小ねた
2013/08/26 09:28

――あのね、征ちゃん。わたし、征ちゃんのこと、もう……必要ないから。


「――……っ!!!」

勢いよく飛び起きて、隣で眠る大好きな女の子の穏やかな寝顔を確認する。薄暗くてほとんど見えないがだんだんに夜目が利いてきて、僅にその色白の輪郭を見出だすことができるようになる。赤いさくらんぼのような唇からかすかな呼吸音が漏れていた。

「……千加」

もう、生まれてからずっと一緒だった千加、この先もずっとずっと一緒がいい、ぼくらがいつか大人になってしまうとしても、それでもずっと。

「……すき、すき、だいすきだよ」

小さな、祈るような独り言は暗闇に紛れて虚しく消えていく。嫌な、夢だった。いつか、このいとしい女の子がぼくの元から去っていてしまう、なんて。いやだ、そんなのは認められない。そんなの、まともになど生きていけようはずがない。そんなことになったらきっとぼくは壊れてしまう。たかが夢に未だ不安で強ばる心臓は、なんだかひんやりと冷たいような、そんな気がした。…ああ、そうか。

――……これが、こわいってことか。

弱冠4、5歳でありながら、ぼくは手に入らなかったことなど何もなかったし負けたことも間違えたこともない、そう思っている。ぼくはただ千加がいればそれだけで、本当にしあわせだから。母より父より傍にいてほしいぼくの生命線。両親のことは好きだし、異質なぼくを尊重してくれる二人には勿論感謝している。だが、ぼくがただひとり望んでいるのは、他ならぬ彼女だけ。千加がとなりで変わらず笑っていてくれるならば、ぼくはそれだけで。

「……こんなにも、自由に生きられる」

触れることをバカみたいに躊躇っていたが、勇気を出して彼女の手のひらに触れてみる。いつものように、あたたかくて、やわらかくて、小さくて、かわいい手。このぬくもりのために、ずっと生きていきたい、生きていたいよ。

――大人になったぼくらは変わってしまうのだろうか。いつか、きみよりも大切なものができてしまうのだろうか。

時々、とてもとても怖くなる。もしも、ぼくの両親があの両親ではなかったら?千加と出会っていなかったら?………こわい、とてもこわい。いつか、何かに囚われて、そしてもう二度と戻れなかったら?そんなことを想像すればするほど、どうしようもなく怖くなる。それでもぼくが何かにたとえ囚われようとも、彼女が傍にいればぼくはきっと消されない、絶対に大丈夫。変わらないぼくでいらるるはず、なんだ。ぼくのすべては常に、たったひとりに向けられているのだから。そんなふうに考えてやっぱりどうしようもなく不安に襲われたぼくは、衝動に駆られるままに隣の布団で眠る千加の布団に潜り込む。千加は少し身動ぎしたが、やがてその額を擦り付けるように、ぼくに擦りよってくる千加の髪をすきながら抱き締める。今はまだ小さな、かわいい千加。だけど、いつか大人になったら、きみはぼくを要らないと、いうのだろうか。――それとも、ぼくが?

ぼくの世界は、きみがいなくちゃなんの意味もないのに。

「……筑波嶺の、」


筑波嶺の 峯より落つる みなの川
恋ぞつもりて 淵となりぬる
(筑波山の峰から落ちるみなの川が、一滴一滴のしずくがやがてつもって深い淵となるように、僕の恋心も深く深くつもりつもっていることだ。)



朝起きて、一緒に寝るのはまだいいが、同じ布団で寝るのはだめだ、と母さんにチクリと嫌味を言われるのは別のはなし。

「千加、千加もぼくと寝たいよね」
「え?うん」
「次からは一つの布団で寝ようね」
「……せいちゃんといっしょなんて、わたしドキドキして寝れないかも、なあ」
「……」
「せいちゃん?」
「きみはぼくに殺し文句をいうのがうまいな……母さんにシングルじゃなくてダブルの布団買ってもらおう」
「ころ?」
「何でもないよ」




5歳くらい
「修羅」赤司は捏造の仲良し両親がいる上に、生命線とも呼ぶべき特別な女の子がいる。その上で、もしもみんないなかったら、ぼくは一体どうなってしまうのだろうかと不安に駆られる征ちゃんさんでした。「修羅」のこの征ちゃんさんにとっては勝利より大事なものを見つけているので、原作よりも勝利に囚われる必要はないという結果論に至りました。「修羅」の原作からの乖離が尋常じゃないですねぇ。