この世の中には知らないことがありすぎる。自覚はじっくりと染み渡り切なさと不甲斐なさが胸を締め付けた。
――さようなら、征くん。また、いつか。
しあわせへの問いに答えた日、それが彼女に会った最後の日だった。次に彼女の元にお見舞いに訪れた時には、今度は完全に面会謝絶状態になっており彼女に会うことは叶わなかった。そのまま数日後には彼女は病院を退院し、それから間もなく一度も登校しないまま学校も転校していった。何度も連絡を取ろうとしたが、電話番号もメールアドレスも変えているようだった。何度電話をかけても繋がることはなく、何度メールを送ってもエラーで戻ってきてしまう。もう、どうしようもなかった。涼太に何度も掛け合ったが、今度ばかりは決して頷いてはくれなかった。
――なまえのことはもう、赤司っちも、忘れていいすんよ。
それがどれだけ残酷なことか、分からずに口にした涼太に解れというのが無理な話だったのか。もはや、どうしようもないことなのか。ただ傍にいてほしかった。それだけの結末がこれか。さすがに自分の傲慢さには吐き気がする。こんな、バカな結果など。受け入れられないと一蹴する余裕すらない。間抜けにも、ずっと僕は茫然自失としたまま動けないでいる。なんて忌まわしい、唾棄してしまいたい結末だろう。彼女の記憶が戻らないままだというのなら、余計に拒絶される理由が分からない。――ただ、もしも彼女に記憶が戻っているとしたら。それは、やはり許されないということなのかもしれない。
「おお!赤司じゃん〜!!」
放課後の部活のため、更衣室に入ると先客であった小太郎が話し掛けてくる。
「なんだ、ずいぶんとテンションが高いな。何かいいことでもあったか、小太郎」 「いやいや、俺じゃなくて!赤司がっ!」 「……僕?何故?」
眉をひそめる僕とは対象的に小太郎は笑みを深くした。いいこと?全く思い当たらずに困惑する。むしろ、月日が経つごとに気分は沈滞していくばかりであるというのに。
「さっき!めちゃくちゃかわいい子に告られてたじゃん!!まじうらやま〜!」 「……ああ、さっきの」
声をかけられたのが体育館周辺だったせいか、どうやら玲央だけでなく小太郎にまで目撃されていたようだ。目を輝かせる小太郎を尻目に練習着にさっさと着替える。
「いいなあああぁ!俺もあんなかわいい彼女ほっしー!!ま、部活忙しくてあんま時間とれねーだろうけどっ」 「断ったが?」 「いいなあ、いいなあ。俺にも誰か告ってくんないかなあっ……って。え?」 「だから、断ったが?」 「ちょ、……ちょっと赤司、わんもあぷりーず」 「だから、さっきの告白は断ったと言っているが?」 「え……なんで?」
なんでって……。
「あっ!もしかして赤司、既に彼女がいんの!?うわあ、そっかー!なーるぅー!!」 「何を納得しているのか知らないが、僕に彼女はいない」 「な、んだと……?」 「さっきから何が言いたいんだ、小太郎」
驚愕!!といった表情を顔面に張り付ける小太郎の顔は少し滑稽だった。が、未だ何が言いたいのかさっぱり理解できない。
「……だあってさぁ!!」 「だって、何?」 「ちょっとぉー!あんまり征ちゃんを困らせるんじゃないわよ、小太郎」 「あ、玲央姉ぇ!だって赤司がっ!!」 「あんた、自分がかわいい彼女ほしいけどできないからって、征ちゃんに当たるんじゃないわよ」 「ふぅん。なんだ、そういうことか」
なるほど、さすが玲央。僕とは真反対の性格とも言える小太郎のことについては、僕よりも一年付き合いの長い玲央の方が一枚上手らしい。「ワアーッワアーッ!!玲央姉のばかあ!そ、そんなじゃにゃいし!!」と狼狽えテンプレな噛み方をする小太郎に、玲央が「うるさい」というセリフと共になかなか強烈なチョップを脳天にぶちかました。
「うがあ!!いったいよ!玲央姉ッ!!」 「うるっさいわね!あんた、言うに事欠いて私のことを「ばかあ!」呼ばわりしたわよね!」 「……玲央、二発目はさすがにやめといてやれ」 「え〜。征ちゃんが言うなら……」
玲央姉、まじおっかないし……とぼそりと呟いた小太郎。おい、耳聡い玲央には聞こえているぞ。二発目の姿勢に入っちゃってるからあまり余計なことを言わない方が身のためだぞ。……あ。だから言わんこっちゃないぞ、小太郎。
「ひいい!も、まじいたい……。玲央姉の馬鹿力」 「あんた、三発目いっとく?」 「スミマセンゴメンナサイ、モウイイマセン」
合掌をしながら謝罪をする小太郎に玲央が呆れた表情で構えていた右手を引っ込めた。さすがに、僕があれに見舞われることはそうそうないだろうが、もしも万が一あれを食らったら……なんだか身長が三センチくらい縮みそうだな。小太郎が縮んだかどうかは目測できないけど。三センチも縮んだら百七十センチになってしまうじゃないか。やめてくれ、やっとここまで伸びたのに。
「それにしてもさー、赤司はなんであんなかわいい子の告白断っちゃうわけぇ?俺なら即答しちゃうレベルなのにぃ」 「アンタまだ言っているの?ま、確かに見た目は良かったかもだけど、私に言わせればあれ、二枚も三枚も猫かぶってるわよ。小悪魔系?小太郎にはお似合いね」 「えー玲央姉も目撃してたんじゃんー!やっぱりかわいい子だったよね!」 「私の話聞いてた?女に遊ばれるタイプよね、アンタ」
バッシュとタオル、こちらに来る前に監督から受け取っていたメニューなどが入っているファイルを用意し、更衣室を後にしようとしたが、ちょうど着替え終わったらしい小太郎と玲央も僕の後ろを着いてきていた。二人の噛み合わない会話に、玲央がげんなりした表情を浮かべているだろうことが容易に予想できて、思わず笑う。
「なんで、か。玲央にもさっき答えたしな。……うーん、僕も別の女の子に片想いしてるから、かな」 「へー!かたおも……って、え!?」 「片想いの辛さというものは僕にも解るからね、昔と違って無下には断れないのが時々やりきれないけど」 「さりげなくそれモテ発言よね」
と、ツッコミをいれる玲央に苦笑。仕方ないじゃないか。何故か好かれてしまうんだ。僕、外面だけはいいからな。実際は本当に好きな女の子に気付かず、挙げ句傷付け、最終的にフラれてしまうバカな男だけど。
「赤司ィイ!ちょっとー!そんなん俺聞いたことないよ〜!?」 「当たり前じゃないか。初めて言ったのだから。というかそもそもほとんど誰にも言ったことがない」 「ええ〜ええ〜!!」
水くさ〜!と騒ぐ小太郎に玲央の本日三発目がクリーンヒットしたらしい。背後で鈍い音がした。体育館に着き、既に来ていた部員に挨拶を交わしつつ、愛用のバッシュの紐を結ぶ。まだあまり来ていないな。三年生はHRが長引いているのかもしれない。進路関係か。ちらほら見える部員は皆、一・二年生である。
「赤司も片想いとかするんだ〜。なんか意外」 「アンタ、大概失礼よね」 「なんだそれは。一体どういう意味だ、小太郎」 「えー、なんていうかー」
ちょうどバッシュの紐が結び終わる。さて。三年生が来るまで少しかかりそうだが、自主練に入る前に今いる部員の分だけでも出欠を着けておくか。それから用具室からタイマーを持って来なければ。ファイリングされている中から出欠を書き込むための用紙を取り出す。こういうところはまだアナログだな。監督の性格もあるが。効率が悪い気もする。
「赤司って、ほらあれじゃん〜」 「どれよ」 「どれだ」 「僕を好きにならないとお前でも殺す!みたいな?」 「……」 「……」
あ。しまった。ボールペンの先が用紙にめり込んだ。
「……アンタ、失礼も大概にした方がいいわよ」 「…………小太郎」 「うわっ!赤司、もしかして気に障った?そしたらゴメンッ!!」
しねばいいのに。と何故か玲央が冷たい声を出していた。はは、玲央はやさしいな。
「小太郎が普段、僕をどんなふうに見ているかが容易に推察できる発言だな」 「えっ。……あ、いやちがくて!」
あんまり小太郎が狼狽えるから図らずも笑いこぼれた。ら、どうやら悪い意味に取ったらしい小太郎が必死に謝罪を繰り返す。おもしろいので弁解はせずにいた。
「……だが当たらずも遠からず、だな。無理やり物にしようとしたのは概ね正解だ」 「えっ、そうなの?」 「……」
玲央が眉根を寄せて僕を見ていた。先程、玲央には少し話したからな。余計だったか。その視線は儘ならなずもがく僕を哀れむものなのか。推量しきる前に玲央は自主練を始めるらしくボールを取りに行くために立ち上がり、この場を離れていった。やはり玲央は、やさしいな。
「そんでそんで?」 「それで……。うん、結論から言えばフラれたよ」 「ええっ!?ちょ、ちょ!結論だけじゃ意味分からないよ!!もって詳しく具体的に教えてよ赤司ぃ〜!!」
……うるさい。困ったな。確かに今の説明で納得するやつではないと分かっていたが。とりあえず今のところの出欠は書き込んだので、タイマーとボールを取りに行くとするか。最近身長が伸びてシュートの感覚に若干ズレがあるし、そのあたりを修正しなければ。
「あっかしぃいー!教え……って、うわあ!!」 「いい加減にしなさいよ小太郎。ほら、ボール取ってきてあげたわよこのバカ」 「だからって背後から投げなくたっていいじゃんか玲央姉!!」 「あ、征ちゃんの分も取ってきたわよ。どうぞ」 「ああ、ありがとう玲央。助かる」 「タイマーも他の人が持ってきてくれてたみたいよ。ほら、あそこ」 「……あそこ。ああー、あそこか。見えなかった。何から何まで助かるな」
征ちゃんばっかり色々押し付けたくないのよみんな〜と笑う玲央に苦笑。一年生でありながら主将を務める僕ではあるが、なんだかんだ他の部員には助けられている部分も多い。有難いことである。
「ふーんだっ!玲央姉がそんな態度なら、あれ貸してあげないもんね。せっかく持ってきたのに」 「!!まさか、アンタ……!」
ニタァとチシャ猫のような顔で笑う小太郎にわなわなと感動らしき感情に身をうち震わせている玲央に首を傾げながら僕とは無関係な話なようなので、小太郎と玲央はまた口論を続けていたが僕はその場から静かに離れた。玲央が手渡してくれたボールを3Pラインから構え、いつものようにシュートを放った。それは綺麗な放物線を描き、やがてまっすぐゴールに吸い込まれていった。
131014 栄光を着飾る王さま 04
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