本当は忘れてほしくなんて、


「ベポ」
「アイアイ、キャプテン!なにか用?」
「こいつに覚えががあるか?」


そう言ってキャプテンがおれに見せたのは一枚の紙切れで、タイプライターで書いてあるらしい文字は少し小さくて、でも規則正しく並んだそれはどこかさみしげだった。無機質なその文字はなんだかむしろ心があるような気がした。さみしくて、祈るようなきもち。…なんて、ただの文字からそんなことを読み取るなんて、へんだろうか。ただ、なんとなくそんな気がした。


「紙…?」
「『くまさんによろしく言っておいてくれると助かるわ。借りは確かに返しましたよ。』」
「え?」
「だとよ」


キャプテンはどこか楽しげで、いつものニヤリとした意地の悪い笑みを浮かべていた。なにか、たくらんでいるのだろうか。それとも期待しているのだろうか。そんな気がどこかでしていた。


「お前に借りがあるらしいが、覚えがあるか」
「借り…」
「覚えがあるのか」


借りっていうのはもしかすると、と思った。確かに心当たりは、ある。あのお嬢さん、だ。この前の島で助けたお嬢さん。「必ず借りを返す」と言っていたあのお嬢さんだ。この確信はどこか不安定だと思ったし、そんなことあるのだろうかとも思う。だけど、どこか自信があった。あのどこか毅然とした彼女ならば、こんなこともやってのけるのではとそんな気がするから不思議だ。彼女のことは名前すら知らないというのに。


「ある、よ」
「確かか」
「確信はないけど、自信はあるよ」
「そうか」


おかしなことを言っていると思った。でも、事実そう思ったのだからその通りに言ったし、キャプテンは笑ったりしなかった。だから、ちょっとうれしかった。


「詳しく話せ」





嵐を抜けておよそ24時間後、ひとつの島にたどり着いたことはベポの言う女の手紙通りだった。そして確かに栄えた港であることは一目瞭然だったが、例の“裏側”というのはここから見ることはできなかった。果たして、あの手紙がどんな意味をもつのか楽しみになった。


「ああ、あんたもしかして海賊かい?」
「ああ、そうだ」
「そうけえ、よう来たな」
「なあじいさん。ここが“赤と黒の港町レベリルストーク”ってのは本当か?」
「ああ、本当だども」


島に上陸してから見つけたいかにも漁師らしいじいさんに話を聞くことにした。あの手紙が果たしてどこまで真実であるのか。そして、その意味を。とりあえず確かめてみたいと思った。ベポの言う長い銀髪の女が何者であるのか、何故かひどく興味を持ったのだ。何も知らないが、それでも。


「表町は港町として栄えとるがな、裏町は賭博場と遊郭で栄えとるで」
「この島のログはいつたまる?」
「きっちりかっきり27時間後じゃの」
「そうか」


どうやら女の手紙に嘘はないようだ。まあ、次の島のことなど上陸してしまえばすぐに事実か否かなど分かるのだからそんな見え透いた嘘を書くような女ではないのだろう。この女はおそらくひどく頭がいい。くだらない嫌がらせなどしないし、そして偽ったりは決してしない女なのだろう。何故だかそんな気がした。


「あんた、話せる海賊らしいの」
「海賊だって普通に話すぞ」
「ほほ、そうじゃな。もちろんそうじゃろうな」
「おれも人間だからな」
「…お前さん、出身はどこかね?」
「ノースブルーだ」
「ほう!ノースとな!」
「なんだ、なにか問題か?」
「実はわしのカミさんもノース出身での」
「ほう、それは奇遇だな」


まあ、同郷の者がいたところで別にそれほど珍しくはないだろう。しかも同じ島出身というわけでもなし、あくまで同じノースブルー出身というだけのことだ。そんな連中、うちの海賊団にはごろごろいるしな。


「これも何かの縁じゃのう」
「まあ、そうだな」
「あんた気に入ったから、一ついいこと教えてやろう」
「…ほう」


じいさんの話はこうであった。現在、裏町の賭博場には海軍の将校がお忍びで来ているようなのだと。偶にふらりとやってくるこの将校は数日滞在したのち、ふらりと帰っていく変わった男らしい。そしてその将校の名は、シュレディンガー少将、だと。


「猫を連れたえらい男前だがな」
「……」
「表町の人間は概してあまり好いとらんな」
「危険な男なのか?」
「いや、そうではないがのう」
「ないが?」
「食えない男さ」


まあ、裏町の人間は遊郭でがっぽり金を落としてくれるからと、嫌ってはおらんけどもの。と、どこか皮肉たっぷりに笑ったじいさんの顔は、裏町の人間を憎んでいるように思えた。表と、裏ねえ。この二極化からみると、表と裏はどうやらうまくいってないらしい。…ああ、おもしろいな。表と裏。二極、相対、1/2。謎の女に、猫を連れた将校、会うべきでないという忠告、そして確率1/2。どうやら、この島ではたいそう楽しめそうだな。27時間後、果たして何が起こるのか。1/2のギャンブルにおれは勝てるのかどうか、見ものだな。赤と黒の町レベリルストーク、シュレディンガーと猫。まさにここは、“赤と黒”の名にふさわしい町だな。生きるか死ぬか。…ああ、“To be or not to be, that is the question.”だったか?


「おもしれえじゃねえか」





『来たわね、トラファルガー・ロー』
女はただ、にやりと笑う。皮肉にも、彼女が勝てる確率もおそらく1/2だったのだから。つめたさを帯びた潮風に、彼女の、ブロンドの髪がふわりとゆれた。



もう直に太陽が落ちる。今夜は月のきれいな夜になるだろう。と、港の老人がつぶやいた。


負け犬はよく笑う


111122