「おい、伊藤」
「なに、火神くん」
「お前、黒子と付き合ってんのか?」


そういうと伊藤はきょとんと目を大きく丸めた後、ぶふっと勢いよく噴出した。そして大笑いをした。いやいや、俺そこまで面白いこと言ってねえだろ!


「なにを言うかと思えばー」
「わりぃかよ!!!」
「そんなこと言われたの初めてだわ」
「は?あんだけ仲いいのにか?」


そんなバカな。


「私には幼なじみがいるんだけど、その人とよく付き合ってんのかと思われたことあるけど、テツくん相手にはなかったなあ」
「ふーん」
「テツくんが現時点での、私の一番の理解者ってのは確かだけどね」
「…あ?」
「一番は、別にいるからね」


そう言って笑った伊藤の表情は何故だかとても悲しげだったのは言うまでもない。多分、その一番とやらがその幼なじみのことを指しているんだろう。ふと、同じクラスのやつが言っていたことを思い出す。


――伊藤さんってすっげえかわいいよな、火神、同じ部活なんだろ?
――あ?マネージャーの伊藤のことか?なんでお前知ってんだよ?
――あほか!お前、伊藤さんとか、入学早々和風美人で超有名だわ!
――…和風?
――てか、伊藤さんって彼氏いんの?
――はあ?そんなの俺が知るわけねーだろ。
――なんで知んねーんだよ!お前、気になんねーのかよ?!
――…あー、いや、別に。
――伊藤さんと同じクラスのやつが言ってたんだけどさー、伊藤さんって時々、すげえ悲しげな表情するんだとよ。
――はああ?あいつが、か?
――その表情がまたアンニュイで、すげえキレーなんだと。


悲しげな、アンニュイな。そう言っていたそいつもまた、たぶんこいつにひかれているんだろう。そして、その表情をさせる相手というのが、こいつの一番というやつなのだろう。現時点での一番の理解者だという黒子よりもずっと、伊藤が想ってやまない相手。全く気にならねーわけではないが、それは俺には正直言って全く関係のない話だし、そして俺にはどうすることもできないことだ。そしてそれは、きっと黒子も同じなのだろう。だからこそ、あいつはせめて、今のこいつの一番近くにいてやることを選んだんだろーな。


「お前、たまには心から笑え」
「え?」
「俺は昔のお前を知らねーけど、お前が心の底から笑ってねーことは分かる」
「…うん」
「過去のお前も、今のお前も、お前だろ」


千加さんはああ見えて、とても脆いひとですから。そういった黒子の表情はとても苦しげだった。そして、それと全く同じ笑い方で、伊藤は、笑った。


「ありがとう」
「……」
「私の一番の人はね、とても強いひとなんだ」
「…ん」
「いずれ、火神くんも会うことになるよ」


その意味を推し量るには十分すぎる言葉だ。きっと、バスケで、俺は正面から会うことになるのだろう。


「そりゃ楽しみだな!!」


やっぱり、こいつと黒子はとても似ていると思った。







新しくマネージャーとして入ってきた千加ちゃんは、とても不思議な女の子だった。


「リコさん」
「なに?」
「火神くん、負傷していて暇そうなので、ちょっと借りてもいいですか?」
「いいわよ、お願いするわ」
「はい」


彼女もまた”目”を持っているらしく、私では及ばないところまできっちりカバーしてくれるから、彼女の存在はとても重宝している。コーチ的意味でのサポートとしても、またマネージャー的意味でのサポートとしても完璧なのだ。帝光中の強さの裏には、彼女のような存在も一役買っていたのは間違いないだろう。


「その前に、千加ちゃん」
「はい?」


しかも何より驚きなのは、彼女自身のバスケの実力は、帝光バスケ部一軍の練習に加わることのできるほどだったということね。一度だけ、彼女がまだ現役のプレイヤーだったの時に、彼女のプレイを見たことがあるが、確かに男子に比べると、パワーや高さは勿論劣るものの、スピード、柔軟性、シュート精度などはどれをとってもすばらしいもので、女子バスケ界の中での彼女の存在は群を抜いていた。彼女もまた、天才と称するにふさわしい逸材だろう。そして、その実力はたゆまぬ努力を伴うものであることも確かなのだ。


「あとでミニゲームするから、その時にはこっち戻ってきてね」
「了解しましたー」


彼女がもし男の子だったらと、思わなかったわけではない。そうすれば、誠凛の実力は格段に上がる。そう考えなかったらと言ったらもちろんうそになる。けれど、それはきっと無意味なことだし、そんなことは千加ちゃんが一番、痛いほど思い続けていることなのだろう。初めて、千加ちゃんのプレーを見たときの、あの時のことを思い出す。


――何故、それほどまでに痛そうなのか。


中学2年のとき、偶然女子バスケの全中を見に行った。そして、その時誰もが視線を奪われるほど鮮やかなプレーをしていた彼女のことが、私は記憶に残っていた。帝光中バスケ部は、男子のほうが圧倒的に有名だが、のちに「キセキの世代」と称される天才たちがもつほどの華やかさはないものの、女子のほうも全国に名を馳せる強豪校のひとつであることに変わりなかった。そうして、その中でも群を抜いていた彼女は、会場中の人々の視線を集めるほどの精彩あるプレーをしていた。けれど、その表情は、なぜか苦渋に満ちたものだった。


まるで、絶望沼に身を沈めているような。その場にいるどの選手よりも強くてうまいのに、チームも勝利が確定しているほどの点差であるというのに、それでも彼女は何故か圧倒的な敗北感に打ちひしがれているように、唇をかみしめて、痛くて痛くてたまらないと、そんな表情をしていた。今にも、泣きそうな、そんな表情だった。


――帝光中女子バスケ部が全中優勝を成し遂げても、彼女の表情が晴れることはなかった。


私はまるでその時のことが、まるで付箋のように記憶の中に残っていて、あの日、黒子くんと一緒に彼女が目の前に現れたとき、忘れていたはずの記憶が溢れだすのを感じた。そうして、男の子の姿で、うちのエース部員である火神くんに挑むというのを聞いたとき、私は、その答えが少しだけ見えた気がしたのだ。


やはり、火神くんとバスケをする彼女の表情は少しだけ切なそうなものではあったものの、うれしそうな楽しそうな、その僅かにほころんだ笑みは、とてもやさしかった。


彼女の望むものは、きっともうどうしようもないものなのだろう。男女の差というものは越えられない。どれほど努力しても、身長やパワーや筋力や体力で、彼女が男子に並べることはもうこの先ありえないことなのだ。スポーツの資本は、身体だ。男女の差を前にして、彼女はそれが圧倒的に及ばない。きっと、それが彼女の耐え難い絶望の深淵部分なのだろう。そうして、だからこそ、彼女は他の部分を磨いてきた。血のにじむような努力で、彼女の強みであるスピードや柔軟性やテクニックを、ずっと磨いてきたのだろう。そしてついにその壁にぶち当たったのは、きっと中学生の、あの時だったのでしょうね。


男子と肩を並べたくて、だけどそれはいつか叶わなくなると、きっと彼女はずいぶん前から知っていた。だからこそ、その壁にぶち当たるのがすこしでも遠くあるように、彼女はほかの部分を磨いてきたのだろう。それが今の彼女を形成するすべてで、彼女がずっと切望してきたものは、中学のあの時についに遠ざかって行ったのだ。彼女の絶望の意味が、あの表情そのもの。


――私の望みはただひとつだけ。


けれど、それはもう叶わない願い、彼女は小さく悲しげに笑う。どうして、あれほどまでに壊れそうなのか。あの時の痛みを耐える表情とはまた違う、今の彼女は、どうにもかなしいものがある。


「…だけど、本当にそれは叶わない願いなのかしら?」


そんなことは、ないのではないのだろうか。私はそんな気がしてならない。いつか、千加ちゃんの願いが、届くといいのに。千加ちゃん、バスケは、あなたから逃げたりはしないのよ。


121128
愛が欲しいと啼いたのだ




*余談

千加の越えられない男女の壁というものは、私がずっと痛切に感じてきたものです。それは、バスケではなかったけれど、そのどうしようもない隔たりが私はとても嫌でした。単純なうまさとは別の、その隔たりがひしひしと迫ってくることを痛感してた思い出を千加にも味わってもらいました。あれは本当にどうしようもなくて、とても悔しかったです。彼と並び立ちたい千加にとって、それは最大の敵になり得るだろうと思いました。


それから、私自身の少ないバスケ経験をもとに色々ごちゃごちゃ言っていますが、演出上のあれなので、不自然な点も多々あるとは思いますが、どうか目をつぶっていただけると幸いです。ちなみに、私のポジションはフォワードだったので、フォワードのことは少しわかるんですが、ほかのポジションについての描写は想像で描いておりますので、いろいろご容赦くださいませ。