幼い頃、私は自分の感情を制御できず、感情の波に足元をすくわれて、そして息ができずに泣きわめく、そんな女の子だった。


「千加」
「……せいちゃん」


ドジでまぬけで頑固で泣き虫だった私を、いつだって征ちゃんは見捨てずにいてくれた、いつだって守ってくれていた。


「なかないで、千加」
「……うわああああん!せいちゃああんっ!!!!」
「だいじょうぶだよ、ぼくがいるよ」


だいじょうぶ、だいじょうぶだよ、千加。そうやって私の頭を撫でてくれる征ちゃんはいつもやさしくて、私が嫌がるもの、怖いものからいつも守ってくれたんだ、まるで、ヒーローみたいに。私はそんなやさしくて強くてかっこいい征ちゃんが大好きで、そして同時にそんな征ちゃんに憧れていた。


「千加、なにがあったの」
「……あのね、」
「うん」
「あの、ね…」
「ゆっくりでいいよ、千加」
「うん、」


そうして私の頭を撫でる征ちゃんの手が、私の涙をぬぐうその指先が、私は大好きで。このひとが、ただ、私のそばにいてくれるなら、ただそれだけで私はしあわせだ、と。幼いながらに、私は征ちゃんだけに恋をしていた。ずっと、ずっとそばにいてほしい、と願ってやまなかった。だから、いつか、もしかしたら征ちゃんがわたしを置いて行ってしまうのかな、とかそんなこと考えたくなかった。もしかしたら、うすうす予感していたから、そんなことを思っていたのかもしれないけれど。


「おなじ組のね、男の子にいじわるゆわれたの」
「いじわる?」
「千加は、せいちゃんにいつもべったりできもちわるいって、おかしいって、わらわれた」
「……」
「せいちゃん、あのね」
「…なあに、千加」
「………せいちゃんも、」


――せいちゃんも千加のこと、きもちわるいっておもう?千加、せいちゃんがだいすきなの、だからせいちゃんといっしょにいたいの。そうおもう千加は、おかしいの?


そんなことを、一通り泣きわめいて真っ赤な目をしたぶさいくな顔をした私が尋ねると、征ちゃんは目を真ん丸にして、一瞬呆けた表情を浮かべて、それからまるでおかしくておかしくてたまらないといったふうに、大きく笑った。


「あはははは!」
「…せ、せいちゃん?」
「ふふ、千加はばかだなあ」
「えー…?」
「千加」
「うん」
「ぼくも、千加のことがだいすきだよ」


ちょっとだけ顔を赤くしながら、とってもきれいな笑顔でそう言った征ちゃんに、私も思わず頬を染めたのを覚えている。照れて真っ赤になった私の頬を征ちゃんがやさしく撫でながら、千加、と私の名前を呼んだ。その一言で、十分だと思った。きっと、征ちゃんは私が思う以上に、私のことを大切に思ってくれてるんだなあと、その時初めて実感したのだ。征ちゃんはいつも私の名前をとてもいとおしそうに大事そうに呼ぶ。敢えて口にしているかのように、何度も何度も。まるでよくしつけられた犬のように、征ちゃんに名前を呼ばれる度に、私は征ちゃんへのとめどない想いを募らせてゆく。


「そうだ、千加」
「なあに、せいちゃん」
「余計なことを千加にふきこんだやつの名前、おしえてよ」
「え?」
「ね?」
「…どうして?」
「千加はしらなくていいことだよ」


そういって黒く微笑む征ちゃんはとても園児には見えない恐ろしさを纏っていた。そうして、征ちゃんの圧力に耐えられず、私はその子の名前をもらしてしまった。それから、その子が二度と私に話しかけてくることはなくなった。征ちゃんは、昔から容赦なかった。







ずっと一緒に育ってきた私と征ちゃんだが、そのファーストコンタクトというものを私は覚えていない。それも当たり前の話である。


「きゃあああ、かわいい子ね!」
「でしょう?でも千加ちゃんもかわいいわよねー」
「そう?ありがとう!」
「お互い将来が楽しみねえ」


それもそのはず。私と征ちゃんのファーストコンタクトは、私生後数か月、征ちゃん生後二週間、というお互いが生まれて間もない赤ん坊であったのだから。私のお母さんと征ちゃんのママは学生時代の友人であり、またお互いの家が同じ団地にあるという立地の近さから、私たちはお互いに生まれたときから知っている旧知の幼馴染なのである。しかも、うちの両親は共働きで忙しく、仲が良くて家の近い征ちゃんのママに私は預けられることが多く、私と征ちゃんはまるで姉弟のように育ったと言っても過言でもない。征ちゃんのママのこと、第二のお母さんだと思っているし。実の母のお母さんよりも、ママは私のこと知っているくらいだし。それに、私と征ちゃんはまったく似ていないが、双子にも何度か間違えられたこともあるくらい、ずっと一緒で、とても仲良しだったのだ。


「せいちゃんー」
「なあに、千加」
「千加、せいちゃん、だいすき」
「ぼくもだよ、千加」
「ほんとう?」
「ああ、ほんとうだよ」
「もう、千加のことおこってない?」
「さいしょから千加のこと、おこってないよ」
「…千加のこと、きらいになってない?」
「だいじょうぶだよ、ぼくは千加のことをきらいになったりなんて、ぜったいしないから。だから、もうなかないで?」
「うん、せいちゃん、だいすき!」
「ふふ、わかったから」


まあ、誕生日的に私のほうが早くて姉弟なんて言いましたけれども、実際は昔から大人びていた征ちゃんが私の面倒をいつも見てくれていて、むしろ兄妹といってほうがしっくりくるかもしれない。というか、ずばりそうだろう。まあ、とはいったものの、私たちがお互いに家族みたいに育ったのは確かだけれど、私が征ちゃんに抱く感情は、家族に対す愛情と同時に、異性に対する淡い恋情もあって、征ちゃんは私を守ってくれるお兄ちゃんで、ヒーローで、同時に初恋の男の子であったというわけだ。そうして、その思いはいまだに枯れてはいない。


「千加」
「なあに、せいちゃん」
「おおきくなったら、結婚、しようか」
「けっこん?」
「ずっといっしょってことだよ」
「ほんと?せいちゃん、ずっと千加といっしょにいてくれる?」
「うん、ずっといっしょだよ、ずっと」


征ちゃんはきっともう忘れてしまったのだろうね。私は、忘れたことなんてないのに。ずっと、いっしょ。


「大きくなったら、ぼくのおよめさんになってね、千加」


あんなに強くつないでいた手は、こんなにもあっさりと離れてしまっている。私を救って、助けて、征ちゃん。私を救えるのは、あなただけ。私のヒーローは、今も変わらず征ちゃんだけだよ。


――ぼくが千加をずっとまもってあげる。


だったら、すぐに帰ってきて、わたしを抱きしめてよ、ばか征ちゃん。


121207
愛しすぎて反吐がでる