「お前が、必要なんだ」


あのね、赤司くん。わたしはさ、誰かにその言葉をいってもらえる日が来るのを、ずっと待ちわびていたんですよ。


「そんなかんじで、赤司くんが、わたしをバスケ部に、誘ってくれたの…」
「いや、それ誘うっていうか、ほぼ100パー強制じゃん…」


赤司っち…と何故か目頭を押さえながら、涼太くんはなんとも言えない声でそう言いました。いやいや、な、なんでそんな遠い目でこっちを見るの涼太くん…!


「涼太くん…?」
「…まあ、なまえが楽しそうならそれでいいけどぉー」
「え?」
「それにしても赤司っち…」


しぶしぶといったかんじで納得したふうだったのですが、それでも未だに腑に落ちないといったかんじで、涼太くんは顎に手を添えて考え込んでいました。…なんていうか、絵になりますよね。さすがモデルさんですね涼太くん素敵です…!


「なまえ」
「なあに?」


それから涼太くんはふと立ち止まってまっすぐわたしの目を見つめて、少しだけ困ったように笑いました。ああ、涼太くんはほんとうに変わっていないねえ。わたしにさえ、やさしい涼太くん。昔から不安だったの。涼太くんは、すごいひと。その手にいろんなものを掴んで、その背中にいろんなものを背負っている。たくさんのこと。小さな頃から、いつもあなたはきらきらしてた。


「俺はさ、なまえが笑ってくれるなら、それでいいんだ」


だからこそ、わたしは怖かったの。抱えきれないくらいたくさんのものを持っているあなたに、わたしまで背負わせたくなかった。心配させる度に不安になった。いつか、わたしはあなたを押し潰してしまう気がして。


「涼太くん、わたしはね」
「…うん」


涼太くんは、わたしの大切なひと。ずっと、それは変わらないの。いちばん近くで支えてくれた守ってくれた、ただひとりのひと。だから、だからね。


「赤司くんなら、信じられると、おもうの」
「…うん」
「もう一度、」


だけど、赤司くんが本当に必要としてくれてるわけじゃないことはわかってるんです。それでもかまわないよ。ただ、わたしはひとかけらでもわたしに期待してくれた赤司くんに応えたい。わたしなんかを見つけてくれた赤司くんにほんの少しでも報いたい。今は小さなかけらでもいい、細く切れそうな糸でもいい。ただわたしはあなたを信じてみたいんです。


「わたし、だいじょうぶだよ」
「…うん」
「ありがとう、涼太くん」
「…なまえ」
「うん?」
「やっと、会えたね」
「え?」
「やっと笑ってくれるなまえに、会えた」
「……あ」
「なまえが笑えるようになって、俺はうれしいよ」
「涼太くん…」
「よかった、本当に、よかった」


涼太くんは切ない表情で、わたしの顔をその大きな両手で包み込みました。瞳が交差する。泣き出しそうな涼太くんの目に、わたしのほうが泣きそうになりました。


「赤司っちのこと、好き?」
「…はい」
「それは恋として?」
「……ううん、まだ」
「わからない?」
「でもわたし、赤司くんに笑ってほしいって、おもうの」


赤司くんは、めったに笑わないひと。表情を凍りつけたようなひとです。固くて、不自然なそれ。おかしい、です。前はもう少し、穏やかなひとだったと、思うんですが。一体、なにが彼を変えてしまったのでしょうか?


「…前髪、切ったんだ」
「えっ、……あぁ、切られたんだ、よ」
「え?!切られた?」
「…赤司くんが、むりやり」


あああぁ、思い出すのも恐ろしいです…!ハサミでジャキっ!とすごい勢いで前髪を切られたときの恐ろしさといったら!涼太くんが不思議そうにしつつも、どこか顔が青ざめていたので、涼太くんもちょっと想像できているのかもしれません…赤司くんの恐ろしさを。







「苗字」
「は、っはいぃ」
「俺が変えてやるからには徹底的に変わってもらおうか」
「…えっ、えええ」
「まずは、その吃るのを直せ。不愉快だ、もっとはっきり明瞭に話せ」
「う、え、あ、はい?」
「俺の言うことが聞けないのか?」


手首を掴んでいるほうの手とは逆の手で、赤司くんはわたしの顎を掴みました。あ、もちろん女の子が憧れるような、くいって上に上げるようそんなやさしいものじゃなくて、ぐわしっ!と頬と共に締め上げるような乱暴なものでした…!こわいいぃ、いたいいぃ!赤司くんに頬をつままれているので、口がたこさんみたいになっててとても恥ずかしいですが、抗議しようにも、うまく話せないんです…!


「はひょひふん!ははひてふははいぃぃ」
「うるさい、黙れ」
「ひょ……!」
「お前が、いつも吃るのは口にするのを躊躇うからだろう?」
「…ふへ?」
「迷うようなことなら一度頭の中で咀嚼して、それから口にすればいいんだ。お前は頭の回転は悪くないのだから、ワンテンポ置くくらいでも決して遅くはない」
「……ほ」
「それくらいの間なら、相手はちゃんと待ってくれるよ」


赤司くんはそういって、少しだけ表情を和らげました。相変わらずわたしの頬を掴んだままでしたが、赤司くんの言葉は不思議と耳に馴染んで、やわらかな暖かい響きでわたしの心に染み渡りました。


「それから、お前は人の目をちゃんと見ろ」
「………っ」
「お前はただでさえ口下手な上に表情も固いんだ、それでは相手に何も伝わらないよ」
「……わたしは、」
「その長い前髪で瞳を隠して、自分と外の世界とを隔てていたつもりか?」


赤司くんはちっぽけなわたしのすべてを見透かした。吃るのは口にするのが怖いから、間違えてしまうのが怖いから、相手に届かないことが怖いから。相手と目が合わせられないのは見てもらえないことを知るのが怖いから、疎ましさを含む視線、歪められた表情に気付くのが怖いから、何よりしあわせが遠いことを思い知るのが、こわいから。見たくなかった、ずっと。だから前髪で目を隠して、できるだけ見ないように、気付かれないように。ただ、すみっこの、この小さな世界を守るために。


「もうそんなものは必要ない」
「……い、いやです、これだけはっ!」
「苗字」
「………は、ぃ」
「俺がお前を変えてやると言っただろう?お前の才を活かすと同時に、苗字、お前自身を俺は生かしたい」
「…あ、あかし、くん…?」
「この意味が分かるか?苗字」


――俺が、本当のお前にしてあげる。


それから赤司くんは何故かポケットからハサミを取り出しました。少しの間だけでしたが、顎から手を離してくれていたというのに、再び同じようにわたしの顔を固定すると、にやりと笑って。


ジャキっ!


「…え、……ええええええええええぇぇ!?」


ものすごいスピードで一気にハサミを横切られました。


「なんだ、とてもきれいな瞳じゃないか」


はらはらとこぼれ落ちていく前髪が視界を埋めました。そして、それと同時に、その向こうで、ほんの、ほんの一瞬だけでしたが、ふわりと、まるで暖かな春の日だまりのようにやわらかな微笑みを浮かべる赤司くんに釘付けになりました。


「やはり前髪はないほうがいい」
「えっ、え、あ?」
「せっかくだから、後ろ髪はポニーテールにでもしてみる?」


何故かノリノリな赤司くんは、恐ろしくハサミを振りかざしたことを全く気に病むこともなく、眉毛の少し上で、不揃いに切られた前髪をきれいに整えつつ、そんなことを仰いました。


「ん、前髪、切り揃えたよ」
「…ひゃあっ」


そういって、赤司くんはわたしの顔にかかっていた切られた髪の毛を払いのけてくれたのですが、いかんせんやさしい手つきで目やら鼻やら頬やらに、いきなり触れられてしまったものですから、つい驚いてしまって、変な声が出てしまいました。そんなわたしを覗きこんでいる赤司くんは、っふとなにやら小さい息をはくように笑いました。


「顔が真っ赤だな」
「だ、だって、あかしくんが……!!」
「っは、お前、かわいいな?」


ななななななにをおっしゃってるんでしょう……!彼は一体!わたしはもう色々恐怖やら新しい視界やら羞恥心やらでキャパオーバーです…!


「もうお前には前髪も必要ないだろう」
「…でっ、でも、わたしは…!」
「俺が言うのだから間違いなどない、俺は全て正しいのだから」
「…う」
「言ったはずだ、お前はもっと素晴らしい人間だと。俺が見出だしたのだから、間違いなどではないよ」
「……あかしくん」


赤司くんはわたしの頭をやさしい手つきで撫でて、わたしの頭に、心に、魂に、刷り込み刻み込むかのように、強く明瞭な言葉でわたしに言い聞かせました。


「俺の言葉を疑うな、苗字」
「……」
「俺の言葉は絶対だ。だからお前ももっと自分の力を信じろ」
「はい…」
「怖いなら俺を、俺だけを信じればいい」


あなたはわたしの、すべて。


「お前は、俺のものだよ」




ちちんぷいぷい




ねえ、赤司くん。
わたしに魔法をかけてくれて、ありがとう。あなたの言葉はどれも強気で傲慢だったけれど、わたしにはやさしくとても愛情深く聞こえましたよ?そこにどんなあなたの思惑があってもよかったの。ただ、あなたの言葉すべてがわたしにとっての真実。本当に、ただそれだけでよかったんです。そんなわたしの想いを、涼太くんは悲しく笑うでしょうけれど。




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