高尾は、どうしていつもわたしにそんなにやさしくしてくれるんだろう。


「なまえちゃん、送るから一緒に帰ろうな!」


いつも、笑顔で。







わたしは、本当はずっと知っていた。きよちゃんには妹のようにしか思われていないこと。告白した時にはいなかったけど、高校生になったきよちゃんには既に彼女がいたことも、二年前から分かっていたこと。それでも諦められなかったのは、本当にきよちゃんのことが好きだったから。叶わないと解っていても、そういう対象には見られないと知っていても、大好きなのはやめられなかったから。我ながら、しつこい女。


「お待たせなまえちゃんー!待った?」
「かなり」
「え〜、そこは全然って言うとこっしょ!」


かわいくねーなぁ!と頭をぐしゃぐしゃにしてくる高尾に抗議すれば、かわいいかわいいと今度は反対の言葉で怒るわたしに笑いかける。


「ところで、緑間は?」
「え、なに。なまえちゃんは俺だけじゃ不満?」
「いや、なんつーか一緒じゃないんだと。あんたらはなんかセットのイメージだから」
「ハハ!どういう意味それ!」


いやぁ、真ちゃんに言ったらキレながら否定しまくるだろうなーと呑気な声で、すっかり暗くなっている空を見上げた。それから、さりげなく明日の天気でも尋ねるかのような流れで、そっと本題に入った。


「んー、でさあ、部活はどうだったよ?」
「あー、みんな大変そうだったね。座って見てんのが申し訳ないくらい」
「まあなぁ、伊達に王者名乗ってねーよなー。もう先輩たちのしごきがやばくて、俺なんか何回天国のひい祖母ちゃんに会いそうになったか!!」
「会ってくりゃあよかったのにさ、何で帰って来たのよー」
「うわ!それ言っちゃう?!」


なまえちゃんマジ辛辣ー!なんてゲラゲラ笑う高尾の裾を掴んで、わたしは。


「ありがとね」
「…んー?」
「感謝してるよ。あんたに引きずってもらわなきゃ、自分からなんて、たぶんずっとむりだった」
「うん?どったの、なまえちゃん」
「高尾」
「うん」
「……ありがとう」


感謝、している。心から。近付くのが怖かった。このきもちを受け取ってもらえなかったこともそうだけど、でもそれ以上に、もう「妹」としても認めてもらえなかったらどうしよう。傍に行くこと、話しかけること、「きよちゃん」と呼ぶことすら、拒絶されたらどうしようって、そればっかりが頭の中をぐるぐる回っていって、ずっと逃げていた。今日だって、偶然教室にやってきたきよちゃんに挨拶もせず、高尾の背に隠れたりなんかして、きっと感じ悪いことこの上なかっただろう。怖かった、なんて言い訳にもなりやしないのに。


「なまえちゃん」
「…なぁに、高尾」
「俺はね?」


高尾はやさしくて、今日だって教室でわたしを守ってくれたし、本当のことを言わないわたしに対して深く問い質すわけでもなく、「協力してあげる」とまで言ってくれた。勇気が出ないだけの臆病なわたしを引きずってでも、励まして元気付けて、そうして大好きなきよちゃんに会わせてくれたんだ。


「――なまえちゃんのね、笑った顔が好きなんだ」
「……は」
「だからさ、さっさと宮地さんと仲直りしてさ、なまえちゃんの本当の笑顔で、笑ってよ」


穏やかな春の夜は、とても心地よくて。夕飯時の住宅街は思いの外静かだったから、高尾のその声は耳にしっかりと届いた。高尾は、どうしていつも笑顔で、わたしにやさしくしてくれるんだろう。どうして。


「俺ね、なまえちゃんのことは親友だと思ってるから」
「…え?」
「だから、俺が親友の恋路を協力すんのは当たり前じゃん?」


だから、気にすんなって!と、笑顔できみが言う。わたしのやさしい親友がわたしの頭をそっと撫でるから、なんだかその懐かしい手つきに大好きなあの人を思い出して、どうしようもなく泣きたくなってしまった。


「…高尾、ありがと」
「あー、泣かないでよなまえちゃん。泣かしたいわけじゃなくてさ、笑ってほしいんだけど?」
「ぐすっ、……泣いてなんかねーよバカ!!」
「あーあ、顔ぐっしゃぐしゃじゃん!泣き方ががきんちょだねぇ」
「うっせーわ!子ども扱いすんな!」
「そういうとこが子どもっぽくてかわいいよなぁ!ほら、よしよし〜!!」


だ・か・ら!ガキ扱いするなと何度言えば分かるのかこのバカは!ニヤニヤと笑う高尾に思わず食ってかかる。さっきまでの殊勝な態度はどこいったんだまったく!わたしが大笑いする高尾の頬を引っ張ってやろうと背伸びして(わたしは高尾に対してもかなり小さいのである)、手を伸ばそうと高尾に近付いたちょうどそのとき。


「――何やってんだ、お前ら」


背後から聞こえてきた絶対零度の冷たくも恋しいその声に、ひどく動揺してしまったわたしは、背伸びのために踏ん張っていた力が図らずも抜けてしまい、ふらりと高尾に寄りかかる形になってしまった。そして、わたしの真上でその声の人物と視線を合わせた高尾の表情が愉快そうに歪んでいたこと、そしてその声の人物は反して不愉快そうに歪んでいたこと。偶然にも抱き止められる形で高尾の肩口に顔を埋めていたわたしの知らない、無言の牽制。お互いの視線が険悪であるなんて、すっかり脳内で狼狽しきっていたわたしが、知る由もないこと。


「――お疲れさまっす、宮地さん?」







俺が、なまえちゃんにただひとつの嘘をついたこと。


「おい、高尾」


練習が終わり、なまえちゃんを送るために今日は自主練は取り止めにして、真ちゃんにそのことを告げたあと、更衣室へと向かう俺を呼び止めたのは、案の定不愉快そうに眉間にしわを寄せる宮地さんなわけで。ああ、もう。まじで面白くてたまんねーわ。ニヤリと笑う俺を宮地さんが更に睨み付けた。


「お疲れさまっす宮地さん、なんか用っすか?」
「ふざけんよ、轢くぞお前」
「えー?やめてくださいよー。俺、これから"なまえちゃんと一緒に"帰るんで!」


"なまえちゃんと一緒に"を思わず強調すれば一気に負のオーラが高まって、さわやかな笑顔なのに普通に人を殺せそうなくらい恐ろしい。木村さんの「シークレットガール」って言葉が頭を掠めて、やっぱりおもしろくて俺は笑うのだった。


「つーかお前なんなんだよ。もしも、なまえに手なんか出しやがったら、」


ギラリと光る牽制と嫌悪と、そしてわずかな嫉妬に射抜かれているというのに、恐れるどころかなかなかどうして俺は余裕だった。――だってさー、練習のときとかは、まじで鬼のように厳しくて怖い先輩だけど、こうしてあの子のために俺に牽制を送るこの人は、ただの、一人の男でしかなかったから。だから怖くもなんともなくて、むしろ。


「ハハッ!刺して轢いて、挙げ句に引き千切る、すか?」
「……ついでに、刻んで焼くのも追加な」


物騒なことをマジな顔で言うよなぁ。つーか、一つどころか二つも追加されてっし!


「――なんで、宮地さんにそんなこと言われなきゃならないんすか?」


だから、俺は余裕だった。ただ無言で俺を睨め付けるだけのこの人にも、ましてや俺にだってそんな権利はないのだから。


「…はあ?まじで刺されてぇのかお前!」
「えー?まっさかー!」


イライラしてるのがこっちにも伝わるくらいに、先輩は最高に不愉快そうで。


「じゃ!なまえちゃんが待ってるんで!お疲れっした宮地さんー!!」
「高尾!!!」


まだ話は終わってねーぞ、と視線で告げられて、でも俺は敢えて気付かないふりをして、あまりにおもしろすぎる展開にやっぱり笑いながら、最後に最大の爆弾を投下して、すぐに踵を返し更衣室へと急いでいった。…あ、しまった。宮地さんの反応、ちゃんと見とけばよかったな〜。


「俺はなまえちゃんのこと、女の子としてちゃんと好きっすから!」







「――何やってんだ、お前ら」


分かっていた。なまえちゃんは困惑してるみたいだけど、俺にはちゃんと分かっていたんだ。


「――お疲れさまっす、宮地さん?」


俺がその表情のままで、倒れ込んできたなまえちゃんの背中に手を回して、ぎゅっと抱き締めて見せれば、やっぱりさっきとは比べ物にならないくらいに、表情が歪んで。そこにはいつも先輩が持っている威厳も余裕も、少しもない。


「…っわ!き、……宮地さん!?」
「オイコラ、なまえに触んなっつったろ」
「えー?触んなとは言われてねーっすよー?」


つーか、なんすか人を害虫でも見るみたいに。勢いよく俺からなまえちゃんを引き剥がした先輩は、渡さない、逃がさないと主張するようになまえちゃんを後ろから抱き込んだ。その、宮地さんの余裕のない歪んだ表情も、なまえちゃんの困惑しながらも赤く染まる頬も、俺にしか、見えない。だから、きっと俺にしか、わからないんだろうなぁ。


「あーあ、先輩にお姫さま取られちゃったな〜」
「ひ、姫!?何言ってんだあんた!」
「……盗ったの、お前だろ」


こいつは自分のものだと、ただそうして俺を睨む宮地さんは、なまえちゃんを少しも離す気はないらしく、さっさと消えろと暗に何度も言われてた。でも、まだダメなんじゃないか。今、退くのは容易だけど、でもなまえちゃんは本当に幸せになれるのか?ちゃんと、笑えんのか?そう考えたら、まだ、話は終わらないと直感した。


「ま、いいや。なまえちゃん、今日はブチキレてる宮地さんに送ってもらってよ!」
「は、はあ!?ちょ、高尾……!」


こんな意味わかんねー状況で置いていくなとすがるような視線をなまえちゃんから送られて苦笑したいところだけど、とりあえず今はまだ我慢。大丈夫だからと笑えば、困惑しながらもなまえちゃんは口を閉じた。


「……あ、宮地さん」
「は?さっさと帰れよ、高尾」


笑いながら、策を練って。嘘と本音を使い分けて。やっぱり、俺は笑うしかなくて。


「――俺、本気っすからね」


ひとつだけ、俺は嘘をついた。


「じゃ!なまえちゃんに宮地さん、また明日ー!」


きみは、親友。そして、俺の大切な女の子。誰より、いちばん、大好きな。


――だから、きみは一生、俺のただひとつのこの嘘を知ることはないだろう。そうして俺は明日のきみのため、この役割を全うして今日も笑顔を浮かべた。




切実に願うけど叶わない。届いているけど伝わらない。




130604