――二年前の2月14日、中学二年のバレンタインデーは、きみが傍にいた、変わらず俺は幸せだった。


「今日はバレンタインっすね!」


朝練終了後、更衣室で制服に着替えている時、不意に黄瀬がそんな言葉を口にした。


「俺、既にいくつかもらっちゃって、今年も荷物多そうで面倒っす〜」
「嫌味ですか黄瀬くん」
「なんなら俺にちょうだいよ〜、市販のならもらう〜」
「それはいくらなんでも失礼なのだよ」


緑間が紫原をたしなめているのを横に見つつ、そうか、今日はバレンタイン当日か、などと俺は考えていた。ちなみに青峰は休みだが、まあ放課後の練習にはくるだろう。それよりも、今年のチョコはどういったものになるのだろうか。去年は確か、ザッハトルテを千加の家で一緒に食べたな、などと記憶を巡らす。最初の手作りチョコは板チョコを溶かして固めたものだったが、千加は年々腕を上げており、どんどんグレードの上がったものを作ってくれるようになった。甘いものがそれほど好きではない俺のために、甘すぎずされど苦すぎず、絶妙な味加減を極めるようになっていて、去年のザッハトルテは最高に俺好みの味加減で、本当においしかったな。まあ、たとえ溶かして固めたものだとしても、千加が一生懸命俺のために作ってくれたものであれば俺は十分においしく頂けるが。


「いいっすよね〜!!赤司っちはいとしの伊藤っちから本命チョコもらえてー!!」
「一応、千加さんはボクらにもくれるはずですよ」
「え!まじっすか!?」
「去年と同じであれば、な」
「まあ、もちろん義理だけどね〜」
「当たり前だろう、千加の本命は俺だからな」


紫原の「義理」という言葉に思わず呟いた俺を、黄瀬に黒子、紫原、そして緑間まで、皆一様に動作を止めて茫然としつつ凝視してきた。なんだ、おかしなことでも言ったか?


「…まあ、でもあれっすよね。独占欲の強い赤司っちが、義理とはいえ伊藤っちが他の男にチョコ渡すこと許してるなんて、正直意外っす」
「それは、……まあ確かにそうかもしれないですね」
「俺はそこまで狭量ではないが?」
「今日俺が伊藤っちに触っただけでこれでもかと睨んできた男のセリフじゃないすよー!!」
「お前の触り方はいやらしいからな、見張っていただけだ」
「いやらしい!?赤司っちは俺をなんだと思ってるんすか〜!」
「…害虫、かな」


ひどいっすー!!と黄瀬がうるさく騒いでいたが、そんなことはどうでもいい。千加は今年は一体どんなチョコをくれるのだろうか。俺は紫原のように菓子好きでもなければ、黄瀬のようにイベント好きでもない。本来ならバレンタインデーなど興味すらわかないところだろうが、だが千加が絡むとなると話は別なのだ。千加が手作りの本命チョコを、俺だけに贈ってくれるのだから。普段、どちらも明確な言葉を口にすることなく曖昧な「幼なじみ」という関係のままである俺たちが、少しだけその枠をはみ出す唯一の日だ。まあ、とはいったものの、好きの気持ちを毎日のようにお互い確かめ合っているのには変わりないのだけれど。


「千加さんのチョコ、楽しみですね」


黒子のセリフは視線としては主に黄瀬たちに向けられているようだったが、その実、おそらく真意としては俺に向けて言っていたのだろう、そのあとにやりと俺を見て笑う黒子の表情で俺は確信すら得た。まったく、相変わらずお前はこちらが困惑するほどに鋭く聡いな、黒子。


ああ、早く放課後にならないだろうか。例年通り千加の家に一緒に帰り、一緒に夕飯を食べて、食後に千加の手作りチョコをいただくのだ。いとしいきみの変わらぬ想いを、早く味わいたいものである。







――一年前の2月14日、中学三年のバレンタインデーは、きみは傍にいなかった、俺のとなりには誰もいなかった。


進学先が既に決定していた俺は少なくとも三年間はひとり、友人も家族もきみさえもいない、知らない街に住むことが確定していた。そんな未来のさみしさと、誰もいないとなりを見て、焼け落ちてしまいそうなほど胸は痛み、自分の選んだ道を呪いながら、ただただ唇を噛み締めた。寒さとさみしさに、心が折れてしまいそうだった。ただ、きみに会いたかった、触れたかった、せめて声だけでも聞きたかった。俺はすべて解ってて茨の道を敢えて選んだのだ、張り裂けそうなほど痛む胸に耐えながら。悲鳴を上げそうなほど軋むだろうその先の未来に思いを馳せて、そうして更なる一手先の未来にすべてを託して。


一生消えない傷を残した、きみと別れた春。そうして、きみのいない夏は全中に捧げて乗り切った。きみのいない秋は俺の望みを叶えられる場所、進学先を探し選ぶ作業に費やした。けれどきみのいない冬は、あまりにも寒すぎた。部活も完全に引退し、あいつが消えた夏から他のチームメイトとも少しずつ疎遠になり、挨拶程度しか交わすことはなかった。あいつが消えてからというものの、いやもっと前か、青峰が開花してから、あんなにも輝いていた俺たちは突然に色を失くした。少しずつ少しずつ、あの栄光は壊れていった。喜びも楽しさもすべて、色褪せるように溶けて消えていった。そうしてきみと部活に彩られた俺の中学三年間の答えが、正に今痛いほど俺に突きつけられていた。きみを手放し、部活も引退した今、あまりにも寒々しくさみしい光景だった。


きみのいない誕生日、きみのいないクリスマス、きみのいないお正月、きみのいないバレンタインデー、きみのいない冬。そして、やがて再び訪れるきみのいない春、俺はきみと生まれ育ったこの街を去り、完全にひとりになるのだ。そう考えただけで、たまらなく泣きたくなった。俺が手にしたものは一体なんだったのだろう、俺がほしかったものは一体なんだったのだろう。もはや、かつての輝きは傍にはない。それぞれがそれぞれの道を選びとって、バラバラになってしまう俺たちに再生のときは一体いつ訪れるというのだろう。非力な自分がひどく恨めしい、きみさえも守れなかった自分が殺したいほどに憎く、そしてとても哀れでならない。俺は今、苦しいほどにひとりだ。


――僕のそばにはもう、誰もいない。


130216
恋はいつしか愛に変わる 0



赤司くんが過ごした一年間について、ちらりと。


アンケートコメントより、バレンタインのお話です。
数日過ぎまして申し訳ありません。