【2】

電話が鳴った。

「はい、有元です。」
春の母はそう言って通話ボタンを押した。
同時に相手の立体映像が浮かび上がる。

知らない人物だった。

〈今晩は、夜分に申し訳ありません。わたくし、国連人間能力開発基金日本支部の神崎と申します。有元春さんのお宅でしょうか?〉
「はい、そうですが……国連……?」
〈有元春さんのことで少々。今、ご家族の皆さんは御在宅ですか?〉
「は……はい。春以外はおりますが。あの、いったい何が?」
〈ご家族全員にお話しします。電話の周りにお集まりいただけますか?〉

神崎と名乗ったその男の口から説明されたことは、典型的な中流階級の有元家の面々にとってはにわかに信じがたいものだった。というより、半分も理解できない。
「ちょ、ちょっと待ってください!超能力とか何とか、突飛過ぎて何も……!」
有元家の主、春の父は当惑し切った表情で神崎をさえぎった。
「突飛過ぎる話」というのは、次のようなものだった。


神崎の所属している「国連人間能力開発基金」は国連開発計画の中の一部門である。
それは能力者の育成・保護などを行う唯一の公的機関。

能力者とは何なのか。
俗に言う「超能力者」のようなもので、ここ数十年わずかながら確認されている人々のことである。わずか、というのは、能力者の数は地球の全人口の0,001パーセントにも満たないからだ。
能力者はそれぞれ異なる能力を持っている。例えば、テレパシーのように動けたり、物を見えなくしたり、というものである。

「そ……それで、うちの春がなぜそんなことに関わりが?」
〈実は……娘さん、春さんが、どうやらその能力者の一人らしいのです。〉
「!?」
〈能力が現れるのはちょうど春さんくらいの年頃なんです。私たちはそれを「開花」と呼んでいるのですが…開花する時には、ごく微弱な電波のようなものがその人から放出されるのです。今日21時48分、我々はその電波を感知し、その場に急行したところ、春さんが倒れていたんです。
検査をしたところ、間違いなく春さんは能力者だということが判明しました。〉

「なんてこと……あの、それで、春は大丈夫なんですか?」
母、美幸は少し青ざめた顔をしていたがしっかりとした声で聞いた。夫と比べると少しは柔軟にことを受け入れられそうだ。
〈はい、その点についてはなにもご心配はありません。国連人間能力開発基金が責任を持って保護しております。けがなどもなかったとのことです。
それで……本当に申し上げにくいのですが、春さんはこれから、ニューヨークにある当基金の本部にて教育や訓練を受けることになります。意識が戻り次第、すぐに移動となります……〉
「そんな!いきなりそんなこと……会うことはできるのでしょう?」
〈申し訳ありません、開花直後の能力者というのは2〜3日、長い人で一週間ほど昏睡に入ります。身体的な危険は全くありません。しかし目が覚めた時には『自分』という認識や『自分』に関する記憶があいまいになっており、自分の名前すら思い出せないという人が多数です。そんな不安定な精神状況ですので、ご家族といえども面会はご遠慮いただいているのです。〉
「そんなこと、納得できるわけがないじゃありませんか!春は私たちの娘です!なんとか……何とか会わせてください!」
〈……申し訳ありません……覚醒前であれば、東京の支部に来ていただければ会うことはできます。身の回りのものなども、その時に持ってきていただくことになります。ニューヨークへ移動後も、手紙や物は自由に送っていただけます。突然のことですし、納得できない部分もあるかとは思いますが、これが能力者を守るのに一番よい方法なんです。どうか、ご理解の方、よろしくお願いいたします……〉

「……すみません、もう、何が何だか……少し、家族で話し合ってみます。」
〈はい、お願いします。ですが、覚醒した後だと全く会えなくなってしまいますので、できれば数日中にお越しくださいますよう。
何かございましたら、こちらの電話番号までお願いいたします。それでは。〉



2日後。
春の家族は国連人間能力開発基金日本支部の建物にいた。
決心したらしい。春の着替えや身の回りのものをまとめたキャリーケースを引いている。

「どうも、ようこそいらっしゃいました。さ、こちらへ。」
出迎えたのは神崎だった。

春の眠っている部屋は質素ではあったが清潔な部屋で、想像していたのとは違い、いわゆる病院のような雰囲気はなかった。
春は静かに寝息を立てていた。電話で神崎が言っていた通り、健康面は問題ないようだ。
「春、春、起きて……」
美幸は小声で呼び掛け、そっと春の手を取った。
「お母さん、この昏睡は外からの力で覚醒させることはできないんです。自分の力というか、タイミングというか……まだよくわかっていないのですが、ふと目を覚ますのです。」
父と母はしばらく春の手を取って静かに寝息を立てている春をじっと見ていた。


「申し訳ありませんが、そろそろ……」
神崎がおずおずと口を開いた。
「大丈夫ですよ、きちんと教育は受けられますし、安全保障も万全です。それに金輪際会えないわけではないんですよ。数年は能力の制御などの訓練ですが、精神や記憶が安定し、自分の力をうまくコントロールできるようになればまた会えるんですから。長めの留学とでも思ってくださればいいのです。」

「そうね、私たちがこんなに沈んでいても意味がないわ。永遠に春を失うわけじゃないんだもの……ねえ、あなた。」
「ああ……手紙なんかも送れるということだし……」


穏やかな春の寝顔を見たからか、両親は幾分吹っ切れたという表情で支部を出た。



***


「すみません、少し遅れてしまいました!」
春の両親が支部を後にしてすぐ、一人の若い男が支部に駆け込んできた。
明るいブラウンの髪ととび色の目をした西洋人だ。

「あなたがハロルド・エルガーね。私は東京支部・支部長の結城早苗。ほんの少しの間だけど、よろしくね。」
結城と名乗った女性はそう言いながら首から下げたネームプレートをハロルドに見せた。

「さあ、もういつ目覚めてもおかしくないわ。手っ取り早く引き継ぎをするわね。こっちへ。」
結城は颯爽と歩きだした。パンツスーツが似合う典型的なキャリアウーマンといった感じだ。


「ハロルド、あなたに担当してもらうのはこの有元春という子。17歳の高校3年生。海外に行ったこともないし、あんまり外国人と接触したこともないみたいだから、慣れるまでに少し時間がかかるかもしれないわ。でもまあ、問題児っていうわけでもないし大丈夫よ。」

結城が連れて来たのは春の眠っている部屋だった。

「ちょ、俺、初めてなんですけど……なんていうか、どうやったらいいんですか?」
春を見ながら、ハロルドは言う。

「大丈夫、普通に仲良くなればいいの。後輩ができたんだと思えばいいわ。まあ…最初はすごく不安定だから、その辺だけ気をつけてあげて。あなたも先輩にはそうしてもらってたでしょう?それを還元していけばいいのよ。」
結城はそう言うと春の情報が記されたファイルをぱたんと閉じ、それをハロルドに手渡した。

「それじゃあ、脳波が安定してきたみたいだし、もうすぐ目覚めるから私はもうお暇するわ。良い、ハロルド。目覚めた春ちゃんが最初に目にするのがあなた。そして、これから側にいるのもあなた。春ちゃんが頼れるのは当分の間あなただけよ。それを肝に銘じておいてね。」

スーツの皺を直すと、結城は現れた時と同様、颯爽と春の部屋を後にした。


取り残されたハロルドは、結城に渡されたファイルをぱらぱらとめくって、しかしすぐにそれを閉じると寝ている春を見た。
――日本人かあ。純日本人って、あんまり話したことないなあ。あ、結城さんは日本人か。まあでも結城さんはなんていうか、国際人だしな。…東洋人、って言ったら…玉麗くらいしか後は知らないな――

そんなことをとりとめもなく考えていたら、ごそ、と寝返りを打つ音が聞こえた。
覚醒が近い。

にわかに緊張して、ハロルドは思わず立ち上がって春の顔を覗き込んだ。

「う…ん……」
かすかに声が聞こえて、少し眉をひそめた。

と、まぶたが震えて目が開いた。
霞を払うように何度か瞬きする。

視界がはっきりして、その瞳の焦点が合うと、ハロルドの顔が映る。
「……わ…た、……」

喉から出てきた声はかすれていた。数日間眠ったままなのだから当たり前だ。
「起きれる?」
ハロルドはそっと春の背中に腕を入れて抱き起こすと、コップに水を入れて渡した。

しかし春の手にはまったく力が入らないようで、今にも落としそうだった。背中を支えている腕も、今どければまた倒れてしまいそうだった。背中に手を添えたまま、コップを春の口に近付けて、ゆっくり水を流し込んだ。

ゆっくりと、かみしめるように水を飲み込んだ春は、しばらくして口を開いた。

「……わ…たし、……何…」
「大丈夫だよ。自分の名前、思い出せる?」
「私、の、…なまえ……」
春はぼうっとする頭で考えた。
考えに考えて、しかし靄の中にいるようではっきりと思い出せない。
自分の、名前なのに。

「ど、して……自分の名前が、わから…ない…」
春はそうつぶやくと自分の腕で自分の体を抱きしめた。
背中に手を当てて支えていたハロルドは、春が震えているのに気がついた。

「大丈夫、大丈夫。思い出せるよ。君は塾に行った。その日はすごく雨が降ってて、」
「……私、…そう、塾が終わって……ゆ…友里恵と別れて……」

友里恵…?誰だろう?
口から出た名前にも驚く。
分からない。でも私の名前じゃない。……友里恵って……そう、私の親友。私は――……
「私の…なまえ…私の、名前…!私の名前は、…春…!」

「そう、春、それが君の名前。」
「私…どう、しちゃったの?自分の名前もわからないなんて……」
「大丈夫、俺もそうだった。みんなそうだよ。焦ることはないんだ。ゆっくりやっていけばいい。必ず、改善するから。」

大丈夫。

この人は、何回もその言葉を繰り返した。知らないはずの人なのに、なんだか、すごく安心した。
すごく、…安……しん………

ふっと春の体から力が抜けた。いきなり背中にあてがっていた腕に春の体重がかかり、ハロルドは慌てて春を横たえた。

「ああ、また眠っちゃったか。」

能力開花直後は、よく「眠く」なる。眠いわけではないのだが、まぶたが重いのだ。そして目を閉じると、半昏睡状態になる。体に負担はかからないのだが、目が覚めた時の記憶はあいまいだったりする。
その眠気はだんだんと改善されていくのだが、開花直後の能力者は精神的、肉体的にとても不安定だ。だから、彼らを守るために先輩の能力者が一人ずつ『養成役』としてつき添うことになっている。


すやすやと眠る春を見ていて、ハロルドは気付いた。
「…あ、俺、まだ自己紹介してない……」

| →
page:

page top
top main link
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -