逃亡
軍師の弟子と二人、これほど気まずいものだとは思わなかった。
「あの、李雪殿、あなたは…」
「なんで私が、“同僚”の立場になったかわかるか?」
軍師の弟子の言葉を遮って告げる。
え?と明らかに首を傾げて、それから考え込む。
「それは私と違って、既に力があるからでは?」
「違うな。私は徐庶と二人で一組の扱いだが、徐庶に私が必要な訳でもないし、徐庶を引き継ぐ訳でもない」
「…どういう、意味ですか」
「お前は、後継として選ばれたってことだ」
後継?と鸚鵡返しにする軍師の弟子は、驚いたように目を見開く。
自嘲気味に唇を動かして、唖然としている顔を見た。
「後はあれだ、私は表に出るべきではないからな」
その頭をガシガシと撫でる。
されるがままに固まった軍師の弟子を放置し、踵を返した。
蜀漢を作るのは、大変だったとも、簡単だったとも言える。
根回しも十分だったし、その地を治めていた君主の評判が酷く悪かったこともある。
内通者もいたし、民たちも協力的だった。
…新たな信者か、と遠い目をしかけた私の肩を叩いたのはホウ統だけ。
あ、阿斗様も彼らには、何が見えてるのだろうか、とゆったりした口調で首を傾げている。
民たちも入り乱れてお祭り騒ぎが始まった。
武将たちには、治安維持を優先しながら楽しんで来いと告げ、私はホウ統と一緒に仕事場へ向かう。
文官たちも何処か浮き足立っており、行きたきゃ行けと背中を押しておいた。
「さてと、こっからが大変だな」
「法律の草案は…お前さんが持ってるんだったかい?」
「ああ。これが諸葛亮案、私の世界の一端、それから…孫呉の法だ」
にやり、悪い顔をしてみせる。
見えにくい瞳が驚いたように見開かれたのを感じた。
一拍おいてホウ統は面白そうに笑う。
彼はすべての木簡、竹簡を並べ、見比べながらそうさねぇ、と呟いた。
「よくまあ、孫呉から持って来れたもんだ」
「…私は、くれとは一言も言ってない」
いい訳を告げるように、ぼそりと付け足す。
ちらり、と見られて、何となく言うんじゃなかったと、視線を逸らした。
くすくすと小さく笑われて、余計穴に入りたくなった。
「…笑うな」
「お前さんも中々わかりやすいねぇ」
「うるせぇ、アイツらと違って素直なんだよ」
告げてから、並べた法案を見比べ始める。
とは言え、そこまで法律に詳しい訳でもなく、此処の土地にどんな法律が適しているのかもわからない。
今の時代に合う法律も曖昧だしなぁ…。
この辺は専門家に任せてしまおう。
そうと決まればすることは一つ。
逃亡じゃぁ、役に立たなそうな私は城の中を調べてくる。
そう言えば、ホウ統は仕方ないね、と静かに目を細めた。