それは、図書室に本を返しに行った帰りだった。


「……黄瀬くんだ」


ああ、なんてきれいなんだろう。ひかりの粒が黄瀬くんの髪を縁取って、きらきらと淡い光を放っている。日だまりが閉じられた黄瀬くんの白い瞼を包んでいて、わたしは一瞬にして目を奪われてしまう。どうして、黄瀬くんはこんなにも自然に光を纏うのだろう。


「……ねてる…」


裏庭の桜の木にもたれて、黄瀬くんは眠っていた。いつも常に誰かと一緒にいる黄瀬くんが一人でいるなんて、珍しいところを見たなあなんて思いつつ、その無防備で穏やかな寝顔に思わず見入る。ああ、なにか夢でも見ているのだろうか。日だまりに包まれたその寝顔はとてもやさしい顔をしている気がする。これが黄瀬くんの本当の素顔だろうか。ああ、やっぱり、


「…すき、だなあ……」


なんて、ね。桜はもう散ってしまっているが、季節はまだ春。もうすっかり暖かいけれど、こんなところで寝てしまうにはもしかしたら少し肌寒いかもしれない。せっかくいつもがんばっている黄瀬くんのわずかな休息のときに風邪を引いてしまったのではいくらなんでも可哀想だよなあ。そんなことを思って、声をかけずに、ただわたしは気持ち良さそうに寝ている黄瀬くんに自分のブレザーをかけた。


「おやすみなさい」





「苗字さん」


もうずいぶん暖かくなったといえどブレザーなしでいられるほどではなく、まだほとんどの生徒がブレザーを着用している中で、彼女だけがブラウスで少し寒そうに小さな身体を縮こまらせていた。


「これ、ありがとッス!」


そう言って彼女のブレザーを手渡すと、苗字さんは少しだけ目を見開いて、よくわかったねぇと照れたように少しだけ頬を染めて微笑んだ。俺がよく知っている「作られた」かわいいではなくて、自然に浮かべたそのかわいらしさに少しだけ口元が緩んだ。苗字さんには、よく向けられる女の子の媚びなんてものはいつも全く感じられなくて、演技のないまっすぐな彼女のふるまいを俺はわりと好ましく思っていた。


「そりゃ分かるっすよー!助かったっすよ〜ありがとね〜」
「どういたしまして」


彼女といるのは存外心地よい。女の子と一緒にいてそんなことを思えるなんてね、と心の底で小さく嘲笑しながら、一方でこんなふうに思える子があの子以外にいたんだと驚く気持ちもあった。俺は、本当は女の子があまり好きじゃない。あ、いや、語弊がある。女の子は好きだ。だけど、女の子が俺に向ける感情が死ぬほどキライ。期待や羨望、俺の隣に立つという他の子に対する優越感、勝手に理想化した「モデル黄瀬涼太」への偶像崇拝とか。「キセキの世代」という肩書き、「現役モデル」という虚飾に恋をする女の子たち。誰も「俺」を見ようとはしない。誰も本当の「俺」に気付かない。


「黄瀬くん、がんばるのはいいけどたまには自分を甘やかしてあげなよ」
「大丈夫っすよー!そんなやわなつもりはないっすから」
「それでも、だよ」


女の子たちに騒がれ囲まれる度に、撮影用の完璧な微笑みを浮かべるのと同時に俺が視線に軽蔑を交えていることを、女の子たちは誰も知らない。誰も、俺を本当の意味で見ていないから。あの子があの人を見つめるみたいには誰も俺を見てくれない。所詮、虚飾の恋なんだろう。好きだと告白される度に信じられなくなってゆく俺のこの歯がゆい思いは、ただ彷徨するばかりで、むしろ羨望は膨れ上がるばかりで時々どうしようもなく苦しくなるんだ。やっぱり、俺が切望している「ほんもの」なんて、きっとどこにも存在しないんだろうな。


「あのさ、黄瀬くん」
「ん?」
「…なんでもないよ」


そうやって苗字さんは、小さく笑った。時々、彼女はこんなふうに口ごもる。何を伝えたいのか、言い淀む理由は果たしてなんなのか。俺はそれを知らないけれど、ただなんとなく知りたくはないと思うのだ。きっと、知ってしまったら俺は。


「変な苗字さん〜!」
「よく言われますわー」
「えっ、まじっすか?!」
「えっ、そこは信じないでよ頼むから」


はは、何をいまさら!俺は、最初から何も信じてなどいない、空っぽな俺は信じられるものなんてなにも持っていない。ただ一つ、ほしかった憧れは二度と手に入ることのない遠い世界のまぼろしだ。俺がきっと一生掴むことが出来ない永遠。夢でしか届くことが叶わないなんて。きっと、俺の虚飾を見つめる女の子たちは知らないんだろうなあ。モデルとしての俺、模倣を武器に「キセキ」と呼ばれる俺。今までいろんなものをほしいままに身に付け磨きあげてきたそんな俺がほしいのは、曇りない純粋な「すき」のただその一言だなんて。


――我ながら笑える。


「そういえばさ」
「どうしたの?」
「俺、さっきいい夢を見たんすよ〜」
「…そうなんだ。どんな夢?」


俺は苗字さんとのこんなのんびりした会話は存外気に入っている。だからせめて、きみだけは俺の虚飾に惑わされないでほしい、かも。なんてね。だけどきみなら、仮初めではない普通の友人になれるんじゃないかと、そうであればいいのにと、俺は時々思うんすよ。


「俺の一番ほしいものを手に入れる夢っすよ」




わたしはさみしい


130121