「あら?征ちゃん、今日は残って練習してかないの?」


普段は大抵残って練習している征ちゃんが珍しくも早々に帰宅しようとしていたので、疑問に思い声をかけると、振り返った征ちゃんはなんだかびっくりするくらい穏やかな表情を浮かべていて思わず目を見張る。あらあら?征ちゃんがこんな表情を浮かべるのって、……もしかして。


「ああ、今日はとても大切な用事があってね」
「あら、そうなの。征ちゃんが自主練しないなんて、余程大切な用事なのね」
「まあね。だから悪いが玲央、僕は今日は早々に帰宅したいから、戸締まりを頼めるか?」


うふふ、なぁに?そのうれしそうな笑顔は!まさにうきうきってくらい上機嫌じゃないの、もう。征ちゃん、あなた、本当にあの子のことが大好きで大好きで堪らないのね?入部早々に主将に就任し、危うい発言ばかりで表情も固くしかめっ面しかしていなかったあの征ちゃんが、こんな表情を浮かべるようになるなんて。ふふ!恋の力って本当に偉大ね!あの寂しげな瞳ばかり見せていた征ちゃんが、こんなもやさしく明るい表情をで微笑むなんてねえ、本当にこんな日が来るなんて思ってもいなかったわ。あの、かつての夏の日までは。あーもう、あの子が見たら呆れそうなくらい、征ちゃん顔ゆるみっぱなしよ?


「ええ、もちろん戸締りくらい引き受けてあげるわよ。千加ちゃんによろしくね」
「…は?」
「言っておくけれど、バレバレだからね」
「…そんなに僕は顔に出ていたか?」
「ふふ、だって千加ちゃんのことになると征ちゃん顔つき変わるんだもの」
「……気付かなかった」


そうやって眉間にしわを寄せて訝しげな表情で、確かめるように自分の頬に触れる征ちゃんに思わず笑いがもれる。バカね、本当にバカでかわいい後輩だわ!征ちゃんってこれ以上ないってくらい頼りになるキャプテンだけれど、こういうところは本当に年下らしく思えてしまうわ。それにね、あまりに完璧すぎる征ちゃんをこんなにも表情やわらかく、そして普通の恋をする十代の少年らしくしてあげられるのは、世界でたったひとり、征ちゃんが恋をしている大好きな大好きな、あの子だけなのよね。ねぇ千加ちゃん、あなたは本当にすごい子だわ。


「ふふ!征ちゃんが表情豊かになって本当によかったわ。千加ちゃんのおかげね」


私がそういうと征ちゃんは少しだけ拗ねたように表情を固くしたけれど、やがて結び目がほどけるかのようにゆっくりと、困ったような照れたような表情へと反転させて、小さく笑んだ。


「そうかも、な。僕は自分でも好きすぎて困るくらいに、千加が本当に好きだから」
「あら?さりげなくのろけられたわぁ」


ああ、すまない、ついな。と今度はいたずらっ子みたいな表情で征ちゃんが笑う。ああ、征ちゃんと千加ちゃんの恋は本当にすてきね。まったく、うらやましいくらいにお互いしか見えてないんだから。いつかの夏の日のふたりや、年末のウィンターカップでのふたりを思い出して私はやはり笑む。ああ、千加ちゃん。ねぇ、あなたがきっと思う以上に征ちゃんはあなたが大好きよ。だから、征ちゃんのこと、これからも受け止めていてあげてね。あなたが、あなたこそが、完全無欠で完璧な征ちゃんを、ただの恋する普通の少年にしてあげられるのよ。世界中で、あなたただひとりだけが。まるで、魔法のように。


「千加がね、今日こっちに来るんだ」
「そうなの、じゃあ明日はちょうど久しぶりの一日オフだから、ゆっくりデートできるわねぇ」
「ああ、そうだな。ちょうど体育館整備の日でよかったよ。千加の学校の体育館もちょうど明日明後日と使えなくて二日とも部活が休みらしい」
「あら!じゃあちょうどよかったのね!」
「そうだな、本当によかった」
「じゃあまる二日も一緒なのね!征ちゃん家にお泊まりかしら?征ちゃん、分かってるでしょうけどハメを外しすぎて千加ちゃんを悲しませたらだめよ!」


女の子は繊細なんだから!と私がつい諭すと、苦笑いをした征ちゃんが「お前に言われなくても大丈夫だ。僕は決して千加を傷付けたりはしない」と言った。まあねぇ、征ちゃんって本当に千加ちゃんが大好きだものね。本当に大切で、というかあまりに大切すぎてむしろ下手に踏み込めないのじゃないかしら?きっと、むやみやたらと触れてしまうことで、そうして爆発して歯止めが利かなくなってしまうのが怖いのかもしれないわね。征ちゃんって、本当バカなんだから。


「じゃあ、そういうわけで僕は帰るから頼んだぞ、玲央」
「ええ、任せてね。あ、あとそれとね」
「なんだ?」
「お願いなのだけど、東京に帰っちゃう前に、一目千加ちゃんに会わせてほしいわ。日曜日は午後から練習もあるし、その時にでもちょっとだけ連れてきてほしいの」


目を見開いて一瞬だけきょとんとした征ちゃんは、それからゆっくりと穏やかな表情を浮かべた。


「ああ、約束しよう。ただし、千加がいいと言ったらな」
「ええ、もちろんよ」
「だがきっと千加も同じことを言うだろうから、お前の頼みはおそらく叶えてやれるよ」
「ふふ、そうね、そうだとうれしいわ」


千加ちゃん、私も征ちゃんと同じくらい、あなたに会えるのをとても楽しみにしているからね。


「じゃあ、今度こそ僕は帰るから」
「ああ、引き留めてごめんなさいね」
「いや。また明後日に、玲央」
「ええ、楽しみにしているわ!」


再びうれしそうな笑顔で、征ちゃんは頷くと背を向けて早々に帰ってしまった。ああ、恋をすると本当にひとって変わるのね。私にもいつかそんな恋ができるかしら、あんなすてきな恋ができる相手に私もいつか出会えるのかしら。うらやましいわ、本当に。だって、ひとを愛することであんなにもひとは変わることができるのだから。特にあのふたりの恋は一等特別ね。だから、征ちゃんも千加ちゃんもその恋をどうか大切にしてね。私が羨むくらいなのだから、どうか本当に。ふたりが大好きでかわいくて仕方ない、私玲央姉からのお願いだからね?







自宅に着くと21時を過ぎた頃だった。千加の到着時刻と自宅から京都駅までの時間等を加味し逆算すると家を22時に出ればちょうど良い頃合いになるだろう。自宅を一通り見回し、千加を迎えられるかどうか再度チェックするが特に問題点はなさそうだ。そもそも僕は普段あまり部屋を汚す方ではないし、昨日入念に掃除もしたからな。晩ごはんは新幹線の中で済ますと言っていたから、自分の分だけ作って腹ごしらえをして、食後にお茶を飲みながらふっと一息吐く。練習のあとだというのに、一体疲労はまったくどこへいってしまったのやら。きみに会えると考えただけで、そんなものはどこかへ吹き飛んでしまった。ああ、僕も大概大バカだよな。まあ、もちろんこの僕がバカになるのはきみに対してだけ、だけれど。食事の後片付けをすませても出発までまだあと10分もあり、そわそわとつい落ち着きがなくなってしまう、そんな自分を冷静に洞察してそんなことを思った。


「…何をやっているんだ僕は」


一分置きに時計を確認したところで、一分以上時間が経過しているわけでもなく。ああ、千加、早く会いたいよ。会って、きみを抱きしめたい。好きだと伝えたいよ。







「千加、大好きだよ」


きっと痛いだろうほどに強く千加を抱きしめながらそう言うと、腕の中で小さく千加が笑って、ふるふるとかわいらしく震えた。そんなところもかわいいな、いとおしくて堪らないよ。何度伝えても、長年募り募った想いはどうあっても伝えきれそうにない。


「えへへ!私も征ちゃんが大好き!!」


なのに、それなのにきみのこのたった一言だけで、こんなにも満たされてしまうのは、果たして何故だというのか。きつく抱きしめていた腕をほどいて、やわらかくて白くて、しかし寒さ故に冷えてしまっている頬に両手を添えながら、いとしい千加の顔を見つめて、お互いの視線を交差させる。


「千加、なんか前に会ったときよりかわいくなってるね」
「え!いやいや、前会ったのほんの一ヶ月ちょい前だよ?そんなわけないじゃんか」
「いや、そんなわけあるよ。もちろん前もかわいかったし、昔からずっと千加はかわいいけれど」
「いやいやいや!そんなこと言ってくれんの征ちゃんだけだからね?!」
「かわいいのは本当だけど、僕以外の男がそれを口にするのは気に食わないな」


つい感情を込めてそんな言葉を呟いてしまうと、チカが視線を横にずらして、小さくこんなかわいいことをいうから、本当にどうしてやろうかと思ったよ。


「…征ちゃんの言葉以外を望む気なんて、一ミリだってないし」


本当にきみは会うたびにかわいくなる、きれいになる。だから僕はいつも焦るんだ。こんなにもかわいく愛らしいきみに僕の知らないところで悪い虫がついたら?そんなことを危惧すると、とてもじゃないが理性が弾けて感情が暴走してしまいそうだ。今まで、幼い頃からずっと死に物狂いで余計なものを排除してきたんだ。何度僕だけのものにできたらと考えたことだろう。きみの目を潰してしまえば僕以外を見なくなる?なんて恐ろしいことを考えたのも、本当はね、一度や二度じゃないんだよ。ただ、僕はきみを恐ろしいほどに熱望してる。僕は昔からきみが、きみだけがほしくてほしくて堪らないんだよ。


「さあ、僕の家へ行こうか」


二日後、きみを帰せる自信がないよって口にしようものなら、きっときみはいつものようにかわいらしく怒ってしまうだろうね。まあ、正直そんな表情も大好きだから、それはそれでうれしいからいいんだけどね。


「二日間も征ちゃんと一緒だなんて、めちゃくちゃうれしいよ!」


あ、やばい。やっぱり帰せそうにないよ。もしそんなことになっても、こんなにもかわいい千加のせいだからね?


130307
恋はいつしか愛に変わる 3



玲央姉が大好きでついしゃべらせてしまいます。色々突っ込みどころはありますが、うちの玲央姉はこんなひとなので、これからもこの玲央姉でいかせてください。あと征ちゃんさんが安定のデレデレで、相変わらずべた惚れっておりましてすみません。