2月15日、金曜日。部活が終わってから飛ぶように家に帰り、そうして私服に着替え用意していた荷物を手にしたあと、20時半発の新幹線になんとか飛び乗ることができ、ほっと一息つく。危なかった、間に合わないかと思った。ちょっとでも節約を!と思い自由席で切符を購入したので、今日は平日であるおかげか、なんとか空いている席を確保できてほっとした。征ちゃんの移動費用を出すという申し出を丁重に断ったのだけど、その代わり京都でのデート費用なんかは全て自分が持つからと言って聞かなかった。別にいいのにね、次会うときは征ちゃんが会いに来てくれればいいだけでさ。征ちゃんって変なとこ強情だよなあ、なんて思わず口元が緩んだ。


「待ってるよ、千加」


ああ、征ちゃんに早く会いたい。ほんの一ヶ月ほど前、年末年始に会ったばかりだというのに、会いたくてたまらないよ。いつものように私の大好きなあの笑顔でやさしく笑いかけてほしい、華奢なようでいてしっかりとしたあのあたたかな両腕で強く抱きしめてほしい、そしてできたらあの夏の日のように、キスも、してほしいかな、なんて。そんなふうに征ちゃんをただひたすら想いながら、ヘッドフォンから流れてくる私のお気に入りの曲に胸がきゅうと切なくなった。ああ、私、しあわせだなあ、なんて。


残念ながらバレンタインデー当日にではないけれど、今年はあなたに直接想いを込めたチョコを渡せるんだ。会って、目の前で気持ちに応えてくれる微笑んでくれる征ちゃんに二年ぶりに会えるんだ。去年は話すことすら顔を合わせることすらできずに、とてもさみしい冬を過ごしていたから。だけど、今年はちがう。征ちゃんはちゃんと私のとなりにいてくれる、私の想いを受け取ってくれる、おいしいよときっと褒めてくれるはず。


新幹線は未だに名古屋駅にすら到着していない、あと何分かかるのかなあ。20時半東京駅発、所要時間は二時間とちょっとで、京都駅に着く頃には23時近くになってしまう。迎えにいく、だから気を付けておいでね、と心配そうな顔をしていた征ちゃんを思い浮かべながら、ヘッドフォンから聴こえてくる恋の歌を聴きながら、そっと目を閉じた。早く、早く会いたいのになあ。


――ぼくは、きみさえいればそれだけでしあわせだ。


かつて絞り出すようにそんな言葉を口にした征ちゃん。幼い私は、大好きな征ちゃんを私こそが幸福にしてあげられるのかと、その言葉を単純にもうれしく思った一方、私がいなくなった時、この強く弱い男の子はどうなってしまうのだろうかとひどく恐怖したものだった。征ちゃんの愛は、一辺倒でありあまりに偏執的すぎる。正しくまっすぐで、いつも全力投球なところが時々不安だった。いつか、いつか折れてしまうかもしれないと。だから私がいつも傍にいて守ってあげなくてはと、かつてそんな小さく暗愚な決意をしたこともあった。あなたが、私だけを求めているうちはせめて、私もあなただけを求めてあげたいと思ったんだ。しかしやはりそんな小さな決意は無意味なものであり、あの日砕かれ儚く散っていったのだった。いつからか、征ちゃんにも大切なものがたくさんできた、増えていった。そしてそれは私にも同様のこと。


「キミたちは本当に仲がいいんですね、結構なことです」
「いやいや、おかしくね?たかが幼なじみで仲良すぎにも程があるってーの」
「もー!青峰くんもちょっとは私にやさしくしてよねー!」
「伊藤っちの幼なじみとかうらやましすぎて正直妬け……ぎゃああ!なんで殴るんすか赤司っちー!!」
「自業自得なのだよ、あいつ絡みの発言には気を付けることだ」
「赤ちんは本当に昔から伊藤ちんのこと好きだからね〜」


いつからか私たちにも大切なひとがたくさんできていたね。征ちゃんがあんなふうに誰がを信頼するのを初めて見た、あんなふうに自分と並び立つにふさわしいと他人の実力を認め、そして尊重しているのを初めて見た、征ちゃんがあんなふうに誰かに微笑みかけるのを初めて見たんだ。きっと、みんなは征ちゃんが初めて認めたチームメイトで、初めて信頼した友人なのだろう。だからこそ、自分だけのためじゃなく、誰かのために戦い続けることを初めて選んだのでしょう?私は、そんなふうに思っているよ。征ちゃんは否定するかもしれないけれど。大切なものを取り戻すため、すべてを賭けて茨の道を選んだ征ちゃんに最初は戸惑ったし、決意ある鋭い瞳をこわいとも思った。だけど、いつかの素顔で泣いて笑った征ちゃんは、昔と変わらない私の知っている征ちゃんだったんだ。そしてその日からずっと、こうして私たちは心を寄せあい、想いあっている。幼い頃から積み上げた想いは、恐ろしいほどに強く、悲しいほどに純粋であった。きっと、この先も不変を貫くであろう互いの愛執に私はただ思いを馳せることしかできない。だけど、これからこの先も私の手を引き続けてくれたあの小さな手が、ずっと私の傍にあるのなら。赤い髪の赤い瞳のあのやさしく強い小さな少年が、この先も変わらず私のとなりで微笑んでくれるなら。私はただそれだけで、きっとこの先も幸福なのです。


――せいちゃんがしあわせなら、わたしもしあわせ。


お互い、大切なものが増えたね。知らないことも増えた。一度は決別を選んだね。いつもとなりで、同じものを見、同じものを聞いて、同じことを経験してきた私たちは、もういない。一度、幼い頃からつないできた手を離してしまった。だけどそれでも、私たちはその手をつなぎ直し、改めて互いを求め選びとったのだ。お互いそれぞれに大切なものができた、譲れないこともできた。征ちゃんは京都で、私は東京で、たとえ敵同士になってもそれぞれの居場所のために戦うことを選んだんだ。――だけど、だけどね?


『今どのあたり?』


ふとバイブレーションにしていた携帯が揺れて、閉じていた目を開く。これはメールだ、そしてたぶん征ちゃんから。


『今名古屋駅を過ぎたところ』
『到着は予定通り?』
『うん。早く、会いたいです』


やっぱり征ちゃんからだった。あと30分で征ちゃんに会えるんだ。そう思うとうれしくて、胸がきゅうって苦しくなって。


『僕も、早く会いたい』


――ああ、やっぱり大好きだなあって、何度だってそう思うんです。







あの独特の音楽とアナウンスと共に席を立って、早々にデッキに移動して降りる準備をする。もう少し、もう少しだ。あと数分すれば征ちゃんに会える、征ちゃんの声が聞ける、征ちゃんに触れられる。ゆっくりと停止した新幹線の扉がそっと開いて、降車するひとたちのために横にずれて並んでくれている乗車客の横をそっとすり抜け、改札口へと急いだ。


「千加」


改札の向こうで、私に笑いかけながら小さく手を振る征ちゃんを見つける。ああ、やっと会えたね征ちゃん!急いで改札をすり抜け、征ちゃんの元へと走る。大好きな大好きな征ちゃんの胸に飛び込んで、征ちゃんの首に腕を回してぎゅううぅと抱きついた。ああ、これだ、これなんだ。私がずっとほしかったのは、このぬくもりなんだ。


「征ちゃん!!」
「会いたかった、千加」


大好きで、うれしくて、いとおしくて。会いたかったよ、さみしかったよ、また会えたね、大好きだよ、征ちゃん。そんなない交ぜな感情を押し込め、そんな私の複雑で純粋な想いが征ちゃんにも伝わりますように、そんな願いを込めてただ征ちゃんを抱きしめる。もう、どうしていいかわからないくらい、しあわせ。私の居場所は、やっぱりここなんだって、そんなふうにありあまる幸福を噛みしめながら、小さく微笑んだ。そんな私に気付いたのかはわからないけれど、征ちゃんが私の耳元でやさしい愛のことばをそっと囁いた。







会いたくて、たまらなかった。ずっと、触れたかった、声だけでも聞きたかった。


「征ちゃん!!」


きみのいない一年間は、とてつもなく長く、孤独で、ただひたすらに苦痛を伴う毎日だった。僕のとなりにきみがいないというだけで、僕はこんなにも孤独なのだ。そうして、あの夏の日に仲直りをしてからも何度か会ったけれど、離れた距離に一途すぎる想いは収まるどころか会うたびに強くなり、また溢れ出そうなほどに募り続けた。


「会いたかった、千加」


きみを強く抱き締めて、絞り出したようなその声はあまりに小さく、消えてしまいそうなほどに弱々しいものだった。ああ、僕はやはりきみを愛しているんだとそう確信するほどに、きみの感触は僕のきもちを溢れさせるに十分な威力を有していたのである。会いたかったよ、さみしかったよ、また会えたね、大好きでいとおしい僕の、僕だけの千加。僕はきみが、大好きなんだ。


「千加、大好きだよ」


――この世界中の誰よりきみを、ただきみだけを。


130306
恋はいつしか愛に変わる 2