絶望、雪辱、悲しみ、はがゆさ。
征ちゃんのとなりに立てるくらい強くなりたかった。いつか、征ちゃんに勝ちたかった。ただ、征ちゃんに認めてほしかったんだ。将棋もチェスも勉強もバスケも、私が征ちゃんに勝てたことなど一度だってなかった。どれほど努力しても、何度挑んでも、私は征ちゃんに勝てない。征ちゃんはそれを受け入れていたけれど、私はそれが悲しいことだと思っていた。負けることを決していいことだとは言わない。勝利はうれしいものだということも分かっている。それでも、勝ち続けること、それはどんなに無味で孤独な時間なのだろうか。もちろん、私はそれを味わったことはないからあくま想像にすぎないのだけれど。だけどただ、なぜか、かなしいと。
「…テツくん」 「…千加さん」
かける言葉はなかった。何も、なにも言うことはできなかった。今、彼は自身と戦っている。じゃあ、私は?通ずる瞳の奥に見えたものを私はただ、自分の瞳に焼き付ける。なにが、私とテツくんはよく似ている、だ。全然似ていない。とても似てるなど、言えるわけない。
「次は、次こそは、絶対に」
負けません、と。その言葉は音にはならなかったけれど、分かっている、解っているよ。何度挫かれても諦めないきみだから、きっといつか越えることができるだろう。どれほどその隔たりが今は大きくても。テツくんのその強さがうらやましい。私はいつ、諦めた?アイスブルーの陰りの中に淡く瞬くきらめきは、どうして尽きることはないのだろう。
「…あのさ、テツくん、私も、」 「………はい」
――わたし、強くなるよ!いつか、征ちゃんに勝てるくらい!
忘れていたきもち、目をそらしていた現実。たとえ叶わない願いだとしても、もう一度追いかけてみようじゃないか、道は遠く険しくて何度転びそうになっても何度でも立ち上がって。何度征ちゃんにこの手を振り払われようとも、手を伸ばし続けるよ、あの日の幼い私の誓いのとおり。
私、もう二度とあきらめないよ。征ちゃんがあの頃の気持ちを忘れてしまっても、私はずっと忘れないでいるよ。
お互い、かける言葉はない。言葉少なで通ずるのはどうしてかな。私とテツくんは似ているわけじゃない、きっと近いだけだ。同質なのではなく近似なんだろう。ああ、やっと掴めた。テツくんをやっと見つけられた。つないだ右手が震えているのに気付かないふりをして、伏せられたアイスブルーが溶けだしそうな気がして、ただ見つめる。それでも結局、透明なしずくがこぼれだすことはなかったけれど。
もう一度、もう一度。
*
「夏休みは合宿があるらしいね」 「そうですね」 「…本来ならわくわくしたいとこだけど、絶対しんどいよね」 「…そうですね」
インターハイへの挑戦は終わり、目標をウィンターカップに定めてリスタートを切ることになった誠凛は新しく生まれ変わる必要があるだろう。そして合宿はまたとないチャンスである、みんなそれぞれ合宿でどれだけ何かを掴んでくるのかが楽しみだ。
「そういえば、期末テストはどうでしたか?」 「まずまずだよ!」 「数学は?」 「きみは私を怒らせた」 「だめだったんですか、やっぱり」
中学時代、数学は苦手ではあったものの、そこまでひどくはないといったレベルであった。というのもあの頃はテスト前には学年トップの征ちゃんが先生以上に分かりやすく教えてくれていたので、テストでもそれほど悪い点はとったことはなかったのである。しかし、やっぱり私は生粋の数学嫌いだったらしく、高校になって難易度もぐんと上がったというのに征ちゃんという頼みの綱がない今、やはりその点数はなかなかひどいものだったのである。ああ、こんな点、征ちゃんが見たら間違いなくどやされる。絶対寝かしてくれないわ、もちろん勉強的な意味で。
「…ん?」 「電話ですか?」 「うんや、これはメール…」
なんて雑談しているとき私の携帯が鳴った。今は部活帰りでさっきまで学校にいたので、携帯の設定をバイブレーションにしていたのだけれどもどうやらテツくんには聞こえてしまったらしい。
「ボクのことはお気になさらず」 「どうも」
一応テツくんの許可をもらってから携帯を確認して、そうして目に映ったその名前に私はひどく動揺しまい、せっかく新しくしたばかりの携帯を落としそうになった。画面に触れていた指がふるえる。
「…どうしたんですか、千加さん」 「て、テツくん、どうしよう」 「千加さん…?」 「めーる、」 「誰からだったんですか?」
揺さぶられる、乱される。
「……せいちゃん、だった」
ああ、嘘だと言ってほしい。それがあなたの本心だというのなら、あなたは私に一体何を望んでいるというの。
「千加さん、」
これ以上傷ついてしまわないように、あの日から凍りついたはずの頬が溶けだしそうだ。泣いて、しまいそうだ。あの日、枯らした泉に螺旋を描くように染み渡ってゆくこの感情の名前を誰か教えてほしい。征ちゃんが生まれて初めて私に拒絶を示したあの日から、征ちゃんは二度と私を受け入れてはくれなかった。私を見ることすら拒んだ。一切の接触を拒んだ。
「赤司くんは、なんて?」 「…ただ一言、」 「……」 「『スターチス』と」
――ぼくは千加のことをきらいになったりなんて、ぜったいしないから。
どうしてですか、征ちゃん。やはり深海はさみしいですか。孤独の底にあなたは沈んでいるのですか。私はまだ、泣くことができません。なぐさめてくれるあなたがいないから。だから、もしも私が泣くことができたその時は、深海に沈むあなたに私の想いのあぶくがどうか届きますように。
121209 花を手折りて君を追う
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