小ねた
2013/12/17 00:27

鏡というものは不思議な魅力がある。

「……え?」

もしも鏡がただ物を映す機能を兼ね備えるだけの代物であったならば、古来より人々はその魅力のとりこになりはしなかっただろう。そこに映るものは、反転した己のみではないのか。言葉では語り得ない確かな魅力があるとしか、私には分からない。それでもずいぶん昔から物語や逸話の中で鏡というものは数多く取り上げられてきた。それは、ある時は映りえないものがそこに映ったり、またある時には異世界への扉であったりした。だけど、この場合は一体なんなのだろう。今、鏡の中にいるのは、高校受験で瀕死状態の疲れた顔をしている女子中学生ではなかった。そう、目の前の鏡映されていたのは、中学生でもなければ、女子でもなく。

『あなたは、だあれ?』

ほんの、10歳ほどの男の子だった。

「え、え、っと……わたしは、その」
『おれは、あかしせいじゅうろう。あなたは?』
「……え、私は苗字なまえ、です」

お互いに呆然としつつもとりあえず自己紹介をするが、その名に覚えはなく、やはりただきょとんとしたままだった。そして、これは鏡ではないのかと私が手を触れてみればやはり鏡であり、向こう側の少年も同じことを思ったのか、私の手が触れている部分にその小さな手を合わせてみるが、私が受け取ったのは手のひらの温かみではなく、鏡のひやりとした感触のみである。

『……うーん、よく分からないけれど、鏡を通してあなたのところとつながってしまった、ということなのかな』
「そ、そんなファンタジックな……」
『まあ非常識ではありますね。でも、とても興味深い』

にやりと強かに笑う少年に思わずあんぐりとしてしまった。な、なんだかとても賢そうな子だ。胸から上の部分しか鏡に映っていないが、しかしそれだけでも随分と上等な衣服をまとっているように見える。髪の色や目の色が赤色で驚いたが……顔立ちは大いに整ってはいるものの日本人のものだと思うし、服装も普通のシャツだ。異世界、といってもファンタジーのようなものではないのかも。

『せっかくだから、あなたの話を聞かせてよ、なまえさん』

あかしせいじゅうろう、と名乗った小さな少年と私は仲良くなった。




それからの話を語るにはあまりにも胸が苦しい。初めて彼と鏡越しに出会ってから、もう数年の年月が経つ。不思議なことに一年に一度、決まって私たちの世界は交わった。勿論鏡越しなので触れたりはできないから、いつも会話のみであるが。毎年毎年、ある月のある日に私たちは当たり障りのない会話をした。そして今回が三年目。

『そういえば、俺、帝光中を受けようと思うんです』
「……へえ、そうなんだー。中学受験か。私はそのまま公立に行ったからなあ。せいくんはすごいね」
『勉強もそうですが、そこって中学バスケの中で最強って呼ばれてるとこなんです。俺、中学でもバスケ、やりたくて』

ふわりとはにかみを浮かべるせいくんに私は顔がゆがみそうになるけれど、それでも堪えて我慢した。せいくんはバスケが、好きなんだよね。

『全中三連覇、成し遂げて見せますから』

その笑顔はとてもきれいだった。

「ねえ、せいくん」

知っていた。私は知っていた。せいくんが帝光中学に入ること、宣言通り三連覇を成し遂げること、そしてその先のことも。

「バスケ、好きでしょう?三連覇をしても、いっぱいいっぱい強くなっても、その気持ちどうか忘れないでね。また、そんなふうに笑ってね。私、その笑顔をずっと覚えておくから、来年も再来年も、その先も、ずっと。だから、赤司征十郎くん。その気持ち、絶対絶対忘れないでよ」

きょとんとした彼の顔が歪んでゆく。ああ、今年ももう終わりなのか。来年も、再来年も、こうやって鏡越しに出会うことができたなら、その時私はなんというのだろう。来年、何かを悟った彼が鏡に映ったなら、私はどうするというのだろう。

「たとえ、あなたがどんなふうに変わってしまうとしても、私は鏡越しにいつでも応援しているよ」

もう、そこにはいない彼を想う。鏡には悲しみを浮かべる私の冴えない顔が映っていた。




彼が何者であるか知ったのは、初めて彼に出会ってから一年後、鏡越しに再開してから少しすぎた頃だった。私は無事高校生になり、そこで知り合った友達にあるバスケマンガを借りることになる。その時はまだ彼は登場していなかったが、季節が巡り、私が高校二年の時、私は彼が何者であるかを確信してしまう。ようやく公開された彼の容姿、彼のフルネーム、そしてその衝撃的な言動と共に。

――すべてに勝つ僕は、すべて正しい。

そこに私の知る笑顔は、ない。そして、ついに今年その確信は間違っていないことを思い知る。「帝光中学」に彼は間違いなく入学する。来年は私の知る笑顔がまだあるだろう。でも、その次の年は?そのまたその次の年は?一体、彼がいつごろ覚醒するのか私はまだ知らない。だが……少なくとも中学二年の全中から少しずつ少しずつ、開花していくのだろう。征くんの開花は、いつ?征くんがあんなふうに変わってしまうのは、一体いつ?

――そして、私がそれを知るのは、彼が変わってしまう年のこと。その時、鏡越しの彼はもう昔のようには笑ってはいなかった。


けれど、それ以降鏡の向こうに彼が姿を現すことはなかった。交わらない鏡越しに、何も言うこともできずに、ただ私は遠い世界にいる彼の幸福をずっと願っていた。


鏡越しの逢瀬



「私」は「あかしせいじゅうろう」の音だけでは「赤司」ではなく「明石」だと思っていたので、まんがの中で赤司の苗字だけ公開されてもピンときていなかったが、フルネームと姿、だめ押しの「帝光中」という言葉によって確信する。妄想ではないかと「私」は一時疑うが、初めて会ったとき、彼女はまんがの存在を知らなかったし、当時はまだ名前も容姿も一切登場していなかったし、何度も何度も会えばさすがに現実ではないかと思わざるを得なかった。もしも続くとすれば、鏡を通ってトリップとかかな。赤司はすでに社会人で、彼女は大学生くらいで原作の知識はWC決勝開始時くらいまでとか?