赤司征十郎は生まれながらにしての勝ち組である。


家柄、才能、頭脳、人望、ひいては容姿に至るまで彼は完璧な存在だった。既に幼少の折から彼の天賦の才は冴え渡っており、彼が成長すればするほどに周囲の期待や羨望は堆く積み上がっていった。だが彼はそれさえも超越するほどに彼の潜在能力は際限なくあらゆる分野で開花していった。羨まれることも嫉妬されることも日常茶飯事だったが、それすらとるに足らぬと彼は勝ち組たるレールの上を日々猛スピードで突き抜けていったのである。彼は敗北も絶望も知らないまま、気付けば十四を数える年齢になろうとしていた。


これは、彼が初めて絶望を知るまでのお話。







僕は年末師走の二十日に生を受けた。父親は世界各地で様々な分野で利潤を得ている赤司グループの総裁であり、母親もまた旧い家柄の出であった。不思議と昔の頃のことを覚えているもので、強い印象を残したいつかの事柄を朧気ながらも未だに記憶している。


僕の一番古い記憶は二人の母の記憶なのだが、これは比喩でもなんでもなく文字通り二人いた。一人目の母は平日に現れて幼い僕の世話をした。二人目は休日が担当であり、一人目がいないときに僕のもとを訪れていた。二人は僕のことを「征十郎様」と様付けで呼び、僕に対し常に敬語で話していた。母が二人いることも、子供の僕に対し彼女たちが敬語を話すことも、3つを数えるか否かの僕にとっては普通で当たり前のことだったし、他所と比べようはずもないのでもちろん何の疑問も持ってはいなかったのである。しかし、絵本の何かだったのか、テレビか何かを観て知ったのかはわからないが、ある日僕は彼女らの片方に「ママ」と呼び掛けた。それまでは他の大人たちが呼ぶように彼女らを名字で呼んでいたのだが、自分を育ててくれている女性=自分の母親と幼児の頭で結論を出した僕は、何らかの形で知った「ママ」という呼び名でそのひとを呼んだのである。


「征十郎様、征十郎様!申し訳ございません、私はあなたの母君ではないのです!どうか私をそのように呼ぶのはおやめくださいませ!!」
「……ママじゃ、ない…?」
「私はあなたの「ママ」にはなれないのです。あなたのお母様は別の方ですよ」


幼児がどこまで理解できているかということを彼女は考えもしなかったのだろうか、僕が母親だと認識していた彼女ともう一人の女の人が僕の本当の母親ではないこと、僕の本当の母親は別にいること、決して彼女たちを「ママ」と呼んではいけないことを訥々と言って聞かせた。のちに理解したことだが、彼女たちは僕の養育係として父親に雇われた者であって、彼女たちと僕の関係はあくまで披雇用者と雇用主の息子にすぎなかったのである。その日から僕は彼女たちを母親と思うのはやめた。


対して父親の記憶もそう大差ないものだった。僕がまだほんの幼児の間はほとんど関わりがなかったのではないかと思う。僕のことは養育係に丸投げで、たまに成長過程の確認をしているくらいのものだった。僕が成長し、そこそこまともな会話やマナーなどを身に付けたくらいになってたまに夕食を一緒に摂るようにはなったが、とはいえかなり忙しい人だったので、ほとんど家にはいなかったし、一緒に夕食を摂ると言って取り止めになるなんてことはザラだった。そのため、顔を認識している唯一の血の繋がった家族である父親のことすら、幼少期の記憶の中にはほとんどと言っていいほど存在していないのである。


そんな中、3つを数えた頃、突然養育係の二人と顔を合わせることが極端に減った。ある程度知能が発達したと判断されたのか、元々そういう予定だったのかは不明だが、その頃から赤司家嫡男としての英才教育が始まったのである。次第に養育係の女たちよりも教育係の者たちへとシフトチェンジしていったというわけだ。僕は自分で言うのもなんだが割合頭の良い子だったので、教えられたことをすいすい吸収していき、教育係たちはそんな僕に知識や技術を仕込むことを目を輝かせて積極的に行った。そんな僕への期待や要求は際限なく積み上がっていったが、それをすました顔で易々と僕は飛び越えていった。


そうこうやっている間に僕は6歳になり、全国的に有名なとある小学校に入学した。そこはとりわけ頭のいい子供や、親が金を持っていたり旧い家柄であったり、こういういい方はよくないけれどつまり少し「特別」な子供が多く通っていて、僕のように英才教育を施された子も多く、なかなか一般的な同年代の子供たちよりも優秀な子が多かったように思う。だがそれでも正直言って僕は、同年代の子供のレベルの低さにがっかりした、というよりは純粋に驚愕した。まあどちらにせよ彼らにとっては非常に失礼かつ不名誉なことなので、僕に弁解の余地はない。しかし本当に驚いたのだ。何しろ、話が全く通じない。僕は幼稚園にも保育園にも通わず、ほとんど自宅で幼年期を過ごした。しかも僕は独りっ子で、また親類にも僕と同年代の子はいなかったため、僕の周りの人間と言えば養育係や教育係などの雇われた大人たちくらいで、恥ずかしながら小学校に通うまで同年代の子供との個人的な接触というものがほとんどと言っていいほどなかったのである。


そして、僕は自分があまりにも他の子供たちから抜きん出た、浮いた存在だと悟る。僕の成長と教育係の要求との、まさしく競るような攻防は、いつしか僕を異端の存在にせしめていたのだった。が、別にこれといって僕は悲観したりはしなかった。わざわざ自分を下げてまで友人を作るような殊勝な性格ではなかったし、その頃には僕がどういう役割を持って生まれてきたか既に理解していたからだった。「赤司」の名を名乗るためには、それ相応の義務を果たさねばならぬこと、それが僕が背負う因果だと、僅か6歳にして認知していた。錆び付いた記憶の中で、本当の母親が3つを数えたばかりの僕を強く諭している。


――あなたは赤司家の大切な後継者なのですよ、と。


実母の記憶は断片的で、もうほとんど忘れてしまったのだけど、唯一確かな記憶の中で彼女は静かな白い部屋で僕にひたすら呪いの言葉を囁き続けている。細く儚い手は僕を抱き上げはしなかった。まだ小さく頼りない肩を掴み、鬼気迫る勢いで僕が担う役割や背負う宿命を、彼女はひたすらに説いた。ゆるやかな死のにおいを纏いながら、彼女はただ3つの僕に、己の存在意義を刻み込んだ。


時々、ふと思うことがある。あの時、ほとんどよく知らない実母の言葉にどんな感情を抱いたのだろうかと。記憶の中で印象的なのは、彼女の真剣な眼差しと、白い部屋と折れてしまいそうな彼女の華奢な手、そしてやがて僕を縛ることになる呪いの言葉。視覚や聴覚の記憶はあるのに、不思議なほど印象の記憶については抹消してしまっていた。実母に対する記憶はほとんどこれのみだった。


「赤司」の名を持つことが特別重荷ではなかったように思う。何しろ、僕は苦労や挫折を知らなかったから。やはり変わらず面白いくらいにあらゆる知識や技術を吸収していったし、帝王学や処世術も例外なく仕込まれたため、特段親しい友人もいなかったが、これといった不和もなく順調に学童期を過ごした。


「征十郎、おまえも一緒に遊ぼうぜ!」
「ば、バカ!何言ってんだっ」
「こいつがいたらつまんないよ!」


時には僕を遊びに誘う奇特なやつもいたが、大半は「赤司」の名に気後れするやつか、単純に浮いた存在の僕を忌避するやつかのどちらかだった。確かにスポーツだろうが何だろうが、僕が全てにおいて勝ちを納めてしまうので、つまらないと言った彼の言い分は正しかった。正直、僕もつまらない。


「誘ってくれてありがとう。でも迎えが来てるから。ごめん」


登下校はいつも車で送迎されたので、遊ぶ暇など元よりなかった。授業が早くに終わろうが、すぐに家に帰ってその日のノルマをこなさなければならなかったからだ。


――まるで、監獄にいるみたいだな。


朝から晩まで他者に管理されている生活、積み上がる要求や期待、自分の存在意義、それでも何もかもを流れ作業のようにこなしていく自分。何もかもが、つまらなかった。それでも、僕が「赤司征十郎」である限りそれは仕方のないことで、それが自分が背負った宿命ならばもはや諦める他ない、と。――我ながら、冷めた子供だった。赤司の名に引き寄せられ群がってくる欲にまみれた大人にも、僕は一切物怖じすることなく振る舞い退けたし、また当家に利益をもたらす人間には好意的な笑顔で、時に理知的に時に子供らしく無邪気に、それ相応の対応をして見せた。完璧な「赤司の子」を演じることさえ、全くの苦ではなかった。何もかもを容易くこなす自分は、まさに父が母が皆が望んだ理想の赤司家後継者だったのだ。まるで道化。いや、傀儡だった。生きることとはなんてつまらないことなんだろうと、弱冠7、8歳で覚っていた僕は既に何もかも諦めてしまっていた。


――彼女と出会ったのは、まさにその頃である。


栄光を着飾る王さま


130807