インターハイってさすがにすごい、この空気、熱気、緊張感、全中を思い出す。


夏休みになり合宿が始まる頃には、ついにインターハイの幕も切って落とされた。リコさんから聞いたところによると、今年誠凛が合宿地として選択した場所はインターハイの会場にとても近いそうだ。誠凛は奇しくもこの舞台に立つことは叶わなかった。けれど、今は後ろを振り向いている暇などはない。次のウィンターカップへ向けて全力で駆け上がるつもりでいなければ。目指すは、冬。


「千加ちゃんには合宿の時別行動をお願いしたいの」
「どういう意味ですか?リコさん」
「インターハイを見に行ってほしいの」
「…冬に向けての、偵察ですか?」
「ご明察よ」


というわけで、私は今回の合宿では同じ旅館に泊まりはするものの、日中は別行動でインターハイ出場校の偵察へ行くことと相成ったというわけである。この舞台で勝ち上がっているほとんどの高校がウィンターカップの舞台にも登場してくることはほぼ間違いないだろう。特に今年は、キセキの世代がそれぞれ別々の高校に入り、パワーオブバランスが去年から大きく崩れているに違いないのだ。きっと、みんな勝ち上がってくる。うちが戦うのは、もちろんまだ先の、冬のことになるが、そのチームスタイルの情報を集めておくべきだ。リコさんもどうやらそう考えてこの指示を出したようだ。


「しっかり、見てきて」


――次は、次こそは、絶対に、


テツくん、そして誠凛のみんなのために、私ができること。精一杯やりたい。私にできることは全力で成し遂げたい。私にも何かできることがあるならば、それはとてもうれしいことだし、一緒に戦わせくれるというのなら喜んで肩を並べさせてほしい。そんなチームに出会えたことは、とても幸せだ。あの頃の失われた円環はもうつながらないけれど、テツくん、ここでなら新しく生まれ変われるね、きっと。







次は、去年全国ベスト8入りした高校と、去年は出場を逃したもののほぼ毎年インターハイへ出場している常連校との試合、ね。両校のデータを見ている限り、かなりの強いと思う。何人か、昔全中で帝光と戦ったことのある選手がいて、プレイスタイルまで記憶に残っている人もいる。やはり全国、といったところだな。両校どちらが勝ってもおかしくない。


「あ〜、もうお菓子なくなるし〜」


そんなふうに次の試合への考えを巡らせながら、観客席に向かっていたとき、横切った紫色に私を目を奪われた。ああ、やっぱり、出会ってしまうんだなあ。みんなとは、切っても切れない縁が確かに存在しているんだろう。私は、通り過ぎて行った紫くんをあわてて追いかけ、なんとか彼の大きなジャージのすそを掴む。


「紫くん!」
「…ん〜?」
「待って、紫くん!」
「あらら?伊藤ちん?」


紫くんは相変わらず大きくて、でも去年よりさらに身長が伸びていて、相変わらずお菓子を食べていて、なんだか少し眠そうで、髪も少しだけ伸びていたけど、私の知っている紫くんだったからなんだか安心した。


「あれ〜、伊藤ちん、久しぶり〜」
「お久しぶり、紫くん」


なんて軽く挨拶している間も、相変わらず紫くんはお菓子をほおばっていたが、私をじいっと見つめる視線が何を意味しているのかは分かりかねた。他のみんなは、私と久しぶりに再会したとき、いつも不安そうな表情を浮かべるからなあ。まあ、青峰くんは例外だったけれど。


「…なんか伊藤ちん、ブス」
「えっ」


分からないどころか、予想ななめ上のアッパーを食らったんですけど。こんな辛辣なことを面と向かって言われたことなんて、紫くんからは今まで一度だってなかったのに一体どういうことだ…。なんか思ったよりも傷ついている自分が哀れだ…。中学時代、我ながらなかなか難しい紫くんになつかれていると思っていたのに、もしかしてそれってとんでもねえうぬぼれだったのでしょうか。かなしい。


「いきなりひどいな、紫くん」
「ん〜、だって前のほうがかわいかったし」


そう言って何故かとても残念そうな顔をした。どういうこと?ひょっとして、イメチェンしたことがそんなにだめだったのだろうか。というのも、私はあの日部活を辞めてから、長かった髪をバッサリ切っていて、その時の私を知っている紫くんとしたら違和感バリバリだからだろうか。そのせいだといいのだけど。


「え、それってこれ(髪)のせい?」
「そうじゃねーし」
「じゃあなにさ?」
「それ」
「へ?」
「気持ちわるい」


笑っていた私も思わず固まった。気持ち悪いまで言われると思っていなかった…。最近はそんな青峰くんみたいにケンカ売ってくるタイプのひと(中学時代、仲良かったころはよくじゃれていた)は周りにあんまりいないしな。火神くんはこっちが売らない限り、向こうから売ってこないし。


「さっきからどういうこと?」
「だから〜、気持ち悪いんだって、それ〜」
「それ?」
「笑い方」


思わず固まった。


「…笑い方?」
「ん〜」
「……へん?」
「うん〜」


ちゃんと笑え、と。少し前、火神くんは言っていた。昔の私を知らない彼ですら、そんなことを思うのだから、テツくんやさっちゃんももしかして私がうまく笑えていないと感じていたのだろうか。自分ではよく分からなくて、普通にしているつもりだったのになあ。やっぱり、私は心のカギを失くしてしまっているのだろうか。


「伊藤ちんじゃないみたいで、今の伊藤ちん、俺きらい〜」
「……あー」
「赤ちんのとなりで馬鹿やってる伊藤ちんが、いちばんかわいかった」


過去の私を早く取り戻さなくてはだめだ。みんなにこんなにも心配させてしまっている。


「伊藤ちんさ、赤ちんに早くごめんなさいして、赤ちんと早く仲直りしなよ」
「…うん」


だけど、ここまでストレートに言われたのは初めてだな。紫くんらしい。


「赤ちんも伊藤ちんとけんかしてからなんか変だし」


征ちゃんは、いつだったか才能開花を機に、少しずつ変わっていった。それは他のキセキのみんなも、そう。その程度に差こそあれど、何かが欠落していく毎日の中で、私は置いて行かれるような気がして悲しかった。圧倒的才能を持った稀代の天才、孤高の存在。肩を並べられるのは同じキセキの天才たちだけで、私のような凡人は勿論、あの中には決して誰も入ることはできない隔絶された世界。そんな中で、昔の征ちゃんが少しずつ消えていくような気がして怖かった。


「征ちゃんはさ、私がごめんなさいしたら、私のこと許してくれると思う?」
「ん〜?」


変わっていくあなたが怖くて、私は傷つけられるのを恐れて保身のために逃げ出した。だけど、私が怖いと感じたように、変わっていく自分に征ちゃんもひそかに恐怖していたとしたら。そんなときだからこそ、私はきっとそばにいてあげるべきだったのだろう。征ちゃんは、正直すごいひとだ。上に立つべきひと。だけどあの細い肩に、一体どれほどのものを背負っているというのだろうか。


「いや、俺赤ちんじゃねーから、わかんねーし」
「あ、うん」
「でも、」


ああ、征ちゃんに会いたい。会って、あの赤い髪を撫でたい。少し華奢な身体を抱きしめたい。征ちゃんの声が、聞きたい。おかえり、って笑ってほしい。


――赤ちんはずっと、伊藤ちんのこと待ってると思うけど。


この広い会場で、あなたを見つけるのは難しいだろう。それでもきっと私は見つけなければならない。きっと、征ちゃんも私が見つけるのをずっと待っている。征ちゃんの小さな背中を見つけてるのはいつも私だった。小さい頃、いつもひとりでいたその背中に飛びついては、きみを困らせていたね。私は、昔から征ちゃんを見つけるのは大の得意なんだ。早くあの小さな背中を抱きしめたい。そして、私も心の中にはあの赤いスターチスの花が咲いていることを、はやくこの口で直接あなたに伝えたいです。


――赤司っちは、伊藤っちを要らないなんて、思ってるわけがないッスよ。
――お前よりも、赤司のほうが、案外危うい気がして、俺はならんのだよ。
――だから、もう自分を責めないで。
――過去のお前も、今のお前も、お前だろ。


――…赤司くんは、今でも千加さんのことが好きですよ、とても。


スターチス


「ありがとう、紫くん」
「ん〜、早く元に戻ってね〜」
「征ちゃんに、会ってくる」
「いってらっしゃい」


立ち上がる勇気をくれてありがとう。みんな、ごめんね、ありがとう、行ってきます。


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花の胎動