わたしにとってのきよちゃんとは、兄の親友であり、年上の幼なじみであり、また憧憬の対象で初恋のひとだった。


「なまえ」


きよちゃんはわたしをまるで妹のように扱ってくれたが、当のわたしはそんな兄貴分のきよちゃんに恋心を抱いてしまった。そこから、わたしたちの関係はずれ込んでしまった。いや、互いの成長に伴い関係性が変化してしまったと言うべきだろうか。幼少の砌の初恋など、どうして変わらないままでいられるだろう。もしも、わたしがきよちゃんに恋心を伝えなくても、わたしよりも二つ年上のきよちゃんが高校生になった時点で、否が応でも距離はできたはずだ。今、ほぼ二年ぶりに真正面から向き合った、わたしを無言で見下ろすきよちゃんの目は、何故だかとても鋭利だった。


「……は、い」
「お前、」
「はい?」


ぴくりと眉間のしわを深めたあと、逡巡するように口元を小さく開いたり閉じたりしたが、何かが音になることはなく、それからきよちゃんは大きなため息を一度吐き、あらぬ方向を睨み付けたまま、「……帰るぞ」と呟いて踵を返した。わたしは、背が低い。きよちゃんと比べると大人と小さな子供くらいの差がある。そんなわたしの歩幅はとても小さく、必然的に歩くスピードは遅い。


「あの、き……宮地さん」
「なまえ」
「は、はい!」
「次、そんな気色悪い呼び方したら投げるからな」
「え、投げるの!?」


わたしの反応が面白かったのか、きよちゃんは何やら恐ろしく微笑んで、それから目を見張るわたしの頭頂部に大きな手を乗せた。


「おー。ぶん投げて緑間みてぇにゴールへ華麗にシュートしてやるわ」
「ちょ!いくらわたしがチビっていってもさすがにリングに引っ掛かるよ!」
「いや、つーかそもそも重すぎて投げられねーわ。俺の腕が折れる」
「折れるほど重くないよ!?たぶん!!!」


はは、とさわやかに笑い声を上げるきよちゃんになんだかほっとした。同じ高校に執念で合格しつつも、やっぱりなんだか気まずくて避けていたが、まるっきりの杞憂だったのかもしれない。全部、高尾のおかげだ。帰ったら、電話でお礼を言おうかな。


「いーや、お前昔も結構重かったし、今はぜってぇ腕が折れるくらい重たくなってんだろ」
「はあ!?もう相変わらずきよちゃんは意地悪だ!」
「うるせーな。昔からこういう性格だろーが」
「デリカシーがないよ!そんなだと彼女にフラれてもしらねーよ!?ていうか、高尾は前に重くないって言ってくれたし!」
「……は?」


――瞬間、体感温度が一気に下がったような感覚がした。寒気が背筋を通り抜ける。何やら負のオーラを滲み出しているきよちゃんを恐る恐る見上げる。……目が笑ってねぇ。


「……き、きよちゃん?」
「彼女とか余計なお世話つーか……それより、おい」
「え!?」
「お前、最後どういう意味?」


顔は笑っているのに、まるで鬼の顔ような幻覚が見えるのは気のせいか?ていうか、きよちゃんまたわたしの頭に手を置いて……なんか力強いよ!ミシミシいってるんだけど、頭潰す気!?それくらい強い力でわたしの頭頂部を掴むきよちゃんは、何故かめちゃくちゃ怒っていた。どちらかというと、昔から沸点低い体質だった気がするがそれにしても、なんだか今日はキレすぎではないだろうか。ちゅーか、きよちゃんてばわたしの頭に手乗っけるの好きだな、ちょうどいい高さかつサイズなのだろうか。


「さ、最後のとは……?」
「なんで高尾がお前の重さを知ってんだよ」
「体育で転んだ時に抱っこし……おぶってくれたから!」
「……へえぇ?」


ちょ!なんか力強まったー!!ふざけて小さい子みたいにおもいっきり高尾に抱っこされた時に実はそう言われたのだけど、いやまあ、わたしマジで自他共に認めるくらい小学生並みだからなあ。高尾の方もやはりバスケット選手なだけあってそれなりに体格がいいため、完全に大人と子どもって感じだったが。さすがに抱っこはセクハラ!と訴えて、大笑いされながら最終的にはちゃんとおんぶで保健室まで運んでくれた。ていうか、あれ?きよちゃん、なんでそんなさっきから高尾に牙向いてんの?もしかしてきよちゃんと高尾って仲悪いの?それとも悪いように見せかけてやっぱりいいのか?高尾の方はむしろきよちゃんを慕ってるように見え………というか敢えてキレさせてコミュニケーションをとってるというか。高尾ってばお調子者に見えてクセの強い策士って感じだしな。まさかわざとか。


「え…それが何か問題でも……?」
「………べつに」
「……きよちゃん、高尾と仲悪いの?」
「は?いや違うけど」
「じゃあなんで怒ってんの?」


何故か無言で返された挙げ句に、突然ぴたりと立ち止まった。何故急に立ち止まる必要があるのか。高校に入ってから再会したきよちゃんはなんだか変だ。今も少し俯いて考え事をしているらしい。前髪で目元が隠れてるために表情はいまいちよく分からないけれど。


「なんでもねー……って言いてぇけど」
「うん?」
「……なまえ」
「…う、ん?」
「お前、高尾が好きなのか?」


思わず、呼吸が、止まった。


「……なに、言ってんの?」
「なにって、まんまだけど」
「……………意味わかんねー!」


わたしが、高尾を?ぎりりと奥歯を噛み締めて、無意味に痛む胸元を押さえた。ずっと、秀徳の制服を着たいと思っていた。きよちゃんが秀徳に入学したと知った二年も前の、中学二年の頃から。本当は勉強なんか全然得意じゃない。でも、どうせ前のように気軽な関係に戻れないのならば、いやだからこそせめて近くで応援したくて同じ学校に入ろうと思った。そのために苦手な勉強を二年もの間頑張った。二年かけて、秀徳に入れるだけの学力を身に付けた。そうして今、秀徳の制服を着ている。そこまでして諦められなかった、それくらいきよちゃんがずっと好きだった。


「……あのね、きよちゃん」
「あ?」
「わたしのこと、ばかにしてる?」
「……は?」


そうしてなんとか秀徳に入学して、同じクラスだった高尾と緑間と友達になった。二人ともクセの強い人だったけど、それぞれ表現の形が違えどとてもいい人で。特に高尾の方はわたしをからかったりもしたが、強引ではあったもののなんだかんだわたしに協力してくれて、こうして現に今、わたしは再びきよちゃんと向き合うことができている。高尾はわたしの理解者で、大切な親友だ。


「きよちゃん、わたしが二年前に告白したの覚えてる?別に忘れててもいいけどね」
「は、あ?……いや、覚えてるけど」
「残念だったねきよちゃん。わたし、フラれても諦めるような殊勝なタマじゃないんだわ。二年の空白も関係ない」
「………」
「わたしは、今でもきよちゃんが好きだよ!!」


意外にも驚いた表情で困惑しているきよちゃんを前に、なんだか笑みがこぼれた。あれから、二年も経った。きよちゃんだって、さすがにわたしは諦めたと思っていただろうな。むしろ、告白を忘れられてなかっただけマシなのかも。そう考えたらなんだか二年もうじうじしてた自分がばかみたいだ。まさか諦められるわけもないのにな。ああ、高尾には本当に感謝しなくちゃ。


「物心ついてからずっと好きだったんだよ。きよちゃんがわたしの初恋なの」
「……は、本気で?」
「マジよマジ。大マジ!だからさあ、きよちゃん!!」


ニコリと笑ってみせた。きよちゃんが驚いた表情をしている。そういえば、いつもいじめられるというか、やられてばっかりだったから、わたしがこんなふうに仕掛けたことはなかったのかも。――そういうふうに見れない?……なら無理やりにでもそういう対象に押し入るまでだ!!


「わたしはこのきもちを諦めないかんな!覚悟しろよきよちゃん!!」


ずびし!左手を腰にあて、右の人差し指を突き付けた。驚きから呆れにだんだんシフトチェンジしていくきよちゃんの表情を前に、言いたいことを言い切り満足したのでとりあえず笑っておいた。







『ギャハハハ!なまえちゃんまじ最高!!』


あのあと、なんだか急に恥ずかしくなったわたしは、ちょうど自分の家が目の前だったこともあり、「じゃ、送ってくれてありがとう!おやすみ、きよちゃん!」とお礼と挨拶を一通りして即座に自分の家に駆け込んだ。……何言ってんだこの口は。と自分のアホさ具合を玄関扉の前で靴も脱がずに、口元をぐにぐにいじくって猛省していたわたしを見て、何やってんだこいつって感じの視線を既に帰宅していたお兄ちゃんが寄越してきたのは言うまでもない。そして、晩ごはんの後に高尾に電話をしたら上記の通りやっぱり笑われてしまった。


『いや〜、ちょっと予想外の側からツーステップくらい進んでんじゃん。やべぇ、おもしれーっ!』
「え?ちょ、どういうこと?」


聞き返すと、笑いながらはぐらかされた。高尾のことだから追及したところで答えてなどくれないだろうな。


『なまえちゃんさ、なに、略奪愛でも繰り広げる気?ふはっ、いいぞもっとやれ!』
「あんた煽るのは一流だよな」
『はっ!お褒めに預かり光栄至極!!』
「黙れ小僧!お前にわたしが救えるか!」
『なまえちゃんも斜め上の切り返しは一流っしょ!……あー、協力するって言ったっしょ?ま、とりあえずうまくいくように俺も応援してるわ』
「……うまくはいかないだろうよ。うまくいっても略奪愛だしぃー」
『いや、今さらっしょ。ま、結婚してるわけでもなし、ある程度のラインを守りながらさ、相手を想うのは自由っしょ?』


報われなくてもかまわない。それは元より百も承知。ただ、想うのはわたしの自由だから。いつか、もう子どもには思われないような頃に……わたしがおばあちゃんになっちゃう頃くらいには、好きになってくれたらいいなあ、とのんきなことを思った。


「……うむ。とにかく人事を尽くすのだよ!」


ぶはっ!!そうそう、まさにそれだよなまえちゃん!と高尾はやっぱり大笑いしていた。




ああしたてんきになあれなあれ




130810