「苗字」


赤司くんがわたしを呼ぶ声それだけで、わたしはいつも一歩も動けなくなる。


「なんですか、赤司くん」


赤司くんはわたしのすべてを掌握しています。何故なら、今のうつくしいひかりの世界に導いてくれたのが赤司くんだから。わたしに魔法をかけてくれたひとだから。そもそもそれ以前に赤司くんの言うことは絶対的だと思わせるだけのなにかを赤司くんは纏っているということもあるのですけど。


「俺以外のやつに媚びを売るな、いいな?」
「こ、媚びなんて!」
「青峰と黒子にしっぽ振ってすりよっていたやつが何を言う」
「しっぽなんて持ってないですー!!」


うるさい喚くな、赤司くんはそういってわたしの顎を掴み上げました。いたい!!いたいですって!ああ…、いくらなんでも赤司くん、わたしの扱い雑すぎやしませんか…!わたしが先ほどポニーテールを捕まれたときのように、再び涙目で痛がってるのを見た赤司くんはまたにやりと笑いました。赤司くん、真性のサディストですね……!


「バカなお前が忘れないようにもう一度言うが、お前は俺のものだからね」
「ひっ……!いた、いたたた」
「いいか、忘れるなよ?苗字」


わたしが涙目で離してー!と懇願していると、赤司くんは「聞いているのか、おい」と更に締め上げて、赤司くんの爪が少しだけ頬に刺さってしまっていて、今ある鈍い痛みとはまた種類の違う鋭利な痛みが加わって、さらにわたしは泣くことになりました。終始、赤司くんはサディスティックな笑顔を浮かべていらっしゃいましたけど!!


「はいっ!はい、分かりました……!ごめんなさいっ」
「俺の言うことは絶対だからな、苗字」
「は、はい!存じ上げてますっ!!!」
「お前の一番は俺だからね。いいな、苗字?」


わたしをいたぶるサディスト赤司くんは相変わらず楽しそうではありましたが、何故かなんだか「一番」だと言ったときの赤司くん瞳は、わずかに翳りを帯びているように見えました。そんな赤司くんはわたしを見ているようで見ていないかのような、別のなにか、別の誰かを、わたしを通して視ているのではないかと……そんな気が致しました。――あかしくん、もしかしてあなたは、ほんとうは。


「はいっ!!もちろんですあかしくん!!」
「っふ、分かればいいんだ」


ようやく満足したのか赤司くんはわたしの顔から手を離して、すっかり涙目になっているわたしの目じりを、わたしの頭を撫でるときのような、やさしさのこもったきれいな指で触れました。わたしのわずかばかりの涙を掬い上げる赤司くんの表情は、今までにないほどやさしくて。わたしは、とたんに切なくなって胸がぎゅうぎゅうと苦しくなりました。頬が火照る、頭がほわほわする、目線が赤司くんからそらせない、触れあったところがやけどのようにひりひりと、あつい。なんていう気持ちだろう。なんてことばが適切なんでしょう。そうして、わたしはふと涼太くんとの昨日の帰り道での会話を思い出しました。…ああ、涼太くん、わたし、ようやく分かりました。


――ひとは、これを「恋」と呼ぶのですね。







――昨日、久しぶりに涼太くんと一緒だった帰り道での、会話。


「赤司くんなんだ!」
「…なまえ」
「赤司くんがわたしを変えてくれたんだよ!」
「うん、そうだね」
「だからわたしは赤司くんが大好きです!赤司くんが大好きなんです!」


わたしを見つけてくれた変えてくれた手を差し伸べてくれた、そんなあなたがわたしは大好きです、本当に大好きなんです。だから、ほめてほしい、笑ってほしい。あなたが望んでくれるならそれだけでわたしは、しあわせ。


「赤司くんがほめてくれるのが本当にうれしくて、だからわたしは明日もがんばろうって、負けないでいようってそう思えるんだ、がんばったぶんだけ赤司くんは少しだけ笑ってくれるから!」


ただ、その小さな微笑みが見たくて。


「なまえは本当に赤司っちが好きなんだねえ」
「はい、大好きです!!」
「でも、恋かどうかはまだわからないんでしょ?」
「うん!!」
「…そっか」


わたしと外を隔てていた長い前髪は今はきれいに切りそろえられている。新しい視界、きらきらと光るきれいな7色の世界。それを単色の世界でひっそりと生きていたわたしに見せてくれたのは赤司くん。怖いことなんてなにもなくて、ゆっくりでいい、相手はちゃんと待ってくれるって言い聞かせてくれたのも赤司くん。今でも時々焦ったりとかするとどもってしまうのは変わらないけれど、最近は随分はっきりしゃべるようになれたんです。相手はちゃんと待ってくれる、赤司くんの言葉は本当にその通りで、それを思い知った時涙が出そうになりました本当に。そうして余裕が出てきたのか、わたしも最近は笑えるようになったんです……!あんなに表情は固かったのについゆるんでしまうくらいにはゆとりがあるようです。そんなわたしに相手も微笑み返してくれることを知った時の感動はとても言葉では表せません。


「赤司くんは、わたしのすべて…をかえてくれたんです」


赤司くんの言うことは、本当にすべて正しいんです。


「恋かどうかも分からないのに、赤司っちに心酔しすぎだよ、なまえ」
「えー?でも赤司くんだし」
「確かにそうだけどさー!赤司っちは確かにすげーけどさー」


それから涼太くんは、悲しそうな表情でむりに笑って、それからため息ひとつ、ゆっくりとこぼすと、わたしの手をとって、昔みたいに手をつなぎました。今は、すっかり涼太くんの手はわたしよりもずっと大きくて、身長差のせいでなかなかつなぐのも難しくて。


「…ひとつ、聞いていい?」
「……うん、なあに?」


だけど、あんまり力をこめずに、包み込むような涼太くん独特のつなぎ方は相変わらずで、なつかしさに胸がわずかにしめつけられた。


「その髪型は、もしかして赤司っちが薦めた?」
「え?う、うん」
「……そう」
「前髪切ったときに、ついでだから後ろも一つにまとめるとずいぶん印象も変わるって、赤司くんが」


なにやらよく分からない質問をしたと思ったら、涼太くんは今度はだんまりを決め込んで、それからしばらくして、とても真剣な瞳でこう言った。


「その、橙色のシュシュは、……なに?」


――お前には、橙色が似合うね。


赤司くんは、わたしにそう言った。ひどくいとおしげなまなざしで見つめながら。


「あかしくんが、わたしに薦めてくれたんです!!」


橙色は、赤色と黄色の間の色。だからこそ、わたしはその色をとてもきれいだと思ったし、いとおしくも思いました。その中に憧れを交えていたのも、ほんとうですけれど。


――かわいいよ、苗字。


だからわたしはあなたのその微笑みがほしくて、バカみたいにあなたに従うんだ。赤司くんの淡いやさしさに一度触れてしまったら、熱く鋭い視線に見つめられることを覚えてしまったら、もう二度と抜く出すことはきっと叶わないでしょう。赤司くん、あかしくん。わたしは、ただあなたがそばにいてくれる、それだけで、もうなにも望まないよ。だから。


「……なんて、悪趣味なんすか、」


赤司っち、と涼太くんの小さな呟きを、ほらまた、わたしは聞こえないふりでいたみを遠ざけるんだ。




まるで真珠のように浅はかで美しいのにね




ねえ、あかしくん。
もしもわたしが、あわになってとけたら、そのあと、ほんのすこしでもわたしをわすれないでいてくれますか?




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