※念のためR15指定を付けさせていただきます。義務教育を修了されていない方は閲覧をご遠慮ください。






「赤司くん、お待たせ」
「ああ、帰ろうか」


いつものように校門でわたしを待っていてくれた赤司くんに駆け寄る。平日は基本的には帰る時間がまちまちなため、一緒に下校することは極稀であるが、今日のように平日よりも少し早めに終わる休日の練習のあとにはほとんど必ずといっていいほど一緒に帰っている。


「赤司くんの手は冷たいねぇ」
「寒がりだからね。そういう苗字も人のこと言えないだろう」
「ふふ、そうだねぇ」
「…もう二月か」


早いものだ、と呟く赤司くんの横顔を見つめて、なんだか少しだけ切なくなった。彼らが全中二連覇をなしとげた夏から既に半年、わたしと赤司くんが出会って三ヶ月弱。とはいえ、まだ冬は終わらない。青峰くんはわたしが入部したときよりもさらに部活を休みがちになった。部活外での関わりも上の空だったりであまり積極的ではなく、どこか遠くを見つめていることが増えた。黒子くんは特に変化しているようには見えないけれど、なんだかそれが逆に怖かった。なにを抱えているのかを少しも見せようとはしない。そして、涼太くんは寂しそうだった。


「苗字」
「はい?」
「今日は?」
「……お邪魔します」


にやりと笑う赤司くんはわたしの頬をさらりと撫でた。今日は機嫌がいいらしい。やさしくしてくれるだろうか、甘いものを味わえるだろうか。今日は苦しくないといいなぁと毎度のことながら思う。いくらわたしが別の誰かの『代わり』で、それを了承し自ら差し出していると言えども、好きなひとに別の誰かを想われながら抱かれるというのは、なんとも息苦しいものである。ふわりと赤司くんの髪を撫でる冬の風を視界に捉えて、自嘲するように繋がった手のひらに力を込めた。







それでもわたしは、『ここ』を誰にも譲りたくはない。


「…っふ、ぁ……ん」
「……お前は本当に」


かわいいなと耳元で囁かれる。強い歓喜に心の臓は震える。それに相応するように、たかがキスひとつで、このひとにすっかり飼い慣らされた身体は一瞬にして愉悦の快楽を駆け巡らせた。従順で、なおかつ欲深で愚かだ。目を細めた赤司くんが再びわたしの唇に触れて、舌先がなぶるように暴き、口内を踏み荒らして行く。息苦しさは止まらず、わたしは赤司くんの腕を掴んだ。強く握りしめたからシャツにしわが寄ってしまったかもしれない。抗いようもなく遅鈍になっていく思考の隅でそんなことを思った。


「お前は、俺のものだ」
「……んんっ」
「誰にも渡しはしない」


首筋から鎖骨、胸やお腹にまで及ぶ所有の証は既に数は不明なほどで、赤く咲いたそれを満足げに見下ろすこの目が、わたしは好きだった。大体にして、ひとを別の好きな子の代わりに抱いておきながら、その形代にいくつもの所有印をつけるなんて、正直イカれていると思う。そして自ら望んで全てを捧げて、その瞳にすら歓喜を覚えるわたしが一番歪んでいる。


「愛してる」
「…わたしも」


――嘘は嘘とお互いわかっていながら口にする滑稽さと、寂しさを埋めるように抱き合う孤独、互いの利益の上で成り立つ関係だった。きっともう、お互いにぼろぼろだったわたしたちは、不思議なくらいに溶け合った。さつきちゃんはラブラブでうらやましい!なんて笑っていたけれど、甘さなんか本当は一欠片さえなかった。すべては空虚につながる偽物の恋人、仮初めの愛を囁き合うからセフレよりもずっとずっと質が悪い。わたしたちは、謂わばお互いの望みのために利用し合う共犯者だった。


「……っ…」


口の端から零れた小さな呼び声に、聞こえないふりをした。そうして、わたしはいつものようにあなたを求めて抱き寄せる。







「…すっかり暗くなったな」
「え、もう七時半!?帰らないと!!」
「いっそ泊まっていくか?」
「バカ言わないでよ!帰ります!!」
「ふふ、それは残念だな」


もう一回したかったのに、と笑う赤司くんをちらりとにらみつけると彼はさらに笑みを深めた。小さくため息をついて、散らばった服を拾い上げようとしたが、反対側の腕を後ろから強く引かれて、バランスをとれず赤司くんに引かれるままに体重を預けた。後ろから抱きつかれる体勢で抗議するために下からにらみつけるが、もちろんのこと大した効果はない。


「本当に帰るのか?」
「さすがに外泊はまずいよ」
「桃井にでも協力してもらえ」
「…な、なに?そんなにしたいの?」
「んー」


そうだな、とくすくす笑う彼の手が下着すら着けていないわたしの乳房へと伸びてきた。揉まれる前にその不埒な手を振りほどけば、不機嫌になるどころかさらに上機嫌そうに笑いながら、わたしの首筋や髪にちゅちゅと音を立ててキスをした。


「残念だな。来週は練習試合があるから次は再来週になってしまうな」
「……まあ、がんばってください」
「はは、苗字が外泊ありにしてくれたら毎日できるが?」


それとも学校でする?スリルがあるね、と本気なのか本気じゃないのかよくわからない声色が余計に恐ろしい。


「赤司くん、煩悩まみれ」
「ふふ、中学生男子の性欲を嘗めないでくれ」
「……したいなら別の人とどうぞ。わたしにはむりです」


今さら恥じらう暇もなく着々と服を着ていく。そもそも中学生がセックスというのはもしかすると今時珍しくはないのだろうが、万が一の責任をとれない以上、明らかに好ましくない行為であることは確かだ。付き合う以上、考えなかったわけではないけれど、それにしても普段紳士的に振る舞うあの赤司くんがこれほど手が早いとは正直意外だった。自分のものにした途端に強欲になるタイプなのだろうか。数々の美少女に告白されながらいつも頑なに断っているというからどちらかというと硬派なのかと思っていたが微妙に違うらしい。一応名目は恋人とはいえ、愛を伴わない以上セフレと変わらない関係なんだから、とやかく考えても無意義なんだろう、赤司くんの意味ありげな視線を背中に受け止めながら、ため息を吐く。


「へぇ?冷たいな、俺の彼女は」
「じゃ、わたし今日はもう帰るね!」
「はは、俺を無視するとはいい度胸だね?」


帰ろうとしたわたしの腕をまたもや掴んだ赤司くんを見つめた。


「ねぇ、苗字」
「はい?」
「お前はさ」


にやにや、恐ろしい笑みへ反転させた赤司くんの雰囲気に思わず身がすくみそうになるがなんとか耐えて、なんでもないふうを装い、標準装備の笑みを張りつける。


「なに?」
「本当にバカな子だよね」
「…知ってる」
「かわいい」


ベッドに腰掛けたまま、握りしめたわたしの手の甲にキスをする赤司くんを眺めた。まるで、お姫さまにキスをするようなそれは童話のようにロマンチックでもあり、無意味さゆえにひどく滑稽でもあった。眉をひそめたわたしを赤司くんが笑う。


「まったく、いじらしいかと思えば、変なところで相変わらずお前はつれないよね」
「…だって、赤司くんが」
「なに?妬いているの?」
「……あなたは」


なんて質が悪いんだろう。なんて酷いひとなんだろう。そんなこと、知っているくせに。赤司くんが何より質が悪いのは、わたしが『代わり』であると全て悟っていることも、何もかもをこのひとは知った上で騙されたふりをするわたしを笑いながら騙すところだ。なんて、こわいのだろう。この関係こそが、欠片もない愛情を証明している。最低で最悪にして、わたしの最愛の共犯者は、相変わらずわたしとは違う種類の笑みで本心を隠す。


「帰ります!」
「怒った顔もいいね。さすが俺のかわいい彼女」


今はなんだかどんな言葉を返せばいいのかも、どんな表情を浮かべればいいのかも解らず、とてもではないけれど演技する余裕もなかった。帰って、なにも考えず早く寝たい。無言のまますたすたと出口に向かい、ノブに手をかけ回そうと力を込めた瞬間、最後の意地悪を赤司くんは投下した。


「お前は、今日も枕を濡らしながら眠るんだろうね」
「……」
「――せいぜい、いい夢を」


甘い言葉ほど、わたしを懐柔して、そのあとにずたずたに踏みにじるからいやだった。どうせ、すべて嘘ならば、最初からやさしい言葉なんていらない。わたしをときめかす甘い言葉も、わたしを踏みにじる酷い言葉も、すべて等しくわたしを傷つけるならば結局は同じである。


「それでは、また」


いつまで不毛な関係は維持できるのかな。既にもうずたずたに傷ついているのに、こんなにも苦しくてたまらないのに、それでも手放せない。すがるように求めるあんな弱く寂しいひとを、ひとりにしたくない。心からの笑顔で、幸せだと笑ってほしい。ただ、それだけのためにすべて望まれるままに差し出して、甘やかされながら踏みにじられるバカなわたしは、わたしがきらいだ。代わりでないと愛されない嫌悪より、わたしの名前を呼ばれない嫉妬より、この歪んだ恋心をとるなんて本当に。


――お前が、必要なんだ。


「……バカだ」




そしてわたしは愛されるゆめをみる




いつか、いつか、捨てられてしまう。きっとわたしは近いうち罰を受けることになるのだろう。こんな不毛で歪んだ関係など、各々が切望する泡沫の夢のために互いを傷つけ合うものでしかない。それなのに、やはりわたしはその瞬間までは諦めきれないのだ。わたしを見つけてくれた赤司くんが、どうかもう一度心から笑ってくれますように。


もしも、わたしが人魚姫だというのならば、やはりわたしも泡となった彼女と同じように、大切なひとのしあわせを思いながら溶けて消え失せることさえも厭わないのです。




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