「伊藤さん、だったわね」 「千加で結構ですよ」 「あら、そう?なら、私もリコでいいわよ」 「ありがとうございます、リコさん」
そう言い返すと、本題に戻すわよ、とリコさんはため息をついた。真剣なまなざしと少し困ったような表情に私も思わず苦笑いを返した。
「マネージャーさんに色々物の場所とか教えようと思って」 「ありがとうございます」 「だけど、その前に」 「はい?」 「いくつか質問があるから答えてちょうだい」
ちなみに拒否権は?と思わず尋ねたくなったが、きっと聞き入れてはくれないのだろうと思ったのでその言葉は飲み込んだ。まるで射抜くような、そんなまっすぐな視線に思わず背筋を伸ばした。
「あなた、プレイヤーとして帝光中の女バスにいたでしょう」 「……ああ、はい。ご存知だったんですね」 「たった一度だけ、あなたのプレーを見たことがあるわ」 「……はい」 「何故、バスケをやめたの?」 「……」 「あなたなら、一流のプレイヤーになれたはずよ」
何故、それは難しい問いかけではない。ただ、私の最も愛するバスケはそこにはなかった。やっぱり歯がゆくて苦しかった。
「バスケは好きですが、女子バスケ部に入る気はないし、続ける気もありません。私の望むバスケはそこにはありません」 「……」 「私の望みはただひとつだけ」 「……」 「けれど、それはもう叶わない願いだから」 「……」 「マネージャーとしての経験もありますし、マネージャーとして精一杯がんばるつもりです」 「そう」 「よろしくお願いいたします」
リコさんは一度ため息をついて、そして苦笑をした。
「あなた、なんか黒子くんに似てるわね」 「私もたまにそう思うことがあります」
形は変わってしまったが、バスケを追いかける気持ちに嘘はない。相変わらず苦いのは確かだけれど。これからは、ひとりで歩いていかなくちゃならないのだ。いつだって傍で見守ってくれた心強い大切な存在は、もうここにはない。たったひとりで、がんばっていかなくちゃ。私にとって征ちゃんは、姉弟あるいは兄妹のように、あるいはまるで双子のようなそんな近さで、共に歩み共に成長してきた存在、目標にし追いかけていた存在だった。何度隣りを見ても、何度後ろを振り返ってみても、どこにも征ちゃんはいないけれど。
*
「お疲れさまでした、火神くん」 「あー?……新しいマネージャーだったよな。その、誰だっけ?」 「え、伊藤千加ですよ」
すると彼はなぜか目を見張って、驚いた表情を浮かべた。
「あー、いや、やっべ。わかんなかったわ!」 「昨日の今日で忘れられたんですか私。しかも昨日自己紹介したのに」 「いや、そうじゃなくて……」 「?」 「………女の格好、してるから」 「…そんなに昨日の男装、ハマってましたか…」
うれしいようなショックなような。そんな私の微妙の表情を悪い方に受け取ったらしい火神くんは少しばかり焦ったような表情をした。なんだか真剣な顔で手を左右に振る様子がおかしくて、思わず首を傾げた。それから少し言いにくそうに絞り出した言葉に思わず笑ってしまった。
「そうじゃなくてだな!」 「うん?」 「……………女の格好してるお前は普通に美人だから、ちゃんと女なんだ、なと…」
顔を真っ赤にさせてそう言った火神くんがなんだかかわいらしくて、とても微笑ましかった。こういう、なんていうの、純なタイプはいるようで今までいなかったなー。それでも美人というワードを選んであっさりと口にするあたり、帰国子女らしいストレートさなのだろうかと思った。
「美人?私が?」 「何朝から千加さん口説いてるんですか、火神くん」 「うあああっ!!黒子、おまっ!いつから!?」 「最初からいました」
私はテツくんの気配を完全に読み切れるわけではなく、時には見失うこともあるけれど、基本的にはなんとなく察せられる程度には、つまりほかの人よりかはずっとテツくんの存在に気付くことができると自負している。。とはいっても他の人が完全に認知していない時に私の場合、もしかしてテツくんもいるかなあ、気のせいかなあくらいのものだけど。だから特別驚いたりはしないな。いや、まあ、かなり慣れてしまったというのもあるだろうけど。
「テツくん、朝練お疲れさまー」 「千加さんもお疲れさまでした」 「朝はありがとう」 「いえ、こちらこそ。ところで、どうですか?誠凛バスケ部は」 「そうだねー、なかなかおもしろいんじゃないかな?」 「そうですか、これからもお願いします」 「できる限りがんばります」 「うおおい!ちょっと待て!!!」 「なんですか、火神くん」 「お前らマイペースすぎだろ!俺スルーしてんじゃねーよ!!」 「どうしたの、火神くん」 「……いや、どうしたの、って言われてもな…」 「千加さん美人ですよねって話でしたか」 「……あ、いや…蒸し返されてもな…」
テツくんに改めて指摘された火神くんは再び頬を染めた。なんだろう、この人は意外とうぶというか、それに比べてテツくんはポーカーフェイスだよなあ。あいかわらずの無表情だし。ちょっと呆れも入っているけれど。
「ていうか、私?美人?なの?」 「そうですね、千加さんは普通に美人だと思いますよ」 「……あー、いや…うん」 「えー?うーん」 「なんか釈然としてねえな」 「だって、今まで思ったことないしなあ」 「あなたはそういう人ですからね」 「いやー、ていうか、なんていうか、全然言われたことないしモテないし、男勝りだし」 「(言われたことないとか絶対嘘だろ)」 「あと、うん。ね、なんつーか何よりさあ、秀麗な幼馴染がいるとね、わかんなくなるよね。ほら、目の前に意匠を凝らした芸術作品みたいな人がいるとね、感覚がよく分からなくなるっていうかね」 「……あー、そうですね」
なんだか遠い眼をしたくなった。征ちゃんは本当になんていうか、イケメンっていうより美人ってかんじだしなあ。どうやら私もそれなりなようだが、どうも征ちゃんの顔を見慣れているとまさに月とすっぽんだなあって思ってしまうし、現にもう最高傑作が目の前にあったせいで、普通の女の子と比べると大抵のイケメンにもかなりの耐性がついてしまっているし。
「あー、誰かさん思い出した」
そういえば、あの黄色い髪をした彼との初対面を思い出してしまった。あの子犬のように人懐っこい彼は元気なんだろうか。
「誰かさんとは?」 「ごめん、なんでもないよー」
思い返してみると約一年ほど彼らと会っていないことになるわけだね。見かけることくらいはあったけれど、実際会って話したのはもう本当にに随分前なような気がする。それくらい、あれからずいぶん時が経ってしまったのだ。そりゃあ、テツくんと会った時にすごく懐かしい思いがしたのも至極当たり前のことなのだ。みんながいた中学二年の、ほんのひと時が今やとても遠い。
「じゃあ、二人ともまた放課後にね」 「はい」 「おう」
もう一度バスケにかかわることになった以上、彼らとももう一度出会ってしまうんだろう。テツくんと再会した時、なんだか運命を感じ取ってしまった。やはり、彼らとは切っても切れない関係なんだろうということを、バスケからは、征ちゃんからは離れられない運命にあるんだろうことさえも。みんなは私のことを覚えてくれているのだろうか。嫌われていないだろうか。みんなは、今でもバスケを楽しめているのだろうか?どうか、そうであることを祈りたいよ。思い出してほしいよ。バスケを始めた頃の、あのきもちを。征ちゃん、みんなと一緒に笑っていたあなたの楽しげな表情を、私もう一度見たいよ。
「千加さん」
過去に思いを馳せていると、私を呼ぶ声でそれは断ち切られてしまった。朝練の片づけを終え、ジャージから制服に着替えてから自分の教室へ向かう私の横を歩いていたのは、先に自分の教室に行ったはずのテツくんであった。ほとんど同じくらいの身長のテツくんの目線は、私とほとんど同じである。まっすぐなアイスブルーの瞳に射抜かれて、私はなんとなく少し姿勢を正して、同じようにまっすぐに見つめ返した。
「わっ。テツくんじゃない、どうしたの?」 「千加さん」 「うん?」
そうして、一瞬ためらったのちに、テツくんは少しだけ口を開いてから丁寧に丁寧に、その言葉を発した。
「……赤司くんは、―――――」
私だって、そのことばを信じてみたいよ。
121122 鳴り止まぬ循環
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