「風邪引くよ」


そういって傾けた傘の下、彼が驚いたように目を見開いた。







「お前が赤司の片割れか」


そういって私に声をかけた人は、緑色の髪の毛をした人だった。くいっと神経質そうに上げた眼鏡のレンズの奥の瞳は、値踏みするような居心地の悪い視線だった。


「片割れって……別に双子とかじゃないですが」
「精神的な意味でだ」
「はあ、」


それにしても気になるのが、赤いりぼんをした白いねこのぬいぐるみを何故今彼が手にしているのかということである。タワーみたいにデカイひとが、なんでそんなかわいいもの引っ提げてるの。超気になる。


「伊藤千加です」
「知っている」
「……ところでそれなんですか?」
「今日のラッキーアイテムなのだよ」


ラッキーアイテム?そういえば、征ちゃんが男バスには征ちゃんと同じく一年生でレギュラー入りしたひとの中に、占い信奉者の最強シューターがいるとか。運勢がいい日は、冗談みたいに絶好調なんだとか。征ちゃんが面白いよね、って笑ってた気がする。もしかして、この人かな?


「えーっと、征ちゃんと同じく一年レギュラーのシューティングガードの人ですか?」
「ご明察なのだよ」
「初めまして、どうも」


それにしても、一体何の用なのだろうか。私とこの人なんて、征ちゃんか、バスケか、限られた繋がりしかないはずなんだが。


「お前、女バスで一年生で即レギュラー入りしたそうだが」
「ああ、はい、光栄なことに」
「ポジションは?」
「え?一応フォワードですが、シューティングガードも時々」


なんなんだ、何が聞きたいのか。この人は。


「スリーは得意なのか?」
「え?まあ、はい、それなりには」
「俺と勝負しろ」
「……はい?」


何を藪から棒にすっとんきょうなことを言っているのかこの人は。ていうか、え?勝負?


「スリーでどちらが先に落とすか勝負しろと言っているのだよ」
「そうじゃなくて!なんであなたと勝負しなくちゃいけないの?!」
「赤司がお前のシューターとしての腕を誉めていたのだよ、俺といい勝負だとな」
「え?征ちゃんが?!」
「俺と同等などと、心底気に食わん。どちらが上か実力の差というものを証明してやる」
「……え、ああ…いや」


……やだ、この人完全に征ちゃんに踊らされてるじゃないですかあ。征ちゃんも多分暇潰し程度にこの人を焚き付けたんだろうな。前にも、なんか色黒のひとがワクワクした感じでお前強いらしいな?とか言って、なんか勝負しに来たし。定期的に強い人を送り込んでくるのやめてよ、征ちゃん。


「あの、私、部活が…」
「心配するな、女バスの部長には赤司が言ってある」
「なん、だと…」


征ちゃん…準備良すぎだろ。なんなんだよもー!毎回毎回!また男バスのルーキーと勝負したとか言って、女バスの人たちに色々言われんだからな!征ちゃんの幼なじみってだけで、色々聞いてくる人がいるのに、さらに気苦労増やす気なの、征ちゃんのバカヤロー!


「分かりましたよ!やればいいんでしょー!」
「何をキレているのだよ、最初からそう言っている」
「なんなんだよ…」
「緑間真太郎だ」
「別にお名前は聞いてないです…」
「名乗っていなかったと思ってな」


一体なんなのだよ、この人。征ちゃんとは違うベクトルでめちゃくちゃマイペースだな。なんなの?前の色黒のひとといい、男バスの今年の期待の新人共はマイペースが売りなの?天才ってなんで例にもれずマイペースなのよ。ていうか、私、そんな期待されるほどうまくないんですけども。


「あのさ、みどりゅまく、…………」
「……」
「……み、みーどーりゅぃ、ま、」
「……」
「みどり!みゃ!……くん」
「……」
「……すみません」
「…なんなのだよ……」
「言いにくいので、緑くんって呼んでもよろしいでしょうか……」
「…好きにするのだよ」


私の滑舌は最高に悪かった。なんこれ恥ずかしい。


「それで、本当は何を言いたかったのだよ?」
「………なんでもないす」


なんか心が折れた。







「お久しぶり、緑くん」


久しぶりに見た彼は本当に強くなっていて、びっくりした。あの頃の、まだ未熟だったとき私と張り合っていたのが嘘みたいに。どんどん、みんな遠くへ行ってしまうね。私を置いて、みんなどんどんうまくなっていく。さみしい、けど、でもこのさみしさはそれだけではないのだろう。


「…伊藤か」
「試合、お疲れさま。選手が風邪引いたらだめだよ」
「……」
「この傘とタオルあげるから」


緑くんは私の傘とタオルを受け取り、それから長いまばたきをして、それからまるで射抜くように私を見据えた。そのまなざしは、初めて会ったあの日のものとよく似ていた。


「お前が誠凛のベンチにいるから、驚いたのだよ」
「なんで?」
「何故なら、お前は洛山に行くだろうと、俺は確信していたからな」
「黄瀬くんにも言われたよ」
「だろうな」


緑くんもそう言うのか、しかも彼の場合は確信とまで言い切るのだから、余計になんだか困惑してしまう。もしかして、他のみんなに会うたび、そうやって驚かれてしまうのだろうか。


「なにそれ、私と征ちゃんってそんなニコイチ設定なの?」
「忘れたか?伊藤」
「……」
「お前は赤司の片割れなのだよ」


精神的な意味でのな、そういって同じように彼は神経質そうに眼鏡をくいっと上げる。片割れ、ね。


「少なくとも私にとっては、そうだけど、でも」
「伊藤」
「…うん」
「俺はお前のことは正直言ってよく知らん」
「うん」
「だが、赤司のことなら少しは分かるつもりだ」
「……」


私の肩が濡れていることに気付いたらしい緑くんは、傘を少しだけ私のほうに傾けた。緑くんの肩が今度は濡れてしまう。それじゃあ彼に渡した意味がないのに、それでも、こんなさりげないやさしさを彼は時々向けてくれる。不器用なひとだ。


「お前は、赤司の片割れなのだよ」


相棒ともまた違う、信頼と親愛と愛情がそこにある。絶対的唯一のパートナーだと、彼は言う。


「お前が赤司の隣にいないのは、」


とても不自然で、そしてそれはひどく危うい、と。


「お前よりも、赤司のほうが、案外危うい気がして、俺はならんのだよ」


雨音がただひたすら響く世界のなか、その言葉が焼けついたように離れなかった。


――きみは泣いてしまうかも、しれない。


私が壊れそうなほど、綱渡りのようなぎりぎりな毎日を送っているように、もしかしたら征ちゃんも、ほの暗い深海を孤独に泳ぎ続けているのだろうか。もしも私が泣けたら、そしたら私の涙はあぶくとなっていつか征ちゃんの元に届くことが叶うだろうか。


――千加、ずっと、ぼくのそばに、


征ちゃんは嘘つきだ。


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海を抱いたまま眠ろう