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今日も君に振り回される幸せ「すいませーん、隣いいっすかー?」
「え?…はい、どうぞ」
水町が声をかけた女性は、にこり、微笑んで少し寄ってくれた。
サンキューと、感謝しているように思えない水町の言葉にも丁寧にどういたしまして、と返す。
口元に引かれた真っ赤なルージュがとても印象的で。
試合までまだ時間があるのに、どこかの関係者なのだろうか。
「おねーさん、名前は?俺、水町健悟!で、こっちが筧駿」
「ふふ、水町さんに筧さん、ですね。私は氷雨です」
名字だと呼ばれ慣れていないので、下の名前で呼んでもらってもいいですか?
丁寧な口調に柔らかな物腰。
ふと、左手を確認するが、特に指輪はない。
不思議に思っていると、水町が勢いよく振り返った。
「ンハ!なら、俺たちもそれでいいよ!な、筧!」
「え、ああ、構わないが…」
「健悟さんに駿さんですね。よろしくお願いします」
くすくすと楽しそうに笑う彼女を見ていると、水町がニヤニヤと笑い始める。
それから、そうだ、と声を上げた。
「名字慣れてねーってなんで?結婚?」
「残念ながらハズレです。そんな相手が居そうに見えます?」
眉を下げて笑う姿が、とても魅力的だ。
どきどきと心臓が早く動いているのがわかるが、表情に出ないよう気をつける。
じゃぁ、彼氏とか好きな人とかもいねーの?と続ける水町に驚きながらも、耳をそばだてた。
いませんよ、と楽しそうに笑って、そういう健吾さんはどうなんです?いるんでしょう?と話に乗ってくる。
ぽんぽんと会話を続ける二人を静かに見ていた。
と、突然、彼女が俺をじっと見つめる。
水町も不思議そうに俺に目を向ける、が、俺は何もやっていない。
「なん、でしょうか」
「すごく綺麗な目ですね、吸い込まれそうです」
じっと真っ直ぐに俺を見つめてくる瞳に顔が赤くなるのがわかった。
じわじわと熱くなる頬に逸らすことができない視線。
何か言おうとして、何も言えず。
「ンハ!めっずらしー、筧真っ赤!!」
「っ、黙れ水町!」
水町の声でハッと気がついた。
とりあえず、照れ隠しに水町を殴って、ちらりと確認するように彼女を見る。
ぱちり、ぱちりと瞬いて、それから俺たちに笑いかけた。
「仲が良いんですね」
その直後、さっきまでの雰囲気が消えて、真剣さを帯びる。
フィールドに視線を向ける彼女は、やはり、ただの応援ではない。
ビデオカメラを取り出して、全体を写す。
それから、資料を取り出して声を吹き込んだ。
「毒針スコーピオンズ対泥門デビルバッツ、相手の癖を読むスコーピオンズと相手の裏をかくデビルバッツ」
彼女はそこで一息ついた。
そして、視線をフィールドに向けて、無感動な声で続ける。
「8強になるのは、どちらか」
口元が緩やかに弧を描く。
真紅がゆるりとつり上がって、視線は鋭く、細められていた。
その顔にぞくり、と背中が粟立つ。
ごくりと自分の喉が上下したのがわかった。
俺と水町は、声をかけることができず、静かに視線をフィールドに向けた。