「いってらっしゃい」


紫くんはそういって、昔みたいにへにゃりと笑ってくれた。みんなは確かに変わってしまったけれど、でも、変わらないところも確かにある。変わってしまうことすべてが悲しいわけではないし、それに根っこのとこはあの頃と何も変わっていなかった。みんな、私をちゃんと友達だと今でも思ってくれている。


「紫くん」
「ん〜?」
「これ、いつもの。試合頑張ってね、応援してるよ!」


紫くんの手のひらに、小さなチョコレートの包みをふた粒載せた。そうして、それから踵を返したけれど、背後から紫くんのありがと〜、やっぱ俺伊藤ちん好き〜と昔のように言うから懐かしくなって、思わず笑みがこぼれた。中学時代、試合の日には征ちゃんに内緒で紫くんにチョコレートをよくあげていた。あんまりお菓子を与えすぎると、糖分過剰摂取だと征ちゃんが怒っちゃうからこっそりとね、まあばれていたとは思うけど。ああ、そんなこともあったな。今日も試合だからと、つい習慣でチョコレートを持ってきてしまっている自分がいた。紫くんに会えると予想してたわけじゃないのにね。


懐かしくて紫くんの元に後戻りしそうになったけれど、振り返らずに進んだ。あの大好きな赤色をもう一度見つけるため、私の、自分の足で歩くことが、新たな一歩を踏み出せたことがとてもうれしい。まだ泣かずに待っててよ、征ちゃん。あなたを泣かすのはわたしなんだからな。







さて、征ちゃんに会いに行こうにも、どうしたものだろう。携帯に連絡入れてもいい気がするが、それはなんだか反則というか無粋というか面白くない。自分で、見つけたいし。征ちゃんは、確か京都の洛山高校に行ったとママが言っていた。リコさんもキセキの世代のキャプテンが行ったところだから、最重要チェックだって念を押していた。洛山といえば高校男子バスケ界では最強と呼ばれる地位にあるとも。さすが全戦全勝を当たり前と思っている征ちゃんらしいな、と思った。わざわざ京都の高校を選んだのはそのためだろう。緑くんの言葉を借りるなら、最強であるために「人事を尽くした」学校選択を行ったわけだ。


昨日のインターハイ初日の昼間にこっちに着いたため、私は昨日のほとんどの試合を見れていないけれど、どちらにしても洛山はシード校なのでインターハイ二日目の今日が初戦ならしい。そして今の試合の次が、その洛山の初戦試合にあたるのである。ということは征ちゃんは今洛山の控室にいるのだろうか。となると、征ちゃんに会うのは難しいだろう。部外者の私が選手控室のあるところに入れるわけもない。だけど、チャンスがないわけじゃない。今の試合のハーフタイムには、そのコートで次の試合のチームがアップを始める。それが終わるタイミングを見計らって、控室へ向かう道の途中で待ち伏せすればいいと思う。


…なんだかストーカーみたいだなあ、待ち伏せって。思わず苦笑いしてしまった。今まで、うじうじしていたのが嘘みたいな行動力だよ、まったく。


とりあえず今は私の仕事をしよう。今私がここにいる意味を忘れてはいけない。私はもう帝光中学のマネージャーではなく誠凛高校のマネージャーなのだから。この試合の前半が終わったら、行こう。たとえ、征ちゃんにこの手が振り払われてしまっても、また切り捨てられてしまったとしても、私は絶対に変わらないと。あの頃の幼い気持ちと少しも変わらず、あなたを追いかけたいと思っていることを伝えなければ。


――『スターチス』、まほうの言葉を信じて。







去年全国ベスト8入りした高校と、去年は出場を逃したもののほぼ毎年インターハイへ出場している常連校との試合、前半を見た限りではどちらも一歩譲らずといった感じだ。わずかに前者のほうがリードしているようだけれども、後者の学校はまだ奥の手があると思っていいな。さすがインターハイ出場校、どちらもハイレベルで恐ろしい。

やっぱり、バスケ、好きだなあ。見ているだけでわくわくしてしまうくらいには好きだ。私もバスケしたくなってくるし。私ならあの場面でフェイクを入れる、とか、私だったらそこはパスじゃなくて強引に打っちゃうなあ、とか。考え出したらキリがない。ああ、私、もう一回バスケ、したい。征ちゃんと、みんなと、バスケしたいな。


などと考えつつ、洛山がハーフタイムのアップを終え、控室へ向かうだろう瞬間に廊下で待ち伏せしてみる。一般の観客が行くことのできるところで、選手控室の方向の中継点はここだけだから、ここで征ちゃんを捕まえられなかったら、最悪、誰でもいいから洛山の人捕まえて伝言でも頼むべきかな。それだったら結局携帯に連絡を入れたほうが早いような気もするけど、だが試合前のこの時間に征ちゃんが携帯をいじるとは思えないしなあ。作戦の確認とかしてるだろうし。


「ねー、きみどこの学校ー?」
「結構かわいいじゃん」


悶々としていたら、なんか知らん人に絡まれてしまった。厄介である。何故か昨日もつかまってしまったけど、私今までナンパとか全くされたことなかったから、撃退方法がよく分からない。昨日は適当にあしらったけど。なんか最近急にされるようになったなあ。なんだ、モテ期か。征ちゃん以外にモテても全然うれしくねーんだよ。今度、こういう時の対処法、さっちゃんにレクチャーしてもらおう。


「すみません、人を待っていますので」
「そうなの?じゃあ、その人来るまでお話ししようよー」
「結構です」
「暇つぶし程度でいいからさあ」
「いやです」
「そういうこと言わないでさあ」
「むりです」


人の話、聞いているのだろうか、この二人組は。見たところ、高校ジャージを着ているから、インターハイ出場校の生徒なのだろう。ベンチ入り選手かどうかは分からないが。ジャージに印刷されている学校名を見たところ、まだ勝ち進んでいる学校だ。めんどくさいことになった。こんなことで、私の一世一代の勇気を踏みにじらないでほしい。


「いい加減にしてください」
「ははー、つめてーの」
「結構辛辣じゃん?」


逃げたいところだが、征ちゃんがもしここを通ったらと思うとできないし。それに気づいたら、二人組の片方が私の手首掴んでいた。あああああ、とても困ったことになったあああああ。これはもう逃げるしかなさそうだ。なんとか、なんとか、タイミングを見計らって。そうして、何か気をそらすものがないかと周りを見回したとき、目に入った目立つ集団がいた。そうしてやってきた一行の、先頭に、私の会いたくて会いたくてたまらないひとを見つけてしまった。ああ、やっぱり私は征ちゃんを見つけるのが得意だ。どれだけ人がいても、いつだって征ちゃんに目を奪われてしまう。だけど洛山の選手自体も多いのにこの場にいるそれ以外の人もかなりいるから、すみっこにいる私なんて当たり前だが全く気付かずに、まっすぐ前だけを向いて、征ちゃんは進んでいく、どんどん進んでいく。征ちゃん、待って、こっちを見て、私に気づいて。――おねがいだから、わたしをおいていかないで。


「征ちゃん!!!!」


振り向いた不揃いな瞳が射抜くように、私を見た。あの日の、私を要らないと言った日の征ちゃんが明滅して、そしてあの日の征ちゃんと今目の前にいる征ちゃんの瞳が交錯して、たゆたい、そしてその輪郭を縁取るように一つに重なった。あの日の征ちゃんも今目線の先にいる征ちゃんも、途方に暮れているような、迷子になった子どもみたいな、今にも堰を切って泣き出しそうな、私にはそんな繊細で危うい表情に見えた。征ちゃん、ずいぶん待たせたね、やっと、見つけたよ。


「…千加」


あの日、征ちゃんが私を拒絶した理由、私の手を振り払った理由。征ちゃんは、きっと、確かめたかっただけなんだろう。今の征ちゃんの泣き出しそうな表情で、やっとわかった。


征ちゃんは、私が思っている以上に、弱虫で臆病で泣き虫だ。


121211
神さまを買い被り