小ねた
2013/08/21 22:10

「わざわざすまないね」

と、無表情でそうおっしゃった旦那様に再度わたくしは礼を致します。そんなわたくしを見咎めた旦那様は「そう畏まらなくていい」とご丁寧にもおっしゃってくださいます。征十郎様がいらっしゃらないこの時間に、旦那様にお呼び立てされた理由は解っておりました。おそらく、あのお話についてなのでしょう。

「例の話だが、先方にお時間をうかがったところ来週の日曜の12時頃にこちらにお越しくださるそうだ。……ああ、そう。この日は征十郎は出張のはずだから心配しなくていい。気兼ねなく行って来なさい。服装についてはこちらが言い出したことだから用意しておこう。君の母君にいくつか手配を頼んでおくから、好きなものを選ぶといい。……最後に聞くが、承諾してくれるね?」
「…………承りました、旦那様」

最敬礼で答えましたわたくしに旦那様が満足げなお声で「下がっていい」とおっしゃいました。……閉じた瞼の裏では、征十郎様が微笑みを浮かべていた。




「なまえ!」

夜十時を過ぎた頃、征十郎様がお帰りになりましたので出迎えたのですが、何やら慌てた様子の眉間に深いしわを寄せる征十郎様が、強い声でわたくしを呼びました。睨むようなその視線に首をかしげますが、征十郎様のお怒りに触れた覚えは全くございませんでした。

「お帰りなさいませ、征十郎様」
「……他の者は下がってくれ」

強く右腕を掴まれて、思わず顔をしかめます。わたくしを捕まえたまま、征十郎様は静かな声で他の者を下がらせました。皆が立ち去り、きっちりと扉を閉め、わたくしと完璧に二人きりになった征十郎様はわたくしのほうに向きなおり、そして。

「いかがなさい……きゃあ!!」
「なまえ……僕は今とてつもなく怒っている」
「…は、い………え、ちょ、征十郎様!?」
「今日、彼女と会ってきた」

彼女とは、征十郎様の許嫁のお嬢様のことです。今日はお二人でディナーに赴かれたようで、このように遅めのご帰宅となったのです。とはいっても、征十郎様のお帰りはいつももっと遅いこともございますが。あの、美しいお嬢様と今夜はご一緒だったのだろうことを想像して、やがて訪れる未来に、私は歯噛みした。

「どういうことだ、なまえ」
「は、い、何が……や、やめてください征十郎様……」
「お前、縁談を薦められているらしいな」
「……どうして、それを……!」
「彼女が言っていた」

この件は征十郎には内密に進めたい、と旦那様から直々にお達しをいただきましたので、征十郎様にはお知らせされないはずだった。私自身も、まさか言えるわけがなかった。だから、だから、ギリギリまで私は知られたくなかったのに。それなのに、何故。あなたは今日も私を求めようとしているのか。お嬢様とお会いになったその日に私を抱こうとする征十郎様が解りません……わからないのです。

「お前は僕のものでありながら何を勝手に縁談など……!!」
「ひ……!征十郎様、おやめください……!!征十郎様……」

わたくしの服を脱がす手を止めた征十郎様は、そのままわたくしの胸に顔を預けて、うなだれ………静かな声でもらしたお言葉に、心が震えた。

「……僕は、お前を一生所有したかった」

この関係は、旦那様も直接は指摘なさらなかったけれど、きっとこの屋敷のみんなが知っていることだった。征十郎様がわたくしを特別扱いしていたことを、みんなは奇異の視線でいつも見ていた。わたくしは、それでもただ寂しがりなこの方の傍にいたかったのでございます。わたくしを求めてくださるこの手を、振り払うことなどできはしなかったのでございます。たとえ、いつか、わたくしたちが同じ道を歩めなくなるとしても。

「……なまえは、あなた様の幸せを心よりお祈りいたしております。征十郎様」

赤い髪を撫でつける手に、何一つ嘘はございません。わたくしは、なまえは、ずっとずっと祈っています。……だから。

――ここから先、寂しい夜はわたくしではない別の方を抱きしめて、それからどうぞ幸せに向かって微笑んでくださいね。


赤司くんとメイド 4