逢う度もう仕舞いにしようと、そう思うのに、離れればこの爛れた招き猫をこの目に焼き付けたいという衝動が抑えきれない。最早これは呪いだと、三郎は心の内で呟いた。眩暈がする程の赤、部屋を満たす甘い香、白い女の肌に具わるぽてりと光る薄紅の唇や漆黒の目、それから着物に無造作に広がる濡れ羽色の長い髪、凡てが忍ぶ者である己には毒であると、気づいた時には遅すぎた。


「ねえ三郎、御覧。頼んであった打掛が届いたよ」
「また赤かよ…それにすげぇ柄だな」
「曼珠沙華と狐、わたしと三郎みたいでしょう」
「………まぁ、いいんじゃないか」


しっとりと光る絹織の打掛には、大小の銀色に煌めく曼珠沙華と、それにじゃれつく様にして戯れる黄金の狐が刺繍されていた。こんな打掛はこいつ以外注文しないだろう、依頼された主人もさぞ不気味だったろうに、と思った。ただ、自分がこの打掛に逸れほど違和感も嫌悪感も抱いていないことに少しだけ自嘲した。結局は堕ちたものが負けなのだ。





初めて三郎がこの女――鶸に出逢ったのは、三郎が色の任務を熟しに手鞠屋を訪れた時であった。三郎が五年になったばかりの春である。こうして色事の場数を踏み色に溺れぬ訓練がてら女を悦ばせる技量を手につけろという、一石二鳥を狙った任務である事は分かっていても、三郎は気が進まなかった。面倒であった。特にどこをどうしてやろうと気をつけなくとも、女はいつも髪を振り乱し気を遣り、己をぎゅうぎゅう締め付けるのだ。他から天才と賞賛される鉢屋三郎は、蜜事でもその天つ才を、無意識ではあるが遺憾無く発揮したのである。――しかし。


「(女郎も暴けばただの女か…ま、美人ではあるが…つまらないな)」

こう言うのも何だが、商売女であるからにはもっとそれなりの手管があるのだろうと踏んでいた三郎にとって、毎度ただの女を抱いている感覚に過ぎない色の任務は退屈そのものであった。あまり手を出さねば膨れっ面をするが、その癖手を出せば今までの威勢が嘘かのようにへたりこみ、ふるりと震えるのだった。

今日も今日とていつも通りに女郎を抱き、いつも通りに学園へ帰ろうと部屋を出た。他の襖からはくすくすと笑う女の声がして、三郎は友を思い溜息をついた。普通は馴れないものだろうに、笑ってやるのは止してやってほしいものだと、そう考えているとふと視線を感じた。右の頬辺りがちりちりする様な妙な感覚に振り向けば、少し開いた真っ白な襖から、女が手招きしていた。そういえば聞いたことがある、と、三郎は学園を出る際にある噂を語ってくれた同室の親友の話を思い出したのだった。曰く、手鞠屋の二階、座敷の連なる廊下の突き当たりには真っ白な襖があって、その部屋には手鞠屋の太夫である、恐ろしい程に美しい女が居るらしい。太夫は自分の気に入った男以外は客をとらず、その手練手管は花街のどんな女郎も敵わぬらしい、と。

三郎は、にぃっと笑うその女が面白かった。一体自分のどこを気まぐれな太夫が気に入ったのかは定かではないが、噂話を確かめるには持って来いの機会である。招かれるままに襖に近づくと、白い指先が三郎の手首に触れて、直ぐに襖の向こうへ引っ込んだ。体温が低いのか、ひやりとしている。立ち入るべきか否か迷っていると、中から高すぎず低すぎずそれでいて凛と響く声で「お入り、小さいの」と呼ばれ、内心むっとしつつ襖を右手ですっと開いた。


「………は、なんだ、これは、」
「ふふ、驚いた?」
「……いや、……随分、……変わった趣向だな」


太夫に気をとられていたとはいえ、襖から覗く鮮やかさに気づけないとは忍者として如何なものか、そう三郎は頭を抱えそうになった。その部屋は襖とは対照的に、これでもかという程赤かった。唯一赤くない畳の上さえ南蛮の赤い敷物が敷いてあり、畳はその敷物を囲うようにぐるりと見えるだけであった。その敷物に無遠慮に座った三郎を見て、太夫は嬉しそうに表情をまろばせる。きれいだと、思った。


「小さいの、中々お前は面白いね。わたしの名前は知っている?」
「知らん。それと私は小さいのじゃなくて鉢屋三郎だ」
「そう。わたしは鶸という。三郎、女を買うのは楽しい?」
「…………任務じゃなきゃ、来ようとは思わないな」
「ふふふ、そうかぁ」


そう控えめに笑って、鶸は着物の袷から紅を取り出してするりと三郎に近寄ると、人差し指で大量にそれを掬い取り三郎の唇にべたりと塗り付ける。そうしてそのあと、噛み付く様に口吸いをしたのである。絡み合う舌に紅の味がした。不味かった。暫く徒に口吸いをして舌を愛撫して満足したのか、鶸が唇を離して額をくっつけた。こんだけ近けりゃ美人も美人なんだか分からないなとどうでもいい事を考えていると、鶸はまたふふ、と楽しそうに笑った。


「じゃあ次の任務からはここにおいで。まぐわうよりも話をしよう、三郎、お前が気に入った」





あれから三郎は色の任務はもちろん、休日に気が向くとここに来ていた。今日も例に漏れず、である。最初は太夫を買う金なんてあるかと思い屋根裏から忍び込んでいたが、心配せずとも金なんてとらないから門から入っておいで、鼠じゃ在るまいし、と爆笑されてからはその通りにしている。というか忍者なんだから屋根裏を使って笑われる筋合いはないと思う。忍者は全員鼠か。


「何考えてるの、三郎」
「鶸に笑われた時のこと」
「ふふ、意地が悪い」
「鶸」


名前を呼んで口を吸った。三郎と鶸はこうして唇を合わせることはあれど、繋がったことはなかった。お互いにそれを望まなかった。繋がれば今のままでは居られないと分かっていた。三郎は、きっとこの赤い部屋は鶸が自分で拵えた子宮なのだと思った。ここには鶸が望むものだけしかない。甘く温い空気は子宮を満たす羊水であり、そして自分は鶸と外界とを繋ぐ臍の緒なのだ。
あむあむと重なる唇の中で混じる唾液をこくりと飲みこんで、三郎はゆっくりと鶸の打掛を肩から落とした。びくりと鶸が震えたのを感じて薄目を開けると、鶸は眼を大きく見開いていた。三郎は視線でにやりと笑うと、口吸いを再開しながら鶸に覆いかぶさった。鶸は抵抗しない。けれども求めては来ない。


「ん、は……なあ、鶸、私が鶸を育ててあげるよ」
「さぶろう、いまさら、」
「だから私のところまで堕ちて来ればいい、簡単だ、」
「そうかな」
「そうだ」


稀に赤子の首を臍の緒が締め付けて死なせてしまうことがあるらしいが、そこまで考えて三郎は薄く笑った。私が搦め捕ったんじゃない、鶸が私を太夫という地位の首に絡ませたのだ。太夫としての鶸は、恐らく私が抱けば死ぬのだろう。そんな気がする。事を済ませたら、鶸には髪を切って貰おう。それを残して学園へ行こう、学園長には…まぁ言い訳は後に考えるか。どうにかなるだろうし、どうにかすればいいだけだ。三郎は久々に自身が昂ぶるのを感じながら、鎖骨に舌を這わせ前結びの帯を解いた。時分は宵の口、時間は二回気を遣っても余りあるだろう。優しいのが好きかと尋ねると鶸は堪え切れぬという風に大きく笑ったのだった。
「三郎がわたしに一度だって優しくなかったことがある?出来ぬことは言わない方がいい、お互い様だよ」と。



密葬されたあなた・わたし

111104




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