!赤司の家庭環境捏造注意
※大切なものを守りたいと思うお話
「眠れないんですか」
みんなの寝息がかすかに聞こえる中、眠れないでいた俺は目を閉じることなくぼんやりと天井を見上げて緩慢に思考を巡らしていた。そんな俺に声をかけたのは隣りの布団で寝ていた眠たそうに目を細める黒子だった。
「いや、大丈夫だ。気にするな」 「上柿さんのことを考えていたんでしょう?」
ぴくり、と思わず反応してしまった。瞼を閉じて長い瞬きのあとに窺った黒子の表情はひどく可笑しげだった。双子、か。確かにお前とは、八重に関して困惑するくらいに通ずるものがあるからな。お互い、あいつへの想いは本当にシンクロと呼ぶに相応しいほどに筒抜けなのだから。
「ああ」 「やはり、ですか」 「あまりに思うところがありすぎてな」 「赤司くん」
呼び掛けられて再び黒子のほうへ視線をやると、今度はなにやら不機嫌そうに目を細めていた。ああ、本当にバカだ。俺はお前たちがバカすぎて時々心配になる。お人好しにもほどがあるだろう、俺のことなど放っておけばよかったのに。
「大切なのは「いつか」ではありません」 「…お前は本当に、」 「いいえ、バカなのはキミです。頭のよすぎるキミが何を考えているかなんてボクには理解できません」 「……」 「けれど、目の前にありもしない「いつか」を恐れて「今」を蔑ろにすることこそ愚かだと思いますよ」
ああ、そうさ、俺はやがて訪れる「いつか」が怖い、こわくてたまらない。幸福が永遠など嘘だ、出会いが一生など偽りだ。夢はいつか消えて忘れてしまうものだろう。描いた夢はやがて儚くも消えてしまう、築き上げた王国はいずれ脆くも崩れてしまうというのに。大切になればなるほど恐れや躊躇いは増すばかりで、強すぎる想いに絡めとられたまま身動きがとれなくなるんだ。
「今、キミは彼女が好きなんでしょう?なら求めることを恐れないでください」
――赤司さ、そんなふうに生きて、楽しいか?
八重は俺を諦めない、見捨てない。どんなに俺が突き放してもお前は責めることも疑うことも畏怖することなく、心の底に押し込めた孤独を、癒されぬまま化膿していた愛情への飢えを、一点のたゆみすらない完璧な外面で覆い隠されていたこんなにも脆い内側を、お前はいとも簡単に見つけてあたたかな笑顔で包み、抱き締めてくれるんだ。既にお前は俺にとってかけがえのない存在なのに今回のことでより一層それは深まってしまった、この先お前のいない人生を考えられないくらいに。こんなにも俺をつなぎとめる八重がいとおしくて、そして憎くてたまらない。
「――『花に嵐のたとえもあるさ』」
だからこそ、俺は黒子のようには思えない。いつか俺たちは自らの道を選びとり、離れていくんだ。少なくともあと一年半もすれば中学生活は終わりを迎えるのだ。
「……え?」 「何でもないよ。ほら、眠いんだろう?」 「……はい」
――ね、征十郎。「家族」ってあったかいものでしょう?
「おやすみ、黒子」
俺はやっと見つけたこのたったひとつの居場所を失いたくない、壊したくないんだ。八重、俺はどうしようもない俺を救ってくれたお前をただ傷つけたくない、泣いてほしくない。八重にはずっと、俺を救ってくれた笑顔でいてほしいよ。
「…おやすみなさい、赤司くん」
――ああ、いもしない神様。どうか、お願いだ。俺の「予想」が当たっていませんように、どうか杞憂でありますように。
*
「八重?」
やはり寝れるはずもなく、ぐっすりと眠るみんなを横目にふらりと布団から抜け出してリビングにやってくると、ソファーで膝を抱えて薄いカーテン越しにぼーっと外を見つめる八重がいた。夜空でも眺めていたのだろうか、さ迷う視線はやがて俺のほうへとゆっくりと向けられた。花がほころぶように、八重が笑う。
『征十郎』 「眠れないのか?」 『それはあんたもでしょう?もう丑三つ時をすぎてるよ』
ゆるゆると八重が笑むから俺もつられてつい微笑むと、八重が右手でちょいちょいと手招きをするので素直に従って八重の隣りに腰を下ろした。八重、俺はお前がいとおしい。こんな感情を抱いたのはお前が初めてだよ。お前が、教えてくれたんだ。
「…ねぇ、八重」 『なーに、征十郎』 「ひとつ、お願いがあるんだが」 『うん?どうしたの?』
俺はずっと、「愛情」というものを知らなかった。「家族」がどんなものか分からなかった。俺は両親に愛された記憶がない。頭を撫でてほめられた記憶も、愛をもって抱き締められた記憶も、全くと言っていいほどなかったんだ。
「これからも名前で呼んでほしいんだ、できれば」
幸いなことに裕福な家庭だった。父親のおかげでお金に困ったことはなかったし、子どもながら金銭的にはかなり自由にできたと思う。だが、それだけだった。
『そんなことでいいの?』 「ああ、「そんなこと」をお願いしたいんだ」
俺はあくまで赤司の家の跡取り息子であって、あの家においてはただそれ以上でもそれ以下でもなかったんだ。だから俺は、両親に愛された記憶なんて少しもなかった。どれだけがんばってもほめられたことはない、頭を撫でてもらったこともない、抱き締めてもらったこともない、こんなふうに。
『ふふ、わかったよ』
こんなふうに微笑みかけられながら、いとおしげに名前を呼ばれたことなんて。
『仕方ないな、征十郎は』
生まれてこの方、たったの一度だってなかったんだ。
「…八重」 『うん?なーに、征十郎』 「八重、八重」
恋しくて、眩しくて、あたたかくて、いとおしくて。ねぇ、八重は何度俺を癒せば、救えば気がすむの。ああもう、俺はお前に出会えて本当に本当に。
「俺と出会ってくれて、本当にありがとう」
感謝しても感謝してもしきれない。このきもちはきっとことばになど、きっとしきれはしない。
『ふふ、こっちこそありがとうだよ、征十郎!!』
――赤司さ、あんたそんなふうに生きて、楽しいか?
初めて会ったとき、八重はそう言ってにこりとも笑わぬ俺を哀れんだ。
――俺は今まで一度たりとも負けたことなどないし間違ったこともない。すべてにおいて俺は完璧だ、俺はいつだって正しい、だから楽しいかどうかなどはどうでもいいことだ。
少しの躊躇いもなく無表情のままそういった俺を、あのとき八重は一瞬だけ悲しげな目をして、それから苦悶の表情で俺から視線を外した。なんだ、何か間違ったことを言ったか?俺はいつだって勝者だった、いつだって自分の思い通りにならなかったことなどなかった。俺はそれに満足しているのに、何故見ず知らずのお前に憐憫の情を向けられなくてはならない?楽しい、だと?そんな感情に何の意味があるのか、それは何か役に立つのか。そんなもの、どうでもいいことだろう?――あの頃は、そんな考えこそが寂しいことだと気付くこともできずに。
「八重」 『ん?今度はなに?』
あの家で俺が求められたのは「完璧」であることだった。求められたことを取り零したことはなかったし、そんな期待を重圧に感じたことはなかった。何故なら、俺には才能があったから。俺がその気になれば今までできないことなどひとつとしてなかった。何事においても「勝利者」であれば、「完璧」であれば、ただそれさえ証明すればそれでよかった。ただ、やはりそこに「愛情」なんかなかった、「自由」さえもなかった。「完璧」という、そんなちっぽけな言葉に縛られてすがりついて、そしてそんなものを理由に生かされていたんだ。――だから俺は、早くひとりで生きていけるようになりたかった。
「…抱き締めても、いいか」
だからといって寂しかった?悲しかった?と聞かれても答えは否だ。愛のない家庭に不安を覚えるようなそんなかわいげのある子どもではなかったし、父にほめられたかったわけでも、母に抱き締められたかったわけでもなかった、今さら両親に愛されたかったわけでもなかった。ただ、俺はあの家から自由になりたかった。
『って、おい!答え聞く前から抱き締めてんじゃねーか!』 「ふふ、悪い悪い、ついな」 『ついなじゃねーよ、ふざけんな』
バカ征十郎!と俺の背中をドンと叩いて八重がいつものように笑った。こんな感情、ずっと知らなかった、分からなかったんだよ。八重、お前に出会うまでは。
「はは、八重は乱暴だな、痛いぞ」 『うるせーな、横暴なあんたに言われたくない。ていうかこっちこそ痛いぞ、力強すぎ』 「すまない、力加減が分からなくて」
やはり慣れなくてぎこちなく八重を抱き締めて思うのは、ああ、俺がずっと求めていたのは彼女だったのだと言うこと。両親に愛されたかったわけじゃない、でもやっぱり本当はずっと寂しかった。誰かに、抱き締めてほしかったんだ。だけどそれは誰でもいいわけではなくて、にこりとも笑えぬ俺を笑わせてくれた、ずっと傍らにあった友情に気付かせてくれた、こんな不器用で頑なな俺に気付いて愛してくれた八重、きみだけだ。
『征十郎は案外甘えん坊だなあ』 「八重に対してだけだよ」 『はは、それは光栄だわ』
だから俺はお前のそのあたたかな笑顔を守っていきたい、お前が形作ってくれた俺のたったひとつのあたたかなこの居場所、この楽しい「家族」をずっと守っていきたい。
「だからこそ、出会えた「奇跡」に俺は感謝しているんだよ」
――たとえ、この先どんな「別れ」が俺たちを襲うことになっても。
"Home, sweet home" 9 130317
|