「はああああ」 「長い溜息ですね」 「つかりた…」 「お疲れさまです」
長い溜息をついて、机に突っ伏した私の頭をテツくんがやさしく撫でた。やだ、テツくんのやさしさに泣きそう。泣けないけど。
「黄瀬くんのことですか」 「うん。女の子たちに質問攻め、ツライ」 「なんで片言なんですか」 「思えば、中学の時はすごく平和だったんだなあ」 「そうですね」 「…それって、もしかして征ちゃんがいたからなの?」 「十中八九そうです。ていうか百パーセントその通りです」
そっかあ、やっぱり征ちゃんの存在が私を守ってくれていたんだな。やっぱり征ちゃんの影響力ぱねえ。
「やはり黄瀬くんはモテるんだねえ」 「そうですね。他のキセキの面々もそうですが」 「まあ、かっこいいもんねー」 「そうですね」 「テツくんもかっこいいよ」 「ありがとうございます」 「でも、一番はやっぱり征ちゃんだけどー」 「分かってますから、いちいち言わないでください」 「えへへ」
モデルらしい黄瀬くんだって、ほかのみんなだって、もちろんかっこいいわけだけども、私にとっては征ちゃんがやっぱり一番だし。テツくんはやっぱり呆れていて、すごくうざそうな顔してるけど、そんな顔されたって、征ちゃん以上に誰かをかっこいいと思ったことないんだから仕方がない。
「キミが赤司くん至上主義なのは分かってますから」 「よくお分かりで」 「分かりますよ、キミのことはよく」 「うん、テツくんのそういうとこ好き」 「それは光栄ですね」 「えへへー」
一番好きなのは征ちゃんだけど、もしも、私が征ちゃんと出会わなかったら、もしかしたらテツくんのこと好きになっていたかもしれないと思うほど、テツくんは私のことよく理解してくれるし、とんでもなく甘やかしてくれるから、だからほんとに困る。
「黄瀬くんがね、」 「はい」 「征ちゃんに会ったら、私、泣くかもって言ってた」 「……泣けるんですか?」 「…どうだろう」
泣けると、いいですね、そうやって私を撫でるテツくんの手のひらは、黄瀬くんのよりも小さいものだったけど、おんなじくらいあたたかくて、やさしかった。
「征ちゃんに、あいたい」 「…はい」 「会いたい」 「はい」 「………寂しい」 「そうですね」
あの頃に、戻れたらどれほどいいだろう。
*
「さっちゃんー」
私が呼びかけると、さっちゃんは少しだけきょとんとした表情をしながら振り向き、そして呼んだのが私だと確認すると満面の笑顔を向けてくださった。
「千加ちゃん!どうしたの?」 「お昼これからだよね?今日ね、今週の練習試合のことの打ち合わせを軽くするから、みんなでお昼食べようって、征ちゃんが」 「赤司くんが?わかった!ちょっと待ってね!」 「うん、急にごめんね」
そう言うと、さっちゃんは小さく苦笑した。まあ、部活関係なわけだし、しかもその提案者が征ちゃんなんだから、拒否権なんてあってないようなものだ。
「あ、青峰くんは大丈夫?また四時間目サボってたからいないの」 「多分大丈夫だよ、他のメンツは征ちゃんが連れていくって言ってたからね!」 「…なら安心だね!」
万事オッケーです、はい。
「天気もいいし、中庭で食べるんだってー」 「そうなんだ!なんだかんだみんなで食べるの初めてじゃない?」 「あー、そうかもねー」
そういえばそうだ。なんだかんだ全員が揃うのは初めてなんじゃなかろうか。最近夏も近くなって、春から新しく入った黄瀬くんも打ち解けてきたかんじだし。みんなで、8人みんなでいるのが、私は最近楽しくて仕方ない。最近はみんなもっともっと、バスケうまくなってきているし、もしかすると全中三連覇も決して夢じゃない気がする。そして何より、みんなが楽しそうにバスケをするのがたまらなくうれしくて、いとおしいのだ。
「中庭着いたけど、みんなどこかな?意外と人が多くてわからないよ」 「あそこにいたよ!さっちゃん」 「わあ!ほんとだ!千加ちゃんすごいなあ」 「征ちゃんがいるからすぐわかっちゃったー!」
そうやっておどけると、千加ちゃんは相変わらず赤司くんを見つけるのが上手いね、ってさっちゃんが苦笑するものだから、私も思わず苦笑してしまった。どんなに大勢の人に埋もれても、征ちゃんだけは見付けられるよ。目立つ目立たないとかじゃなくてね。隠したって見付けられるよ自信があるよ。
「征ちゃんー!さっちゃん連れてきたー!」 「ああ、千加、お疲れ」 「征ちゃんー征ちゃんー」 「全く、仕方ない子だね」 「征ちゃんー好きだー」 「当たり前だ」
えへへ、思わず黄瀬くんみたいにわんこのように征ちゃんに飛び付いてしまったが、征ちゃんはやさしく抱き止めてくれた上に、すりすりする私を邪険にすることなく、やさしく後頭部を撫でてくれるもんだから、ほにゃほにゃと一瞬でしあわせになってしまった。
「な、なんなのだよ!お前たちは毎回毎回!!」 「落ち着いてください、緑間くん。通常運転です」 「赤ちんずる〜い」 「もう、千加ちゃんたら…」 「俺も伊藤っちにすりすりされたいッス〜」 「どうでもいいから飯食おうぜ」
みんなが色々言っているが、かまうものか、私はなおも征ちゃんにくっついた。征ちゃんはため息吐きつつも、私を振り払おうとはしなかった。征ちゃんってば甘いな。
「どうせ千加のことだから、四時間目が数学で、精神的に瀕死だから俺に飛び付いてきたんだろう」 「うむ」 「千加」 「うん」 「お弁当、作ってきてくれたんだろ?」 「もちろん」 「早く食べたい」 「うん!」
そういえば、四時間目は数学でしたね。と同じクラスのテツくんが笑っていた。青峰くんはそれを聞いてしょうもないと笑っていた。すまん。そんなこと思いつつ、征ちゃんにお弁当を渡すと、ありがとうと言いながら、私の頭を撫でた。なにこれ、甘すぎ。
「赤ちんいいな〜、俺も伊藤ちんのお弁当食べたい」 「紫くんの分作るとなると、量が大変だから正直いやです」 「え〜」 「えー」 「む〜」 「今度お菓子作ってくるから許してよ」 「おっけ〜」 「紫くん、チョロすぎ!」
みんなも笑ってるが、紫くんはむしろこっちが本命だった気がする。あらやだ、超したたか。通常運転通常運転。
「ところで、今週の練習試合の件だが」
征ちゃんが本題に入ったところで、私も姿勢を正した。征ちゃんがキャプテンの顔をしたから、私もマネージャーの顔をしなければ。いつも私に対する昔と変わらないやわらかいまなざしも好きだが、こんな真摯な征ちゃんもかっこいいから好きだ。
「桃井、千加」 「はい」 「はい」 「次の練習試合の相手校のデータとDVDを渡すから、分析よろしく頼む」 「了解」 「がんばります」
私はバスケが大好きだ。それはここにいるみんなにも負けないと思う。負けたくないね。
「それと、千加」 「なあに?征ちゃん」 「相手校にどうやら千加と似たスタイルの選手がいるみたいなんだ」 「うん?」 「ちょうどいいから、今週いっぱいは千加も練習に混ざること」 「え!?」 「いい練習相手になるからね」 「えー」 「千加」 「…はい」 「いいね?」 「あい」
うれしい、うれしいんだけど複雑。バスケするのは好きだし楽しいしうれしいんだけどさ。でもね、私が混ざると燃える人が約4名…。
「伊藤、今度こそ俺のシュートの方がすごいことを証明してやるのだよ」 「俺から点を取れるならやってみな」 「伊藤っちには負けないッス!」 「今度こそ完全にボクを見失わせてやります」
うおおお…、やる気になってくれるのはいいんだけどね…。きみたちが私を認めてくれるのはうれしいけどさ。いずれ私なんて眼中になくなることも分かっているけど、でも、だけど、やっぱりこう言ってくれるのはうれしい。まだまだ、きみたちとコートに立たせてもらえるのか、うれしいことだ。それは公式にではないけれど、それでもやっぱり私はみんなとのバスケが大好きだ。
「征ちゃん、私、がんばるね」 「ああ、千加なら大丈夫だよ」 「ありがとう!」 「がんばってね!千加ちゃん!」 「伊藤ちん、がんば〜」 「うん!みんなありがとう!大好きだー!」
そう言うとみんなも笑ってくれて、ああ、なんてしあわせなんだろう、みんなといるだけでこんなにもうれしい。そんなみんなと出会えたことは限りない幸運だ。
「千加」 「征ちゃんがもちろん最強にして最高に一番大好きです」
なんか無言の圧力をいただいたので、瞬時にそう返すと、何て言うか神々しい微笑みをいただいた。征ちゃん、超笑顔。そうして、私の頭を撫でながら、俺もだよ、千加なんてささやいた。征ちゃんデレデレだな、私も人のこと言えないけれども。
「相変わらずですね」
テツくんが呆れた口調で呟いたが、他のみんなも呆れてらっしゃるんでしょう。通常運転ですみません。征ちゃんが甘すぎてやさしすぎて、私も時々砂糖吐きそうになるけどね。これで別にお付き合いしてるわけじゃないから、世の中よくわからないです。だけど、ただ分かるのは、私のそばに征ちゃんがいてくれるなら、しあわせってこと。そして、こんなふうにみんなが呆れつつも微笑ましげに、私たちを見守っていてくれるのなら、それはそれはもっとしあわせなことだ。
「私、しあわせだよ」
――そうやって笑えていた思い出があまりにも遠すぎて、見失いそうになる。ひび割れ始めたのいつだったか。みんなが開花したこと?そうして、征ちゃんが、みんなが変わってしまったこと?私が逃げたこと?テツくんが感じたという違和感のせい?ただ分かるのは、みんながあのときのように集まって笑えるなんてことは今はあり得ないことだけ。しあわせな過去が眩しすぎて苦しいよ、忘れたい絶望が痛すぎて苦しいよ、征ちゃん、助けて。
121128 あの日の亡霊
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