※手などを噛まれるため、ちょっと痛覚的に痛い表現ありなので注意です。




ある日本の文豪は斯く語りき。


――愛の表現は惜しみなく与えるだろう。しかし、愛の本体は惜しみなく奪うものだ、と。


「苗字」


ならば私も知らず知らず奪われているのでありましょうか。私の意識の外で図らずもなにかを奪っているのでありましょうか。


「はい、キャプテン」


私が愛を以て彼を見つめる度に、何らかの作用によって彼を僅かたりとも苛んでいるとでもいうのでしょうか。あるいは、その逆もまた然り。彼が愛を以て私に触れる度に、私は彼から惜しみなく奪われ征されているとでも。


「少し備品の件で話がある。ちょっといいか」
「勿論」


キャプテンはそうして人当たりの良さそうな紳士的な微笑みを浮かべると、実渕先輩に私共々少し席を外す旨を告げて快諾を得ると、そのまま私の方へ向き返ることなく、体育館の出口へと歩を進めた。どうやら体育館外にあるバスケ部の備品をしまっている倉庫へ行くらしい。私がついてきているかどうかなど、ちっとも確認しようとしないその慇懃無礼な様は本当に瞠目するばかり。とはいえ、私にはキャプテンの意向をはね除ける勇気も気概も全く持ち得ていないのだけれど。


「何か問題がありましたか、キャプテン」


件の倉庫へと到着したのはいいけれど、キャプテンは電気も点けずに何故か沈黙をするのみだった。この倉庫には窓がないため、昼間といえども電灯を点さなければ室内はかなり薄暗いのである。私の呼び掛けさえも圧殺したキャプテンはゆっくりと振り返って、それから。


「なまえ」
「……いたっ!」
「二人の時は名前で呼べ、と」


そう命令したはずだ、と。征十郎くんは私の髪を掴み上げながら、私の脳髄に響き渡らせるかのような低い声で、重く囁く。


「部活中にも関わらず僕が何故お前を呼び出したか、賢いお前なら察してくれるな?」


それは確認でもなく、期待を交えるでもなく。ただの、口実にすぎない。そうだ、誰も知らないのだ。我が部のキャプテンたる彼としがない一マネージャーである私が、密なる関係であることを。誰も知らない。決して誰からも気付かれないように、細心の注意を払いながらそのすべてを秘密の内に私たちは隠している。


「……わかりま、痛っ!!」
「ふぅん、そう」
「……っ」
「解らない、と」


彼はただ笑うのだ。私を奪う、その行為を、これこそが愛の表現であると微塵も疑いもせずに。だから、彼はいつも笑いながら私のすべてを奪い尽くそうとする、鋭利に、されど一途に。


「たとえば、この手」
「いっ……!!」
「さっき、僕以外の一体誰に触らせた?」


征十郎くんは私の手を捻り潰しそうな勢いで掴み上げたかと思うと、私の弱々しい手首に容赦なく噛みついた。憎しみと嫉妬心を刷り込むように、強く歯を立てて。容赦なく私を責め立てるその痛みに震える。ああ、そういえばさっき葉山先輩に手首を掴まれたなあ、と緩い思考を巡らしながら、苦悶の表情で眉間にしわを寄せる征十郎くんから目を離さないようにしていた。


「それに、この耳」
「…あ……!!」
「……かわいい、ね」
「いた、いっ……!」
「僕以外から甘言を弄されて、お前は満足か?」


まさに噛み千切りそうな強さで私の耳に歯を立てる征十郎くんに、目眩を起こしそうだった。ああ、そうだ。確か実渕先輩が今日の髪型を「かわいいわね」と軽く誉めてくださったんだっけ。そんなこと、すっかり忘れていたのに。まさか征十郎くんに見咎められるとは思いもよらなかった。こんなふうに、火傷を起こしてしまいそうな熱い熱情を見せつけられるなんて。ああ、完全に想定外だ。


「極めつけは、この目」
「……あっ……!」
「あれほど長い間、僕以外の一体誰を見つめていた?」


まるで目尻にやさしくキスをするような要領で、征十郎くんは今度は閉じられた私の瞼に歯を立てる。あんまり強く噛みつくから眼球ごと抉りとられそうな感覚に陥り、じわりじわりと恐怖に戦かされて、私以上に震えている征十郎くんに追い縋るしか立っていることさえできない。あれは、あれは、ただ。そんな言い訳は与えられる痛みと熱さに喘ぐ私にはとても言葉にできるような余力はなくて、ただ苦しいほどの愛を前に飲み込まれ消えてゆく。


「……なまえ」
「征十郎く、ん……」
「お前のこの手に触れていいのも、僕だけだ。お前のこの耳が聞いていい言葉すべて、僕以外は認めない、認めないよ」


私に痛みを与える側であるはずの征十郎くんは、痛みを与えられる側である私なんかよりもずっと痛そうで苦しそうな表情で、今にも泣いてしまいそうだった。


「お前はただ僕だけを見ていればそれで、いいのに」


こぼれたしずくは、一体どちらのものだったのでしょう。


「…なまえ、なまえ。お前は僕のものだ。僕だけのものなんだ。僕だけの、なまえだ……!!」


歯を立てて傷つけては、そのすべてに彼はキスをする。まるで、すべては愛ゆえのものだと言い訳するかのように。私の手首、耳、目、すべて順番に今度は唇で繰り返しやさしく愛撫するその様は、まるで愛と許しを得ようとするがごとく。なんて哀れで弱々しく、そして何故これほどまでに、いとおしくて堪らないのか。緩い思考を継続させながら、目を閉じて私は思うのです。


「――愛してる、なまえ」


彼は惜しみなく愛を与える術を知らない。そしてまた、惜しみない愛を与えられる術も、同様に知り得ないのでしょう。だからこそ、その純粋すぎる瞳は今なお強く信じている。奪い奪われることこそ、愛なのだと。


「……私も愛して、いるわ」


けれど、ただ気を失ってしまいそうなほどの苦しみの中、それでも私の愛を乞う赤司征十郎という存在こそが、私が愛してやまない唯一のひとなのであります。どんなに私が与えても与えても決して満たされない彼を見ていると、やはり愛の表現さえも奪い奪われるものでなければならないのかと涙して、苦しいくらいに私をその腕の中に閉じ込めようとする彼を抱きしめ返しながら、今日も私は彼の痛いほどの愛を前にただ奪われるしかないのでありました。


「足りない、足りないよ、なまえ」


もはや奪われているのか与えているのか、それさえももう遠く愛の果てで意味を亡くすのです。


し み な く





130424
ヤンデレ赤司


註:ある日本の文豪=有島武郎




先回のアンケートより、ヤンデレ赤司
大変遅くなりましたが、このような形になりましたけれどもいかがでしょうか。ヤンデレってちょっと専門外なので自信ないのですが、拙作で喜んでいただけると幸いです。ネタ提供、どうもありがとうございました!