「おかえりなさい」


合宿のために泊まっている民宿まで征ちゃんが送ってくれるというので、昔みたいに手をつないで征ちゃんのとなりを歩いていたのだが、もうすぐで民宿というあたりでどうやら迎えに来てくれたらしいテツくんが、なんだかとてもうれしそうな笑顔で待っていてくれた。とてもやさしいまなざしだった。


「テツくん!」


テツくんは私たちが手をつないでいるのを見て、少しびっくりしたみたいだったが、すぐにふっと顔をほころばせた。


「赤司くん」
「……やあ、テツヤ」
「キミは本当に馬鹿なひとです」


そうテツくんはため息をつきながら呆れた表情でこぼしたが、征ちゃんは苦笑いを返すだけだった。


「えーと、テツくん?」
「千加」
「え?」


今、テツくん私のこと、千加って呼び捨てにした?初めてそう呼ばれたものだから、つい困惑してしまった。テツくんはいつも私のことを千加さんと呼ぶというのにいきなりどうしたんだろうか。


「よかったですね」
「…あ」
「ずっと、待っていましたよ」
「…ありがとう、テツくん」
「ふたりがもう一度共に歩む日が来るのを、ボクはずっと待っていましたよ」
「すまなかった、テツヤ」


赤司くんは遅すぎです、なんてテツくんが憤慨していて、それに対して何故だかあの征ちゃんが困ったように笑いながら謝っていて、なんだかよく分からない光景に私は疑問符ばかりが脳内を飛び交っていた。


「千加」
「は、はい!テツくん!」


呼び捨てのテツくんに私は思わず恐縮してしまったが、それを見たテツくんはふんわりと微笑んで、私の頭を撫でた。


「…て、テツくん」
「キミは、今度こそ幸せになってください」


征ちゃんがとなりにいなくて寂しくて、だけど泣きたくても泣けなくて、苦しくて気が狂いそうだった私を包んでくれたのは、テツくんだった。テツくんはいつも私の感情を一番に汲み取ってくれる。征ちゃんとは違う意味で、テツくんは私を理解してくれるから、時々どうしていいか分からない。テツくんは、やっぱり私の大切なひとだ。


「ありがとう、テツくん」


泣いてしまった私の頭をテツくんがもう一度撫でた。征ちゃんは相変わらずやわらかい笑みで、泣いてしまった私に微笑みかけた。征ちゃんはつないだ手にちょっとだけ力が込めた、強くやさしく、私をなぐさめるように。


「テツヤ」
「なんですか、赤司くん」
「千加の一番を名乗る権利、返してもらってもいいよね」


――今のキミに、千加の一番を名乗る権利はありません。


一年前、征ちゃんはテツくんにそう言われたらしい。


「なにとぼけたこと言ってるんですか」
「辛辣だな」
「ボクがなんと言おうと、初めから放棄したつもりなんて、少しもなかったでしょう」


征ちゃんは苦く笑った。


「赤司くん」
「なにかな」
「いくらキミでも次はないです」
「ほう、それは怖いね」
「二度と千加を悲しませないでください」
「……」
「千加は、ボクの大切なひとです」


テツが意味していることを、なんとなく私は分かっている。テツくんは本当に本当に私を好いてくれている。だけど、それは恋情から来るものではなくて、愛情から来るものなんだろう。限りない親愛の情、家族愛が一番近いだろうか。それに、きっとそれだけじゃない。


「テツくん」
「はい」


テツくんは私の分身だ。本当によく似ている。まるで双子みたいにシンクロしてしまうくらいにはよく似ているんだ。だから、きっと、今瞳を合わせただけで、私の言いたかったことは通じただろう。


「今度はもう二度と離れないでください」


キミたちふたりの幸せは、ボクの願いでもあるんです。


「千加の一番はずっと赤司くんただ一人です」
「テツヤ」
「それを忘れないでください」
「ありがとう」


ゆるくやわらかく笑う征ちゃんに私はどうしていいかよく分からなかった。テツくんがこれほどまでに私たちふたりのことを想っていてくれたこと、そしてそのことを私はあんまり気づいていなかったのにもかかわらず、征ちゃんの方はそのことをよく知っていたことに驚いた。テツくんはどうしてこんなにも私たちのことを想ってくれるんだろう。正直なところ、私はよく分からない。だけど、ただ確かなことは、テツくんが私たちの幸せを私たちと同じくらい、いや私たち以上に願ってくれていたのだということ、その上でずっと壊れそうだった私を影から支えてくれていたこと、そんなテツくんの底知れぬやさしさと愛情深さにうれしくてたまらず、笑えばいいのか泣けばいいのかよく分からなくて、なんともまぬけな表情で、ただただテツくんにありがとうと言った。


「テツくんんん、ずっとありがとうううう!!!」
「はいはい、すごい顔していますよ、千加さん」
「ほら、落ち着いて、千加」


だけどやっぱり、私は幼い子供のようにぼたぼたと大粒の涙を流しながら泣いた。しばらく泣けなかったけど、泣き虫は全然治っていなかったのか…。そんな私を征ちゃんもテツくんも、慈愛に満ちた目で見つめながらなぐさめてくれた。なんだか二人ともお兄ちゃんみたいだ。正面にいるテツくんが私の涙を掬って、隣りにいる征ちゃんがつないでいる手とは逆の手で私の頭を撫でてくれた。


「泣けてよかったですね、千加さん」


心から笑うこともできず、積もり積もった悲しみを発散することもできず、泣けずにいた私を、テツくんはどんな気持ちで見守ってくれていたのだろうか。ああ、私は本当に果報者だ。


「ただいま、テツくん!」


ほんとうのわたし、おかえりなさい。


121216
恋は浅はか 2