「お久しぶりですね、千加さん」
「お久しぶりだね、テツくん」
「まさか、同じ高校とは思いませんでした」
「私だけだと思っていたからびっくりしたよ」
「ボクもです」


淡い笑みを打ち消し、次にテツくんはうれしそうなやさしい笑みへと表情を反転させて、そうして私に甘く苦しい誘いをささやく。


「千加さん」
「うん」
「……もう一度、バスケ部のマネージャーをしていただけませんか」


中学の時、私は全中三連覇を誇る帝光中学男子バスケットボール部のマネージャーのひとりであった。「幻のシックスマン」として「キセキの世代」の5人と肩を並べていたテツくんと知り合ったのもそのバスケ部においてであった。マネージャーとして支え、応援し、時にはアドバイスもし、また共にバスケをしたこともあった。私は私なりに、あのチームの一員だったのだ。それをテツくんは今でも大切に思っていてくれているのだと、私は実感してとてもうれしかった。けれど同時に、とても困ってしまった。


「テツくん、私はね」
「はい」
「バスケはやめたんだよ」
「……」
「もうボールに触れる気もないし、マネージャーに戻る気もない」
「……」
「私は、愛するバスケを二度も、捨てたんだよ」


眉を寄せる彼を私はとても苦々しく思った。テツくんはきっと、私がこう返すことを分かっていて敢えて言葉にしたのだろうと思うと、やはり悲しくもなる。こんなみにくい言葉を口にしたくもなかったし、また彼に聞かせたくもなかったのだ。けれど、そんな私の心情などきっと解った上で、それでも彼は口にしたのだ。それほどまでに望まれることをうれしくも思うけれど。


「それでも、ボクはあなたにもう一度バスケに触れてほしいです」
「……テツくん」
「捨てたのなら、もう一度拾えばいい。あなたが、それほどまでにバスケを愛するあなたが、バスケを捨てきれるわけがないんです」
「……うん」


そう、捨てられなかった。あの時も、あの時も、二度とも。捨て切れてはいない。怖くて苦しくて、だからバスケを捨てたかったんです、逃げ出したかった。私の思いはもう二度と届きはしないから、だから捨てようとしたのだ。今度こそ逃げ切れたと、捨て切れたと思ったのに、それなのにこんなに苦しくてたまらないのは、何故。


「あなたは諦められなかった」
「……」
「バスケから逃げて、それであなたは救われましたか?」
「……テツくん」
「好きなものだから、好きなものだからこそ、持っていてもつらくて苦しくて、だからあなたは逃げた。それなのに、逃げ出したはずなのにどうして今もそんなにもつらそうなんですか?」


過去の私が、泣いている。届かない思いが、いつか壊れてしまうのがこわかった。ただ私は、あなたのとなりに立ちたかった、ずっと追いかけていたかった。だけどそれは叶わない願いで、いつかそれを否定される日が来るのがこわくて自分から逃げ出した。あなたの口から、要らないといつか言われてしまうのがずっとこわかった。過去への回帰の中、明滅するあの赤の鮮やかさが私を惹きつけて離してくれない。


「持っていてもつらいだけだから捨てたのに、それでも結局つらいだけなの」
「……だったら、千加さん、持っていても捨ててしまっても、結局同じようにつらいなら、」
「……うん」
「好きなものを持っているつらさのほうが」
「………」
「ずっといいとは思いませんか?」
「…うん」


ああ、そうだね。結局あがいたところでなにも変わらないなら、どうせなら背中を向けるつらさよりも、向き合うつらさのほうがずっといい。私が逃れられるわけがない。こんなにも私はバスケが好きなんだ。私の一番の望みが決して叶わないのだとしても、それでも諦めないでいたい、追い続けていたい。――……たとえ、あなたが私のことをもう待っていなくとも。あのきらり光る赤のまなざしは今も私を苛み続けているけれど、けれど私は笑っていたい。たとえ私の想いは遂げられることはなくとも、ずっと、ずっと想っているよ。征ちゃん、いつかもう一度だけ、私のために泣いてちょうだいね。


「もう一度、僕と、バスケをしてくれませんか、千加さん」


そのやさしい手をとると、アイスブルーの瞳が、ゆらり、歓喜に揺れた。


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泣くまで止めない