「伊藤っちー!」
「うあっ」


なんか藪から棒に黄色い頭した超大型犬に飛び付かれたんですが。




さかのぼること数分前。私は今週週番であった上に、相方の男子が今日だけどうしても外せない用事があるということで、今日は私ひとりで放課後の仕事をやることになってしまい、今日の部活は少々遅刻していくことになってしまった。マネージャーとして色々準備することもあるし、あまりにも練習に遅れていくというのは正直避けたいところだが、ただしその代わり相方の彼が明日の仕事は全部やってくれるらしいので、快く承諾したわけである。


「すみません、遅れましたー」
「その声は伊藤っち?!」
「え」


そうして、いつもより一時間ほど遅れて体育館に到着した私を出迎えたのは、見知った黄色い頭をした超大型犬だった。


「久しぶりッス!伊藤っち!!!!」
「うあっ!え?誰、………え、黄瀬くん?」
「そうっす!!!!」


出会いがしらに人に飛びつく癖は治っていなかったのか…。とりあえず、きみとは体格差がありすぎて、すごく重いのでいい加減離してほしい。あと人の頭にすりすりするのもやめてほしい。何故かたくさんいる女の子たちの視線で殺されそうな上に、部のみんな沈黙していて居心地悪いし気まずいから。あと、なぜきみがここにいるのか説明してほしい。


「黄瀬、即刻その手を離せ。殺すぞ」
「はいッス!!!!……って、え?」
「テツくん、今の征ちゃんのマネ?すっごく似てた」
「そうですね、我ながらそっくりだったと思います」


先ほどの征ちゃんボイスはどうやらテツくんがやったらしい。なんか超似てた。十年来の幼馴染の私ですら、一瞬なんで征ちゃんがここにいるのとか思ってしまうくらい似ていた。テツくんすげえ。


「酷いッス、黒子っち!なんなんすかもー!」
「黄瀬くんがいつまでも千加さんにべたべたしているからです」
「赤司っちのマネとかなんて恐ろしい!俺一瞬死んだかと思ったッス!」
「そうですか、大成功ですね」
「黒子っちー!!!!」


あらやだ、テツくん、超いい笑顔。素敵だね。


「ていうか、なんで黄瀬くんがいるの?」
「それはこっちのセリフっすよー!」
「え?なにが?」
「伊藤っちがなんで誠凛にいるんすか?」
「え、入学したから」
「そういうことじゃないっすー!!!!」


だから、いちいち抱き着くのをやめなさい。


「…はあ」
「伊藤っちー」
「テツくん、ちょっと、黄瀬くんと話してくるね」
「わかりました、ボクは先に練習に戻ってますね。カントクにも伝えておきます」
「ありがとう、ごめんね」
「いえ」


そういってテツくんはちょっとだけ微笑んで、踵を返した。体育館入口で話すのもなんだし、なんだかんだ注目されているし、ひとまず体育館から出るしかなさそうだ。いきなり抱きつかれて、部員のみんなにもいろいろ誤解を受けていそうだが、そのへんはテツくんに任せておけば大丈夫だろう。…黄瀬くんのファンの女の子たちには明日殺されそうな雰囲気ではあるが。


「黄瀬くん、こっちきて」
「はいッスー」


なんで手をつないでるんだお前は。







「一年ぶり、ッスかね」
「そうだねー」
「元気そう、ッスね」
「…うん」
「……でも、やっぱちょっと寂しそうだ」


そんなふうに、見えるのか。もしかしたらテツくんもそんなふうに思っているのだろうか。自分では正直よく分からない。普通にしている、つもりなんだけどなあ。わからない。私があまりにも不安そうな顔をしていたのか、黄瀬くんが私の頬をやさしく撫でた。黄瀬くんのほうがとても、不安そうな表情をしていたけれど。だけど、その手つきはひどくやさしかった。


「…なんで誠凛なんすか」
「うん」
「……俺は、てっきり伊藤っちは、」


そういって小さく呟いた言葉で、その先がわかってしまった。そうだね、きっと誰もがそう思ったんだろう。私をよく知る人は、きっと誰もが。


「あのね、黄瀬くん」
「……」
「私も、そう思ってたよ」
「……」


ずっと、ずっと一緒なんだって思っていた。そう信じてやまなかった。


「でもね、要らないって言われたから」


征ちゃんにずっと付いていく気だった、追いかけていたかった、隣に立ちたかった。だけど、私が征ちゃんに追いつくことは叶うことなく、征ちゃん自身から要らないと言われてしまったから。征ちゃんにそう言われてしまった以上、私には征ちゃんを追いかける勇気なんてとてもないし、だから征ちゃんと同じ学校なんて、征ちゃんを追って京都なんて、とても行けない、いけないんだよ。


「伊藤っち…」
「心配してくれたんだよね、黄瀬くん、ありがとう」
「……別に、俺は、」
「黄瀬くんが私のこと、嫌いになってなくてよかった」
「そんなことありえないッス!!!!!!」
「ありがとう、黄瀬くん」
「そんなこと……あるわけないッス」


嫌われていてもおかしくないと思っていた。それはテツくんにも言えること。なぜなら、私はバスケを捨てた、みんなを捨てた。中三のとき、征ちゃんのたった一言によって、私はマネージャーを辞めざるを得なくなって、それ以来、征ちゃんを含めたバスケ部みんなを避けていた。そうして、高校だって誰にも言わずにここを受験したし、ほとんどみんなと口を利かないまま卒業したのだ。黄瀬くんとも約一年ぶりの再会になる。だから、バスケを中途半端に捨ててしまった私なんて、嫌われていてもおかしくないと思ったんだ。


「…黒子っちと同じにしたんすね」
「いや、違うよ。偶然だよ、だってお互い知らなかったんだもの」
「ああ、そういえば、あんたらの考えることは、なぜかとてもよく似ていたッスね」
「うん」
「…懐かしいッス」


懐かしいね。あの時が、一番楽しかった、輝いていた。あの頃のうつくしい思い出は今も私の中で輝き続けて、今でも少しも色褪せることなく容赦なくこの胸を打つ。征ちゃんがいて、テツくんがいて、黄瀬くんがいて、青峰くんがいて、さっちゃんがいて、緑くんがいて、紫くんがいて。幸せだった、輝いていた。まるで、切り取ったように、閉じ込めたように、凍りついたように、絶えず明滅する過去の思い出がうつくしすぎて眩しすぎて時々無性にさみしくなる。あの頃が、幸せすぎて、泣きたくなる。


「黒子っちにも言ったんすけど、」
「うん?」
「海常に、来ないっすか?」
「え?」
「また、一緒にバスケしよう」


あまりにも黄瀬くんの目が真剣だったから、私は少し恐縮してしまった。やっぱり何度言われても、うれしいものはうれしいんだなあ。


「ありがとう、とてもうれしい」
「……」
「でも、お断りします」
「ははっ!黒子っちと全く同じこと言うんだからもー」
「まじでか」
「やっぱり、黒子っちのほうがいいッスか?」
「そういうわけじゃないよ。でも、テツくんのほうが先にそう言ってくれたからね。破るわけにもいかないよ」
「先手必勝だったわけッスね、さすが黒子っち」


それから、もう一度黄瀬くんは真剣な目をして、私を再び抱きしめた。


「伊藤っち」
「…うん、どうしたの?」
「誠凛が勝ち進んだら、」
「うん」
「頂点目指して勝ち進めば、いずれは赤司っちと正面から出会うことになるッスよ」
「…うん」
「……きみは泣いてしまうかも、しれない」


黄瀬くんはやさしいね。ここまで私を心配してくれているなど思ってもみなかった。やさしいやさしい黄瀬くん。ずっと、私と征ちゃんのことを心配してくれたのも、部を辞めた私を何度も何度も戻るように最後まで説得してくれていたのも、そういえば黄瀬くんだった。本当は私も、きっと征ちゃんも、気づいていた、決別してしまった私たちのことをみんながずっと心配してくれていたこと。私がみんなに嫌われているんじゃないかと思うのは、部を辞めたことだけじゃなくて、そんなやさしいみんなに背を向けてしまっていたこと。私を抱きしめる黄瀬くんの手が、ふるえていた。


「あのね、黄瀬くん」
「……」
「私ね、ずっと、泣いてないの」
「…伊藤っち」
「…ずっと、ずっと、泣けないの」


悲しくて寂しくて苦しくて怖くてたまらないのに、泣けない。泣けずにいるんだよ。こころが、涙の泉が枯渇してしまったかのように、征ちゃんに要らないって言われてからずっと、涙は流れ出でてはくれないんだよ。感情が暴れだしてしまいそうなほど、どうしようもないほどに苦しくてたまらないのに、それでもそれを発散してしまうことを拒否するかのように泣けない。だからどんどん、この耐え難い感情は積もっていくばかり、苦しくなるばかりだ。


「泣けるなら、泣いてしまえるなら、本望だ」


要らないって言われたこと。たったそれだけのことが、私をこれほどまで苛むなど。他人からすれば、たかが幼馴染と仲違いしたくらいで、これほどまでに傷ついたりはしないのだろう。それでも、それでも、私にとって征ちゃんという存在は、なくてはならない存在だった。私を形成する上で、なくてはならない存在だった。征ちゃんは私の半身だと、思うの。征ちゃんなしに、私、生きていけない。だって、征ちゃんは、生まれてからずっと、私のヒーローで、神さまなんだもの。頭上にあるのは天で、足元にあるのは地で、それは当たり前のことのように、私の隣に征ちゃんがいるのも同じように当たり前のことなんだ。征ちゃんがそばにいないなんて、私にとってはそんなの、天と地がひっくり返ることと同義なのだ。


「…赤司っちは、伊藤っちを要らないなんて、思ってるわけがないッスよ」
「……」
「それは、伊藤っちと同じッス」


そうかもしれない。でも、征ちゃんは、あの日確かに私に向けて必要ないと言ったんだ。征ちゃんはそれが本音だろうと間違いだろうと、一度口にしたことは曲げないひとだからね。だから、もうどうしようもないと思ったんだよ。私はずっと、征ちゃんのとなりに立っていたかったんだ。バスケでも、それ以外でも。でも、それはきっと私だけだった。私だけがずっと征ちゃんに執着してきたんだよ、私は征ちゃんだけをずっと信じて頼りにしてきたから。誰よりも、私を理解してくれるのは征ちゃんだったから。私は征ちゃんほど、私にとって最良で最高のひとを知らない。でもね、征ちゃんはきっと違ったんだ。私には征ちゃんが必要でも、今の完全無欠な征ちゃんにとって、私なんていてもいなくてもきっと無意味だったんだろうね。きっと私も、征ちゃんにとって駒のひとつにすぎなかったんだろう。征ちゃんは変わってしまった、そしてその征ちゃんにとっては私はもう必要のない存在になってしまったのだ。だから、ほんとうにそれを思い知る前に、私は逃げたんだ。


「いつか、泣けたらいいのに」


――その時は、征ちゃん、どうか征ちゃんも一緒に泣いてほしい。あの日、二人がずっと一緒だと約束した時のように。


121128
融けだした記憶の中を泳ぎながら生きている