「千加」


そういって私の名前を呼ぶ征ちゃんは、本当に苦しいくらい私の大好きな表情だった。ああ、ほんとうに、私はきみが好きで好きでしかたないんだなあ、なんて。今更ながらに実感してしまった。







「それにしても征ちゃん」
「ん?なあに、千加」
「すごくご機嫌だね?」
「ふふ、そうかな?」


いやあ、今朝からほんとにどうしたのっていうくらい緩みっぱなしだけど大丈夫なのか。本当にこのひとは、開闢の帝王と称され畏怖されるあの洛山高校においてなんと一年生から三年間ずっとキャプテンを務め、更に男子バスケ界において圧倒的実力を誇る「キセキの世代」という肩書を持った、完全無欠かつ史上最強のあの赤司征十郎なのだろうか。こんなかわいい征ちゃんを見たって、きっと誰も怖がらないね。


「うん、なんかかわいいよ」
「千加のほうがずっとかわいいけどね」
「…征ちゃん、ほんとバカかよ」
「なんとでも。だって、本当なんだから仕方ないだろう?」
「特殊フィルターはいいから!」


千加が僕にとっては世界で一番だよ、なんて征ちゃんは私に微笑みかけた。ああ、もう。ほんとうに征ちゃんはずるいなあ。ほんと、バカ、大馬鹿。私だって征ちゃんが世界で一番だもん。…まあ、思ったところで口には出せなかったけれど。それにたとえ言葉にしなくても、きっとあなたにはお見通しなんだろうなあ。ああもう本当、恥ずかしいな。


「そういえば、これからどこにいくの?」


ウィンターカップ初日の誠凛高校一回戦(もちろん勝ちました)が終わった後すぐに、宣言通り、征ちゃんは私を捕まえにきた。それから私の手を引いてどこかへ向かっているようなのだが、それがどこなのかまだ具体的には聞いていない。そして、私を連れだした理由も、まだ。テツくんは訳知り顔で笑っていたけど、一体何なのだろうか。


「んー?すぐに分かるよ」


ぎゅっと、握った手の力がちょっとだけ強くなった。征ちゃんは、いつも私の手をまるで絶対に離すもんかというかのように握る。いつどんな時でも、一緒にいるときは必ず手をつなぎたがる。あーあ、そんなに不安に思わなくても私はもうどこにも行かないのに、ね。征ちゃんがいやだって言ったって、二度と離れてあげないんだから。


「ねえ、征ちゃん」
「なに?」
「…なんでもない」


大好きよ、なんて。ただ手をつないで共に歩くだけで、そんな想いが溢れだして止まらない。だけど、そんな私の想いなんてあなたにはすべてお見通しなんだろう、な。私の頭をやさしく撫でた征ちゃんは、やっぱり私の大好きな表情を浮かべていた。







「着いたよ」
「んん?」


あれ?やっぱりここが目的地だったの?最寄駅を出てから見知った道に入ったあたりでまさかとは思ったけれど。でも、それにしてもどういうことなんだろう?


「え、征ちゃんのお家?」
「ああ」


征ちゃんはしてやったりというふうに笑っていたけれど、本当にどういうことなんだろうか。なんであんなにもったいぶったのか、それにお家に帰るだけならどうしてそんなにも楽しそうなのか。相変わらず読めないひとだな、あなたは。だけど、まあいいか。征ちゃんがわけわからないのはいつものことだし、征ちゃんに読み勝つなんて無理な話だものね。


「あ!」
「どうしたの、千加」


ばばっとつないだ手を勢いよくほどいて、それから隣りではなく征ちゃんの顔がよく見える真正面へ移動した。横顔ではなく、真ん前から見上げた征ちゃんは、いきなり私が手を振るほどいたものだから面食らった表情を浮かべていた。ふは、してやったりだね!


「おかえりなさい、征ちゃん!」


そうして、両手を広げた私に征ちゃんはさらに目を見開いて驚いていた。だけど、そんな表情も一瞬だけで、すぐに子どもみたいにほっとした顔で微笑んだ。


「ただいま、千加!」


私の元に飛び込んできた征ちゃんを受け止めて、強く強く抱きしめた。自分よりも大きな男のひとが飛び込んできたものだから少しだけ後ろによろけてしまったけれど、だけど、そうして私が思ったことは、気づけばこんなにも征ちゃんは大きくなっていたんだなあ、ちゃんと男のひとになっていたんだなあって、そんな当たり前のことだった。私たちは小さい頃からずっととなりで育ってきて、中学あたりまではおんなじくらいの身長だったから、高校生になって大きく成長した征ちゃんが、なんだかうれしくて。


私のほうが生まれが早かったことや、征ちゃん自身それほど体格がよかったわけでもないという理由から、私たちの大きさはずっとおんなじくらいだった。なのに、今では私はあなたを見上げていて、手をつなげばその手のひらの大きさに驚いて、抱きしめ合えばその背中の広さに安心して。征ちゃんも、男のひとなんだなあって、ほんとうに実感するようになったの。力だって、征ちゃんが本気を出せば私なんてどうとでもできるんだろうね。征ちゃんは絶対にそんなことはしないけれど。いつだって、あなたは私にやさしく触れるから。やさしく、壊さないように。そんな指先すら、愛を感じるくらいに。


――おかえりなさい、征ちゃん。あなたの帰る場所は、いつだってここなんだから。だから、この先も間違えずにちゃんと私の元に帰ってきてね。


130202
愛撫でる指先 5