「読んだことが、現実になる本―――――?」
なんで、オミがそのことを知っているのか。
「そう。知っているだろう?」
「え、え?うん、まあ、思いあたる本はあるけど…」
何?騙されてる?適当なこと言って遊ばれてる、とかじゃないよね…?
「やっぱり…
[ あいなんて偽物だから、
なんて陳腐な言葉はいらない。
たのしければいいなんて、
のんきには生きていけない。
はれた目は確かに存在しても、
なみだの証拠は存在しない。
しがらみだらけの、或る話―――]」
オミが、どこか懐かしむようにそらんじる。
それは、妙に聞いたことのあるものだった。
「ああ、本のあらすじ?」
「そう。"夢見る少女は本を読む"の裏表紙だ」
本当にあの本のことを知っているのか。
「もしかしてあれ、オミのだったの?」
どう反応するのが正解だろうか。分からずにとりあえず聞き返す。
「うーん、…私のだといえば私のだし、私のではないと言えば私のではないな。」
「難しいね」
なんだろう。ほんのネタ晴らしかなにか?
実はみんなグルであの本を書いたのはオミ、クラスのみんなや小田と中本なんかはドッキリ参加者ですーって?
私にそんなんしても面白くないだろうに。
「ちょっと、今からおかしな話をするよ。ひかないで、聞いてくれる?」
「う、うん。分かった…」
オミは何かを決断するように、少し逡巡してから、やはりまたためらって、ようやく口を開いた。
「…その本を読むのを、……やめて、ほしいんだ。」
「えっ?」
それは私には予想外の言葉だった。
読むな、か。ドッキリなんだったら早くよめ、かと思った。
「それ以上、読んじゃいけない。ごめん、へんなことを言っているのはわかっているんだ。でも、もう、」
「何か、知ってるの?」
あの、不思議な本について。
そしてやはり、あれは現実になっていたのか。
「……うん、少しだけ、知ってる。
ランは、あの本を、どこまで読んだんだい?」
「ええと…"りろんてきせんそう"まで…」
「…!もう、次はよんじゃあ、だめだよ」
「え、え、」
「絶対だからね」
「あ、う、わかった。でも、なんで…?」
オミが、眉間にしわを寄せた。聞いちゃだめだった…?
「…なんで、か。そうだな…簡単に言えば、
"私はひとつまえのランだったから"、かな―――――」
"ひとつまえ"の"私"。
それは、どういう、
「あれ、前の"被害者"なんだよ、私は。」
どんどんどんどんおいて行かれる気がする。頭が追い付かない。
知らない単語ばかりの英文を読んでいるときと同じ感じがした。
目ではとまらず読み進めるけれど、ほとんどが上滑りして頭で理解できない。意味が分からない。
「え、どういう、」
「あの本、は、最後までよんではいけないものだったんだ。
私は、その本を、止められたのに、最後まで読んでしまった。
あれを、最後まで読んだからって、何かが分かると思ってはいけない。それは大きな勘違いだよ。私は、何か少しでもいいから知りたくて、それを読み終えてしまったけど、それは間違いだったんだ。」
やはり全く意味は分からないままだったが、その気迫に押され、うん、と返事を返すことしかできない。
確かに面白かったけれど、そこまで嫌がる人がいるなら。
そう、読むのはやめることにした。
「ありがとう。…本当に」
「ううん、教えてくれて、ありがとう。」
「当然だよ。…だって私は、"本の案内人"なのだから」
「…案内人?」
こくり、オミが頷く。
冗談でも嘘でも、やはりないんだろうか。
「そう。この本のことを説明して、最後まで読ませるのが使命のね」
「…あれ?」
「…私は、ひねくれものだから。」
「あ、何か、理由がある…?」
オミが、すごく悲しそうな顔をする。
ただのひねくれものが遊びでそんな顔をするものだろうか。
「…その、本はね。」
「うん。」
「最後まで読むと、案内人と"入れ替わって"しまうんだ。」
「…入れ替わる?」
「そう。たとえば、ランが読者だったなら、最後まで読んでしまった時点で、ランが今度は"案内人"になってしまう。
そうして、私は"人間"に戻るんだ」
人間に、戻る。
やけにその言葉が引っかかって、まって、と止めてしまう。
「え、え、じゃあオミは人間じゃないって言うの…?」
「うん、そうだよ。私は、"案内人"だからね。
年も取らなければ、食事だって睡眠だって、今は必要がない」
「…ほんとに…?」
「そう。本当。もちろん、食べようと思ったら食べられるし、寝ようと思えば寝られるよ?でも、本当に、すべてがとまったように、なにも必要がない。
たぶん、きっと酸素と呼吸すらも、実は必要じゃないのかもしれない」
「す、すごいね…?」
いきなり目の前に現れたあまりにもファンタジックな告白に、どう返していいのやら。とりあえず小学生のような感想を述べておく。
「あ、もちろん、"こんな体"にランがなりたいなら止めない。
頭がおかしくなりそうな時間を生きる可能性、いや、生きてはいないから、"過ごし"ているだけなんだけど―――そんな可能性を受け止めきれるというならね」
「やだよ」
即答してしまった。だって、いや。
長生きなんて、つらい。
「せっかくオミが忠告してくれたんだ。ってことは、それはつらいことなんでしょう。そんなオミの優しさをむげにしたくない」
「…そっか、ありがとう。私は、ランが本を読むのを止めたことを後悔することはなさそうだ」
「え、な、なんかありがとう…
あ、それにしても、そうしたら、どうしたらいいの?古本屋にでも売る?」
「…そうだね。それが一番ただしいかも。
でも、ひとつだけ、わがままを聞いてくれないか」
「なに?」
「…私は、もう少しランたちといたい。卒業、いや来年、クラス替えがあるまででもいいんだ。」
「うん。私も、もっとオミといたい。どうすればいいの?」
「本は所持したままで、決して読み終えないでほしい。
もう読んでしまった事象はキャンセルできないけれど、そうすれば、私はランが本を手放すまではそばにいられる。」
「わかった。」