「千加」
抱きしめる手をほどいた征ちゃんは、淡く微笑みながら、私の手をひいた。
「ここ、覚えてる?」
まさか、忘れるわけがないでしょう。忘れられるわけがない。あなたとの、大切な思い出のひとつ。小さな約束を、もう一度形にした場所だったね。赤いスターチスの意味を、私たちの間でも特別にした場所だったね。いつか、いつかあなたが私を迎えに来てくれたら、私がいつかあなたの苗字をもらったら、そうしたら毎年あの花が咲く度にずっと変わらない想いを伝えるよ、と。そんなかわいい約束を、いつかのあなたと交わした場所だったね。
「忘れてなんかないよ、今も苦しいくらい」 「うん」 「気持ちは変わらず募るばかりだよ」
征ちゃんは、まるで花のようにほころんで、私の両手をとった。
「千加」 「…はい」
最初の約束は、まだその意味をよく分からないほどに幼くて、私はただあなたといっしょにいられればそれでいいと思ってあなたの言葉にうなずいた。だけど、きっとあなたのほうは約束の本当の意味を分かっていたんだろうね。そうして、その次の約束は、中学生になって、その意味が分かった頃に、この場所でもう一度変わらない想いを誓い合ったね。
「きみは、いつだって僕のとなりにいてくれたね。きみが笑ってくれるからそれがうれしくて、だから僕は勝ち続けてきたし、いつも正しくありたいと思ったんだ」 「うん」 「それなのに、きみを傷つけて、そうして手放してしまったこともあった、僕は間違えてしまった」
うん、うん。そんなこともあった。18年間の人生の中で、唯一離れていた一年間のこと。征ちゃんが初めて私を要らないと言った日、初めて私を選ばなかった日。あの時のこと、あの日の征ちゃんの本当の気持ちは、いつだったか、話してくれたことがあったね。あなたが選び取った修羅の道、つらくさみししい旅路に託したあなたの想いを。そして、その苦難のときはもうすでに終わりを告げて、さみしいあなたの旅路はとうに終着を迎えている。あなたは、もう救われていて、素顔のありのままのあなたに戻れているね。
「千加」 「…はい」 「でもね、それでも、きみは僕を信じて待っていてくれたね、変わらず僕を好きでいてくれたね」
それが僕にとってどれほどうれしいことだったか、と呟いて、征ちゃんは泣いてしまいそうな、切ない表情を浮かべた。きっと、後悔してくれているんだよね。私を傷つけたこと、私を信じられなかったことを。私は、征ちゃんが思うより弱くないよ、あなたが何もかもを背負わなければならないほど何もできない非力な私ではないよ。征ちゃんはきっと知らないんだ、伝えても伝えてもちっとも分かってない。あなたが思う以上に、私はあなたを心の底からあいしているんだよ。
「生まれてからずっと、僕のそばにきみはいてくれた」
そうして、私の左手の薬指に、あなたは新たな約束を灯した。
「…せ、せいちゃん?!」 「だからね、」
きらきらとひかるその輝きは、ほんとうに鮮やかで繊細で、それでいて光の加減で七色にも見えた。「永遠」を表すそのひかり、約束の証。
「これからもずっと僕を信じていてほしい、僕のとなりで笑っていてほしい」
花を模したような形の透明のダイヤモンドが中央にあって、それを挟むようにピンクダイヤがサイドにあしらわれているデザインで、花のかたちがとてもかわいらしい。ああ、征ちゃん、この花はなんだかスターチスに似ているね?わざとなのか、偶然なのかは分からないけれど、でもきっと確信犯なんでしょうね。私たちのエンゲージにこれ以上のものは、きっとないから。ああ、もうせっかくこんなにきれいなのに涙がにじんで見えない、なあ。
「ねえ、千加」
ずっと、いっしょ。幼いころ、そんな約束を交わしたね。まだ「結婚」の意味もよく分からないほど幼いころだった。だけど、それでもただあなたがずっと私のとなりにいてくれるなら、となりで笑っていてくれるなら、それだけで私はしあわせでいられるんだとばかみたいに信じていた。今も、ばかみたいだけど、ばかだけど、今でも私はそう思っているよ。
「昔約束した通り、僕のお嫁さんになってくれるかい?」
――征ちゃんなしの人生なんて、とてもじゃないけれど考えられないな。それくらい、あなたは、私のかけがえなのない、たったひとりの運命のひと。
「もちろんだよ、征ちゃん!!!」
だけど、それはきっと征ちゃんもおんなじだよね。泣きそうになりながら、それでもやっぱりうれしくて笑ってしまう、そんな表情を私たちは浮かべていた。おそろいの、おんなじ表情で見つめ合って、そうしておそろいの想いを分け合った。ああ、好きのきもちが通じ合うことは、本当に何度味わってもうれしいね、征ちゃん。
「征ちゃん、ありがと…!」 「だめ、それは僕のセリフ」 「…ん、」 「本当に、ほんとうにありがとう、千加」
相変わらずやさしい触れ方のキスだね、本当にやさしくてあまいね。額を合わせて、征ちゃんの赤い瞳と見詰め合って、その瞳の中にある征ちゃんの信念とか、想いや記憶、私への愛情、そのすべてをこれからもずっと、ううん、今まで以上に信じていきたい、守っていきたい、愛していきたい。好き、大好き、愛してる。ことばじゃ足りないくらいに、伝えきれないくらい、あなたを愛してる。
「何よりも誰よりも、きみを愛してる、千加」 「私も、誰よりもあなたが好きだよ、征ちゃん」
私の薬指の、このひかり輝く永遠の花に誓うよ。一生涯あなたを信じぬくと、この先もあなただけを愛していくと。そしてどんな苦難があってもあなたのそばを離れないと、ずっといっしょだと。
「ずっと、いっしょだね」 「ああ、死んでも離してあげないからね?」
――この日、私たちは正式に婚約をした。幼い頃の約束を、確かなものにして。
130202 愛撫でる指先 6
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