手にした針を手渡しながら、こう言った。
「印をつけて欲しいんだ。」
彼はそれを受け取りながら、目を丸くしていた。言葉の意味が解らないと言うように。
「えっ…と、それはどういう……?」
「それで、僕の体にカイルの名前を刻んで欲しいんだ。」
先程の言葉を噛み砕いて言い直すと、彼の目が見開かれる。そこに浮かんだ恐怖と落胆の色に、言葉の意味を理解しなかったのではなく、理解することを拒否していたのだと知った。
「王子、それは……っ!」
「どこでも良いよ。胸でも背中でも腕でも脚でも。カイルの好きな処に。」
反論しようとして、しかし呑み込んだカイルに、畳み掛けるように言葉を紡ぐ。
「ねぇ、カイル。」
「……」
「お願い、だよ。」
彼が黙り込んだのを良いことに、更に駄目押し。
彼は、僕の『お願い』を決して断らないから。
「しかし……こんな物では、体に痕が残ります。短剣とか、もっと鋭利な物じゃないと……。」
「残したいから、それを使うんだよ。」
最後の抵抗を切って捨てると、彼は何かを堪えるようにゆっくりと目を閉じ、
「………分かりました。」
小さな声で了承の返事をした。搾り出したような声だった。
***
カイルが選んだのは背中だった。
服を着れば隠れるように、何かの拍子に見えないように、背中の真ん中より少し下辺りに決めたようだ。
「良いですか、王子?」
「うん、いつでも。」
カイルが声を掛けて僕に気持ちを確認する。
でも本当は、覚悟が出来ていないのはカイルの方。
「えーっと…痛かったら、すぐに言って下さいね?」
「分かったから、早く。」
「あ、はい!い、行きますよー。」
「ん。」
返事をしてから少しの間を空けて、チクリと背中に針の先端が触れる感触。
その直後、それが皮膚に食い込み鋭い痛みが背中を走る。
「……っ痛!」
「っ済みません!王子、大丈夫ですか?!」
思わず声を上げると、カイルはすぐに手を止める。
「大丈夫、だから。……続けて。」
「っ!………分かりました。」
それでも、有無を云わさぬ声音で続きを促すと、再び針を背中にあてがう。
「あぁ、そうだ、カイル。」
「はい?」
「もっと深くしないと駄目だよ。」
「……え?」
カイルの口から間の抜けた声が溢れる。さも、先程の言葉を聞いていませんでしたと言うように。
けれど、きっとその口許はひきつっている。
「もし傷が綺麗に消えたら、痕が付くまで何度もやって貰うから。」
ね?と、明るい声で彼の最後の、そして唯一の退路を断った。
彼は何も言わなかったが、背にかかる吐息は震えていた。
***
僕が痛みに震える度、思わず声を漏らす度に、カイルの手が震えるのが針を介して伝わってくる。
そうして、カイルが僕の肌を傷付ける度に、彼の心にも傷が刻まれる。
それは恐怖か、
或いは罪悪感、
或いは絶望、
そして、
「……っぁぅ…!」
「……っ!」
ほんの少しの快感。
護るべき存在を自らの手で傷付けることは、何れ程の罪の意識を生むのだろう。
大切に護ってきた存在を自らの手で傷付けることは、何れ程の快感を生むのだろう。
そうして、快感を感じることで後ろめたさが生じ、罪悪感に拍車を掛ける。
僕が無理矢理させているのだから、そんなもの感じる必要は無いのに。
その罪悪感を背徳の悦びに摩り替えて、快感に溺れてしまえば良いのに。
愚かで優しい貴方は、罪の意識に溺れて行く。
あぁ、カイル。一文字刻む毎に、罪という糸がその身体に絡み付くのが見えるようだよ。
***
「王子、本当に済みませんでした……。」
背中の傷口を消毒しながら、カイルが謝罪を口にする。
力無い、今にも泣き出しそうな声。
「どうして?僕が頼んだことなのに?」
僕は、それに平然と返しながら、心の中に沸き上がる歓喜を抑えることが出来なかった。
「いえ……それでも、やっぱり、俺の責任です。」
口許に笑みが浮かぶのが分かった。
彼の次の言葉が待ち遠しい。
「いくら頼まれたからといって、王子を傷付けたりしてはいけなかったのに。」
嗚呼、
「真の忠臣なら、断らなければいけなかったのに。」
そうだよ、カイル。
「貴方に、俺の……俺が愛した証を残せると思うと、抗えなかった。」
その通り。
「俺は、自分の下らない欲に負けて、王子を傷付けてしまいました…。」
その通り、だから
「これは、俺の、生涯の罪です。」
もっと深く後悔して
「……王子。俺、一生、お側にお仕えします。」
もっと強く自分を責めて
「王子を絶対に裏切りません。」
そして偽りの罪で枷をして
「一生懸けて償います。」
……一生、僕の傍に居て。
烙印そして数週間の後、痂が剥がれても尚陥没した皮膚を確認して、哀し気な表情を浮かべるカイルとは対照的に、僕は口元に酷く穏やかな微笑みを浮かべると、うっとりと呟いた。
「これで、」
(これで…)
「僕は、カイルの物だね。」
(貴方は、僕の物。)
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