征ちゃんは、いつだってやさしくて紳士だった。私をいつも尊重してくれた。大切にしてくれた。大好きな征ちゃん。いつもやさしく微笑まれる度にどうしようもなくなる。……私の全てを差し出してでもどうか傍にいてと請い願いたくなる。


「何してるの」
「…………」


ソファーにだらしなく寝転がり顔を埋めて、更には両足を無意味にバタバタとさせていたところをお風呂から上がった征ちゃんにおもいっきり目撃され、恥ずかしさと気まずさでなんだか顔も上げられないまま沈黙をしてしまう。ゆっくり顔を上げればお風呂上がりでなんだか色っぽい征ちゃんが私にやさしい眼差しを注いでいた。


「……し、失礼しました」
「いや……相変わらずかわいいなーとか、抱きしめたいなーとか思ってなんかないんだからね」
「ツンデレ!しかし棒読み!……えっと、ご、ごめんなさいでした」


おもむろに起き上がりソファーの上で正座をしだした私に征ちゃんは今度は苦笑をもらした。そして入ってきたドアの向こうへ引き返し少ししてからドライヤーを持って戻ってきた。


「髪も濡れたままじゃないか。風邪を引いたら大変だ。ほら、おいで。僕が乾かしてあげる」
「え、あ、征ちゃんお先にどうぞ」
「いいから。ほら、ね?おいで千加」
「…………ん」


征ちゃんがお風呂に入っている間に乾かせばよかったのに。その間おかしな妄想を繰り広げ悶々とする私がバカなんだよなあ。お肌の手入れとかむくんだ脚のマッサージとか寝る前歯磨きとか、やることは色々あったのに思考のトリップをしてしまった。そして征ちゃんにやさしく微笑まれながら、おいでと手招きされてしまえば、ただ私は何もかも思考を止めてふらふらと花に群がるちょうちょのように私へと差し出された征ちゃんの手のひらへと引き寄せられていく。その手が大好き。お風呂に上がったばっかりの征ちゃんの手はひどく熱い。


「よいしょ、と」
「へ、と、うわあ!!」
「ん、じゃあまあ、ベッドルームで乾かそうか」
「ちょ、ちょっと征ちゃん!私歩けるから下ろしてよぉ!!ていうか、なんで抱っこ?」
「きみが無防備な顔をするからだよ。いいから暴れないで」


くすくすと笑う征ちゃんに思わず脱力した。そしてため息をもらし、諦めてされるがままに諦めた。私を抱えたまま征ちゃんはベッドルームに足を踏み入れると、セミダブルと思われるベッドにそっと私を下ろした。やわらかな布団がきもちいい。既にベッドの上にお尻が付いていたが、征ちゃんの首に回した腕を解くのがなんだか名残惜しくて最後に頬擦りをする。腕を解いて顔を見合せた征ちゃんは動作を止めて固まっていた。


「……ずるいよね」
「え?」
「あんまり煽らないでほしいんだけどな」


ただでさえお風呂上がりなのに、と図りかねる発言と共に困った顔でため息を吐く征ちゃんはなんだかかわいかったけれど、……そういえばと脳天に突き刺さったままだったテツくんの黒い一言が急に存在感を主張しだして、再び私の脳天を刺激した。だめだ、なんだか私はとても恥ずかしいぞ。頬擦りくらいは小さい頃からやったりやられたりだから今さら別に恥ずかしくはないはずなんだけどな。


「……はー、きもちぃー」
「そう、相変わらずきれいな髪だね」
「征ちゃんの御髪には負けます〜」
「そんなことないよ、きみの髪の毛いいにおいがするし」


さらさらとやさしく撫でるように征ちゃんの指が私の髪を滑る。あまりに気持ちよくて瞼が下がりそうだ。そういえば私は美容院で髪を切られながら、ついついうつらうつらしてしまうタイプの子供だったな。


「ん、ほら、乾いたよ」
「ありがとう!征ちゃんの髪は私が乾かすよ」
「僕は大丈夫だから、歯磨きとかしておいで」
「あー……うん。でも今度は乾かさせてね!私征ちゃんの髪大好きだしさー」
「ふっ、僕もきみの髪が大好きなんだよね。だからつい触りたくなるんだ」


じゃあ、まあ明日は頼もうかな。と征ちゃんは笑っていた。かっわいいなあ!なんて脳内で盛大に感嘆が漏れたけども顔には出さないように気を付けながらとりあえずへらりと笑っておいた。







マイリュックの中からお泊まり用のスキンケアセットを取り出す。使いきりだからかいつも塗る量より少し多い気がするが、まあ気にしない。化粧水も乳液もとりあえずふんだんに塗り込んでおいた。ふお〜!つやつやだ!いつもはケチるからそれがいけないのかもしれない疑惑が。まあ、いい。征ちゃんに会えるぅと浮き足立っていた私は先週、大抵部活ばかりで忙しくあまり行く機会がないのだが、なんとか時間を作り美容院に行き、トリートメントとやらをしてもらった。実は初体験。元々髪は他人に誉められるくらいにはさらさらだったが(私の容姿で唯一他人に誇れるところである)、それでもダメージは少なからずあったので補修してもらった。おかげでさらさらに加え、つやつやうるうるだ。忙しかったり面倒くさがりな性格なこともあって、結構美容に対しては無頓着になりがちだけど、……うん。なんだか今の私はいい感じ!


それから洗面所を借り歯磨きを終え、寝る準備をしてベッドルームに再度お邪魔する。……な、なんか改めてベッド見てたらとたんに緊張してきたんだけど!テツくんの言ってた「無事」って、ええっと、……つまりはそういうことだよね。キスより先の……いやいやなに想像している私。た、確かに征ちゃんになら何されても構わないし、むしろうれし……いやいや落ち着け私!


「……何やってるの」
「ご、ごめんなさいぃ」


頭を抱えたおかしな体勢で固まる。結局さっきの二の舞じゃないですかやだー!とりあえず挙動不審のまま私は征ちゃんの方に向き直り、何故かそのままベッドの上で正座した。そして何を思ったか土下座した。


「不肖ながら頑張りますぅうう!!」
「……は?」


あれ、なんか間違った感が尋常ではなかったです。


「…………」
「…………」


たっぷり沈黙が続いたあと、征ちゃんの大爆笑が響いた。


「っふ、……く、……あははは!!」
「せ、せいちゃあん……」
「ふはははっ。……もう、なんなんだこのかわいい生き物はっ!はー、やばい。一生死ぬまで飼いたい」
「えっ」


ちょ、ちょっと待って。なんだ最後の不穏な言葉は。


「ねぇ、千加」
「い、……は、はいっ」


どうやら私がベッドに座って悶々としている間に歯を磨き、すっかり寝る準備万端ならしい征ちゃんは今度はにーっこりと笑って、正座をする私の目の前にやってきたかと思うと、そのまま頬に片手を添えた。それから、やわらかい微笑を浮かべたまま、二人一緒にベッドの上に倒れ込む。やわらかい仕様なので背中が痛むことはなかったが、視界が眩み反転したので、驚きに目を見張れば。


「千加、千加」


大好きな征ちゃんが微笑んでいた。左手は私の頬に添えられたままだったが、右手は指と指と絡める繋ぎかたで私の手を握っていた。どちらの手も、とても、熱い。


「……あのね、征ちゃん。私は…っ」


続きは言わせてもらえなくて、互いの喉の中に吸い込まれ消えていった。鼻から抜ける息がなんだか違う響きを持つから、ひどく恥ずかしい。頭が回らない。征ちゃん、征ちゃん。握りしめていた手に力がこもる。大好き、大好きよ。


「ふ、……ん、ぅんんっ」
「ん、…………千加」


唇が離される。それでも至近距離は相変わらずで、すぐ近くに征ちゃんの顔があって目と目が合う。不揃いな色の美しい瞳の中には私だけがいるのだろう。潤む瞳ではうまく見えないけど、きっと、そう。私には征ちゃんしか見えないように、征ちゃんもきっと私しか見えない。


「ねぇ、千加」
「……ん?」
「全部ほしいって言ったら、くれる?」


いつもやさしくて甘い征ちゃんの瞳がなんだか今は少し怖い。いつもこんなものをその瞳の奥に隠しているのかな。いつだってやさしいやさしい征ちゃん。私のいやことなんて、たぶんこの人は本質的には一度だってしたことがない。生まれてからずっと一緒なのに変なの。いつも、いつも、征ちゃんは私を守ってくれた、大切に大切にしてくれた。


「征ちゃん」
「……うん?」
「私、征ちゃんが生まれた時から好き」
「うん」
「だから、うん。征ちゃんになら私なんかのすべてをあげても、いい。……んー、ちがうな」


なんていうんだろう、この気持ちは。どうしたら、どうしたら伝わるのだろう。


「私のぜんぶ、征ちゃんにあげる。だから、征ちゃん」


――一生、離さないで。


「千加」


好きよ、大好きよ。今までも、これからもずっと。ほしいのは、本当は私のほう。だって、私と征ちゃんは違う人間だ。どんなに身を寄せあったって、どんなに心を通わせたって、ふたりが一人にはなれない。どんなに強く思っても、同じ存在にはなれない。だから、いつも怖い。いつか嫌われてしまうかもしれない。いつか離れていってしまうかもしれない。突然、どちらかが死んでしまうかもしれない。一緒には生まれられなかったし、きっと一緒には死ねないのだ。いつか、いつか征ちゃんが私を置いていってしまったら、どうしよう。才ある征ちゃんがいつか私を見限ってしまったらと、幼い頃から怖くてたまらなかった。追いかけて追いかけて、でも届かなくて。それでも征ちゃんは後ろを振り返っては、追いかけ続ける私の存在を忘れることなく、いつだって微笑みかけてくれた。強くて美しくて、やさしい。だけど、孤独で脆い征ちゃんの傍にいたかった。笑って、ほしかったの。


「……征ちゃんが、大好き」


私の首元に顔を埋める征ちゃんの髪をすく。好き、好き、大好き。征ちゃんのことがずっとずっと大好きだった。だから、私はね。


131016
恋はいつしか愛に変わる 6